第4話父と娘



 一体自分に何が起こったのかと、身体を確かめる。

 特に異常はない。


 いや、異常と言えば異常なんだけど……。


 異常の始まりは、ゲームでいうところのスライムらしき謎の生き物に喧嘩を売ったのが始まりってわけでもなかった。


 最初の異常はこのランドールという街に辿り着く前に起こった。

 街に来てからのこの3日間。なんでこんな事になったんだろうと、そればかり考えている気がする。

 考え込んでいると、何気なく動かした体がズキズキと痛んだ。

 服を捲って腹部を見る。

 スライムに殴られた箇所にデカイ青アザが出来ていた。


 はぁと溜め息をつく。

 丁度そこに、森に居ても届くほどの大きな鐘の音が鳴った。

 昼休みの終わりを告げる合図。

 慌てて来た道を引き返し、そのまま仕事を再開するためギルドの建物へと戻った。





 時刻は昼過ぎ。

 通い慣れたはずの冒険者ギルド内。

 無骨で粗野な男達が集まるその中にあって、快活響く少女の高い声に冒険者達の視線が自然とカウンターに集まる。

 声の主の少女に、厳つい冒険者達の無遠慮な視線が突き刺さった。




 とまあ、そうやってやさぐれた感じの男達の注目を集めるのが我が娘、シンジュである。

 年の頃は14の中学二年生。

 整った容姿に加え、ぱっちり二重とえくぼが妻に良く似て非常に可愛いらしい――というのは親の欲目も幾分に含まれている気がするが、可愛いものは可愛い。ごく普通の何処にでもいる、などという注釈は付かない。少なくとも父親にとっては。


 さて、そんな自慢の娘だが、中学生とは名ばかりで、三日前からこの汗の匂いが漂って来そうな男達が密集するボロっちぃ建物の中で職員として働きだした。

 この建物はギルドと呼ばれる組織の建物で、そこで受付嬢やら事務作業をこなしている。

 ギルドとは、冒険者が活動する為の様々なサポートをする役割を担った組織らしいのだが、その肝心の冒険者が何をするのかは、俺は実は良く分かってない。


 分からないとか、らしいとか、実に曖昧な内に始まった娘のギルド職員生活。

 正直、やっていけるのか心配しかないのだが、働く本人が何処か楽しそうに――というか若干にやけているので、本人は余裕綽々なんだろう。


 もともとが人見知りゆえ、まだ多少のぎこちなさは残るものの、ある程度の余裕を持って、娘の先輩にあたるギルド職員の女性にあれこれ教えて貰いつつ仕事をこなしている。

 そんな風に、やや遠巻き気味に娘と女性を眺める冒険者の視線の中で、娘の職員生活はスタートを切ったのだった。


 働く娘を眺めながら、またどうしてこうなったかを考える。

 いくつもの何故を考えただけで頭が痛くなる。


 そもそもの事の発端は、一体何処にあっただろうか?

 娘の上司に当たるギルド長に、職員にならないかと打診された時だろうか?

 森で迷子になっていたところを、冒険者に助けられた時だろうか?

 それとも、いまだ半信半疑ながら異世界に来てしまった時か……。

 はたまた、元いた世界で事故に巻き込まれた時か……。


 どれにせよ、きっかけはろくでもない事だった様な気がする。

 まあ平穏――かは怪しいが、娘が無事という点のみをあげるなら、きっと良かったのだろう。

 そうとでも思わなければ、いい加減心配で胃に穴が空いてしまいそうだ。


 俺のあるかどうかも怪しい胃がキリキリと痛み始めて、ちょっと頭まで痛くなって来た頃。

 娘は娘で、ギルドの受付カウンターに先輩職員と並んで立ち、近寄って来た冒険者数人と雑談に興じていた。

 仕事を覚えるのも大切だが、コミュニケーションも、という事なんだろう。

 もっとも、見た感じでは、大変な仕事にも忙しい仕事にも見えない。

 ついこの間まで中学生として過ごし、働くどころかバイトすら未経験の娘に、大丈夫かと心配していたが、案外のんびりした職場のようで安心する。

 これならなんとかやっていけそうな気がする。

 頑張ったら頑張った分だけ報われて欲しい。

 そうじゃないと切なすぎる。

 今の娘を助けてくれる者はいない。

 本気で心配し、親身になってくれる者はいない。

 娘が自分で働き、自分でなんでもやっていかねばならない。

 俺は助けてやれない。ただ見るだけしか出来ない。


 何故だなんて野暮な事を聞くなよ。

 娘と二人、事故に巻き込まれた俺の方は、死んで幽霊になってしまったのだから……。





 時が経つのは早いもので、妻が死んでから13年の月日が流れた。

 子供の時は、何でも自由に好き勝手出来る大人を目にしては、早く大人になりたいと願ったモノだが、20代を境にして、本当に子供の頃と時間の流れが同じなのかと思わざるを得ない程にあっという間に時が過ぎ、気づけば36のアラフォーに突入していた。


 この歳になって独身だと、何かと物悲しくなるモノだと、学生時代からの友人は言うが、独身というだけで1人だという意味ではない俺に、その物悲しさを理解しろと言われても、まぁ頑張れという以外の台詞を吐けそうにない。


 妻が死んでから再婚しようと思った事が無いと言えば嘘になるが、残念ながら相手が居ない。

 別に妻に操を立てている訳でもないが、相手が居ないのは忙しかったからとか適当に理由をつけておく。

 忙しかったのは本当だし。


「歩きスマホはやめろ」


 歩きながら忙しそうにスマホをいじくり、余所見の為、前から歩いて来る通行人とぶつかりそうになった娘の手を引き、注意する。


「誕生日おめでとうの返事返してたの」


 悪びれもせずに娘がそう返す。

 ただ、スマホはちゃんとポケットへと仕舞い込んだので、ちょっと反抗的なのはスルーしておく。また取り上げられたくは無いのだろう。


「あとで、年上の男と誕生日デート中って呟いとけ」


「分かった」


 分かったのかよ……。


「まっ、『どうせパパでしょ』とか『ラブラブだね~。パパと』って返って来るだけだと思うけど」


「いいね」


「しないでください」


 そんな冗談を飛ばし、笑いながら二人で並んで歩く。

 

 妻が死んだのは、娘が産まれてすぐの事だった。

 正直、あの時は小さな娘を自分1人で育てられる気が全くせず、途方に暮れたが、案外、人間というのはやる気さえあれば意外とどうにかやっていけるものであるらしい。


 それからは父と子。妻には悪いが、その死を慎み、悲しみに浸る時間も無いくらい大変で、大変ではあったけど、二人三脚でなんとかここまでやって来た。

 男親にとっては一番の難関じゃないだろうかと思う女の子のあれやこれやを乗り越えた今の俺に敵は居ない。

 ドラッグストアの店員に白い目で見られた事も、今となっては良い思い出だ。たぶん……。


 片親という事でグレないかと心配した時期もあったが、娘はグレるどころかむしろ女子としてちょっと腐ってる感じだ。

 やや甘やかし過ぎたせいで俺の前ではワガママなところもあるが、中学に入ってからは外面という言葉を覚えたのか、周囲にはしっかり者の女の子で通っているので、多少の趣味、嗜好には口を出さないでおいている。


 ただ、今は14歳という現役の厨二ゆえ、何とかそれなりの体裁を保ってはいるが、悪化させれば完全体の腐女子が出来上がるだろう。

 軽い趣味程度で収まるならばともかく、完全体はどうにか阻止したいが、これといって有効な手立ても思い付かないまま、じんわりと腐食は広がるばかりだ。

 まぁ、そんな事に頭を悩ませる位には平穏で幸せな生活が出来ているって事だろう。


 そんなオタク街道を真っ直ぐ進む娘であるが、遺伝子のお陰で容姿がとても良好なのが救いであるが、年々妻に似てくるせいで、娘の口からたまに飛び出す「薄い本」だの「BL」だのという単語を聞く度に、俺の思い出の中の妻がやや腐女子化し始めた。

 故人の思い出は美化されるというのは聞いた事があるが、まさか腐るとは思ってもみなかった。

 別にオタクに偏見も無いが、まれに警察のお世話になる程度に若い頃の妻はちょっとだけヤンチャだったから……。


 色々あるが、なんだかんだで今は幸せだと思う。

 保育園に通っていた頃、父の日に描いて貰った「パパありがとう」という言葉つきの似顔絵を、たまにこっそり眺めてニヤニヤするのは密かな楽しみだ。


「パパ、クレープを食べたくならない?」


 今日の予定などを考えながら歩いていると、後ろから腕を引っ張っられて、それで無理矢理立ち止まらせられる。


 ふと横を見れば、移動販売式のクレープ屋が目についた。認識すると、途端に甘いニオイが鼻をくすぐり始める。


「昼飯食べてからにしようよ」


「えー……」


 かなり不満げな顔を向けられた。

 それを無視して歩き出そうとすると、「う~」と唸り、俺の腕を掴んだまま足を踏ん張り始めた。

 面倒な奴め、と思いながらも、なんだかんだでこういうのも楽しめているので親子仲は良好と言えるのだろう。


 ただでさえ食が細いんだからと、言い含め様とした時、何かがぶつかる様な結構大きな音が耳に届いた。


 驚き、音がした方に素早く顔を向けると――

 すぐ目の前に大型トラックの姿があった。

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