02. 出会い /その②
※この物語には、残酷な描写有り、暴力描写有りのタグがついております。ご注意下さい。
─ 4 ──────
あの枝を掴め。
崖に飛び込んだファルハルドは流れる景色の中、高速で近づいてくる太い枝に意識を集中した。
枝を掴む。しかし体重が掛かった瞬間、その重みで枝はあっさりと折れた。
底知れぬと思っていた崖の底がぐんぐんと近づく。わずかでも勢いが弱まればと、その手に当たる枝を片っ端から掴んでいく。だが、勢いは弱まらない。
もはや手で掴むだけでは間に合わない。手脚を大きく伸ばし、腕に、胴に、脚にと、とにかくその身体に枝を当てていく。打撲、切り傷、全身に傷を負っていく。勢いを弱められるならそれでよい。
あれだ。
視界に入った太い枝に右腕を掛け、痺れて
崖上からは見えなかったが、底には細い川が流れていた。川に飛び込められれば、あるいは。
激しい水柱が立った。
崖下の川は幅こそ狭かったが、流れは深く急だった。ファルハルドは流される。
どちらが上で下かもわからない。なにも見えず、なにも聞こえない。
もういい、このまま死に呑み込まれよう。馬鹿を言え。
やっと楽になれる。ふざけるな。
なぜ
今、ファルハルドを衝き動かすのは生への執着ではない。殺されることで奴らに満足と安心を与えてたまるか。その妄執だった。
閉ざされようとする意識の中で、ファルハルドは母が死んだあの日を思い出す。
─ 5 ──────
母は幸福なお妃様、ファルハルドは愛される王子様、などではなかった。
母親であるナーザニンは二十年前、一人で薬草摘みをしていたところを狩りに訪れたデミル王によって捕らえられた。それ以来イルトゥーランの王城に幽閉され、王の慰み者とされ続けた。
元々優れた容貌の持ち主の多いイシュフールは滅多に他種族の前に姿を現さず、人里離れた場所で自分たちだけの暮らしを営んでいる。
その日父親の病に効く薬草を求め、イルトゥーランの大森林に出かけたナーザニンを、不幸にも強欲なデミル王が目に止めたのだ。
ナーザニンにとって苦しみだけの暮らしの中、いつしかその身に新たな命が宿った。
憎い男の血を引く憎い子供。そう思いながらも、産まれてきた我が子はたまらなく愛おしかった。我が子ファルハルドの成長だけが、彼女を支える暖かな救いとなった。
しかし、城でのファルハルドの扱いは決して暖かいものではなかった。
なぜなら、異なる種族間の血の交わりは歓迎されない。デミル王は人の五種族のうち、最大種族であるオスクだ。産まれた子は忌み子として
だが、王の気紛れにより生かされた。そして、暴君の意に逆らえる者など存在しない。ある意味では王により救われたとも言える。
しかし、救われたのは命だけだった。その扱いは家畜に対するものとさほど変わらなかった。死なない程度の食料は与えられたが、城の者たちは誰も関わろうとはせず、友となる者も師となる者もいなかった。
ファルハルドは、母であるナーザニンからイシュフールの言葉や文字、森や山での暮らしを教わった。同様に広く使われるオスクの言葉や文字、外の世界のことなども、ナーザニンの知る限りのことは全て教えられた。
その他のことは城の人々を観察することで一人学んだ。
デミル王が執着するナーザニンに対する監視は厳重を極めたが、子であるファルハルドへの監視はそれほどでもなかった。事実上の捨て子であり、人々になんの関心も持たれていなかった
城から抜け出ることは決してできなかったが、城内を出歩く分には誰も関わろうとしないだけ、むしろ誰よりも自由であると言えた。
物陰から人々の言動を見聞きし、兵たちの訓練を盗み見、母を城から助け出す日を目指し、一人己を鍛え続けた。
だが、国王の監視は
─ 6 ──────
ファルハルドは母を看取ったその足で王の下へ出向いた。手には廃棄される筈だったところを盗み出した、一振りの
王の間までの通路では誰とも擦れ違うことはなかった。なぜか王の間の扉を守る衛兵たちの姿もない。
ファルハルドはなにも考えない。疑問を持つことなく、自らの内に渦巻く衝動に従い無造作に扉を押し開ける。
室内には王と宰相だけがいた。王は人払いをし、密談を行っていた。
ファルハルドは
その時、扉が開け放たれた。完全武装の衛兵たちが
彼は自らの手を汚さず、いつまでも玉座に座り続ける父王を消す機会を
そしてその目に、日に日に衰弱していくナーザニンの姿が映った。
彼はファルハルドがなんとか母を城から逃がしたいと一人動いていることも、母を苦しめている王を深く怨んでいることもよく知っていた。
彼はナーザニンたちの監視役に自分の息がかかった者を紛れ込ませる。そして彼女が死んだ時にあわせ、全ての手配を行った。
ファルハルドは迷うことなく、父王を襲った。全ては彼の目論見通りとなった。後は国王殺しの大罪人としてファルハルドを始末すれば、彼の計画は完成する。
ファルハルドの始末など簡単な筈だった。友もなく師もなく、一人我流で剣を振ってきただけ。
まともな武具もない。鎧兜などある筈もなく、ただ王太子が密かに用意させた刃毀れだらけの剣が一振りあるだけだった。
誰が考えても二十人を越える衛兵から逃れられる筈がなかった。
しかし、ファルハルドの剣の腕は王太子の予想を超えていた。皮肉なことに人々から忌み子と見捨てられた彼こそが、最も色濃く『狂気の剣王』と呼ばれたデミル王の剣才を受け継いでいた。
とはいえ、共に稽古をする相手もなく、一人で学んだ剣では限界がある。傷を負いながらも切り抜けることができたのは、相手が油断していたお陰だった。母譲りの身軽さを
追いかけてくる城の兵たちを振りきり、城の西に広がる大森林に逃げ込めたのはまさに幸運だった。森の中でイシュフールの血を引くファルハルドに、ただの兵士たちが追いつける筈がなかった。
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