序章:たとえ、過酷な世界でも

01. 出会い /その①



 ─ 1 ──────


 ろくに物もない粗末な小屋の中、二人の人物が向かい合っている。


 一人はにこにこと楽し気に笑っている子供。もう一人は端正な顔立ちをしながら、その全てを台無しにする暗く沈鬱な表情をした青年。


 無邪気な笑顔を浮かべた子供が、沈鬱な表情の青年を覗き込む。


「うーん、そうねえ。兄さん、なにがあったの? 誰かに追われてる? なになに、おっかない奴らにとか?」


 子供は笑顔のまま、無遠慮に際どい質問を投げかける。青年は瞳を揺らがせ、しばし迷う。


 どう話すべきか。


 青年は迷い、深手を負ったその経緯を振り返る。




 ─ 2 ──────


「糞ったれ」


 青年の口から自らをなじる言葉がこぼれた。


 走れ。その言葉だけが頭を占める。追手たちは迫っている。青年は苦痛に顔を歪ませ、必死に駆けようとする。


 森の中で青年に追いつける者などいない筈だった。それが並の男たちであるならば。



 ここは人里離れた大森林深部。


 青年は『曠野こうやの民』と呼ばれるイシュフールの血を引く。彼らイシュフールは、荒れ野を始めとした他の種族が暮らさぬ天地自然の力が強い場所を住まいとし、その場所に於いては無類の感覚の鋭さと身の軽さを誇る。


 この樹々が生い茂り見通しの利かぬ大森林深部もまた、天地自然の力が強い場所。他種族の者にとっては一度足を踏み入れれば、方向を見失い生きて出ること叶わぬこの場所も、イシュフールの血を引く青年にとってはどこよりも過ごしやすい場所となる。


 その青年から見れば、深い森の中では平地の民など愚鈍な驢馬ろばも同然だった。


 だが、追手もまた並の男たちではない。軍事大国イルトゥーランの暗殺部隊。越えられぬ崖を越え、谷にもぐり、闇にひそみ、背後に忍び寄り、喉を掻き切る。表にできぬ役目に生きる、闇の兵士たちだった。


 この一年、青年は暗殺部隊に追われ続け、戦い続け、逃れ続けてきた。

 一年前、母が死んだその日、青年は自分の父を殺した。そう、父である国王デミル四世を殺し追われる身となったのだ。




 ─ 3 ──────


 イシュフールの血を引く青年、ファルハルドにも油断があったのだろう。逃亡生活を送るうち、知らず疲労が溜まりどこか注意力を欠いていた。


 迫る追手を振りきろうとする。だが、気付かず誘導されていた。底知れぬ千尋せんじんの崖が行く手をはばむ。足を止めたファルハルドを追手たちが取り囲んだ。


 ファルハルドは咄嗟に駆け出そうとした。しかし、手遅れ。隙は見えない。すでに包囲網は完成していた。


 追手は五人。刃を黒く焼いた細身の小剣を抜き、五人全員が同時に突きかかる。



 ファルハルドに迷いはない。躊躇ためらうことなく正面の敵に走り寄る。脚をたわめ、腰だめから逆袈裟に剣を振りきった。


 敵は避けようともしない。手に持つ小剣を捨て、その身でわざとファルハルドの斬撃を受けた。致命傷を受けながら、倒れることなくファルハルドの右腕を堅く抱え込む。


 それはファルハルドにとって予想外。攻撃であれば、この一年、戦い合ううちに沁みついた身体の動きでかわすことができた。

 だがそれは、今までの追手たちの動きとはまるで異なる。自分の命と引き換えにファルハルドの動きを止める、それだけを目的とした捨て身の行動だった。


 今度の襲撃は今までと違う。ここにきてファルハルドは初めて悟った。

 敵は自分たちの死を前提とした襲撃を仕かけてきた。たとえ五人全員が討ち果てようとも、ここでファルハルドを仕留めるつもりだ。それを理解した。


 正面の敵を斬るための移動により、最初の突きは避けられた。だが敵の意図に気を取られたその刹那の隙をかれ、さらに左手側の敵にも組みつかれる。敵はファルハルドの腰を押さえ、動きを抑える。



 と、敵は動けぬファルハルドを狙い攻撃を繰り出してきた。仲間諸共貫くように、残りの三人が再び一斉に突きかかる。


 ファルハルドは即座に反応する。咄嗟に剣を手放し、右腕を抱え込む敵に膝蹴りを放った。

 その勢いを利用し、強引に腕を引き抜き、さらにそのままその場で回転。腰に組みつく敵を投げ飛ばし、右手側から迫る敵にぶつけた。


 勢いのまま、左手で地面に突き刺さっていた剣をつかみ、体勢を崩しながらも円を描くように剣を大きく振るう。半ば偶然に背後側から迫る二人の剣を弾いた。


 なんとか敵の攻撃をしのいだ。だが体勢は崩れ、さらには右手側からの敵に無防備な背を晒してしまう。敵はその瞬間を見逃さない。背後から心臓を一突きにせんとする。


 背後に風を感じた時。ファルハルドの身体は頭で考えるよりも早く、本能だけで動いていた。



 無意識に刃を避ける。だが、崩れた体勢からでは、完全には躱しきれない。

 肩に走る激しい痛み。左肩を斬られた。同時に、左肩に傷とは違う痺れるような感覚が生じる。


 ザールか。


 今までも追手たちはその襲撃に毒を使うことは確かにあった。しかし、天地自然の中で暮らすイシュフールは自然の恵みを活かすすべけ、薬草、毒草のたぐいにも詳しく、同時に毒に対して生まれつき強い耐性を持っている。


 イシュフールの血を引くファルハルドには暗殺部隊の毒も効き目は弱かった。

 事実、前回毒を使った襲撃を受けた際も多少動きが鈍くなる程度で済んだ。追手たちもそれ以来、毒を使ってくることはなかった。


 奴らの毒ならば問題ない。ファルハルド自身どこかでたかくくっていた。



 だが、今回は違う。もはや左肩にはなんの感覚もない。徐々になにも感じられない部位が拡がっていく。


 敵はよほど強力な毒を使ったか、それとも耐性を持たない毒を調べ上げたのか。このまま斬り合っていては、いずれ完全に毒が回り動けなくなる。その前にこの場を切り抜けなければ。


 ファルハルドは無謀とも思える勢いで敵の一人に迫った。そのまま剣を振るうことなく、低い体勢から体当たりで敵を弾き飛ばす。



 ファルハルドは決して力は強くない。斬り結ぶ際も可能な限り剣を撃ち合わせず、素早さと目の良さで敵の剣を避け、的確に急所に斬りつける戦い方をしてきた。


 一年に及ぶ闘争のなかで、ファルハルドと追手たちは互いに相手の癖を知り、思考を読み、行動を予想するようになっていた。


 その思い込みを利用し、追手たちは今回ファルハルドを追い詰めた。同様にファルハルドも敵の思い込みを衝いた。

 追手たちはファルハルドが剣を振るわず、力任せの体当たりをするとは夢にも思わなかった。


 結果、新たな傷を受けながらも、なんとか包囲を破ることができた。しかし、ファルハルドは深手を負い、毒も受けている。このままでは逃げきれない。


 ままよ。


 ファルハルドは躊躇ためらうことなく、崖にその身を投げ出した。

 追手たちもまた一拍遅れ、ファルハルドを追いかけ崖に飛び込む。だが、わずかな時間のずれが大きな距離の開きを生んだ。

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