第16話 私にキスしてみてよ。

 千夏ちゃんは急に立ち上がって、本当に帰ってしまった。

 メッセージを送っても、返信は返ってこない。


 ひどく不安になって、自分の部屋を出る。

 リビングのソファには母親が腰掛けている。

 会話はなく、私は浴室へ向かう。

 熱いシャワーを浴びながら、ハグは流石にまずかったかな。と後悔する。


 千夏ちゃんは小さくてかわいいけど、幼くはない。サイダーでご機嫌が取れるほどの子供ではないのだと言うことはわかっていたけど、疑問が残る。

 最後に言い残したセリフ…あれって嫉妬、ってことなのかな?


 それからしばらく千夏ちゃんは私の前に姿を現さない。もちろんメッセージは未読のまま、学校で手を振っても無視される。テストが終わってるので授業はない。だから世界史で隣り合うこともない。

 そして、そのまま高校最初の夏休みが来る。

 こんなに最悪な気分で迎える夏休みはなかった。これからもないような気がする。


 一学期最後の日、学校が早い時間に終わって、強い日差しの中を歩く。凛は手持ち扇風機に釘付けだ。桂里奈も第二ボタンまで開けてパタパタ。スカートを両手で持ってパタパタ。

「桂里奈、だらしないよー。」

 何となく注意する。

「男子見てないしいいもん。」


 何事もない日常はいつもはぼやけた影の輪郭がくっきりするほど強い日差しに包まれて、意識が朦朧とする。いろんな映像が流れていく。何かを写したものではあるのだが、肝心な何かがわからない。

 頭に凛の飲みかけの冷たいペットボトルが当てられる。


 千夏ちゃんとの出会いは、白昼夢のようなものだったのだろう。

 今みたいな烈日にさらされることで急激にボケるのではなく、不快な熱帯夜にジメジメと、ネチネチと体に熱を籠らされて、長く夢うつつだった。


 白昼夢だったのに、千夏ちゃんと私の間でどんなことがあったかまだ鮮明だ。


 だめだ。千夏ちゃんと話したい。千夏ちゃんに会いたい。

 自然な発想だと思う。

 喧嘩(?)してそれ以来話していない友達と仲直りしたいと思うのは普通だ。今は彼女に執着したって問題ない。喧嘩した友達のことは

 気になるものだ。


 家について、スカートを脱ぎ捨て、ネクタイを外して汗でベタつくシャツを脱ぐ。

 今日はとびきり冷たいシャワーを浴びて、すぐに出る。


「よーし!」

 誰もいない家で少し大きめな声で気合を入れる。

 千夏ちゃんに電話をかける。

 1回、2回と、コール音が異様に長く感じる。


 7回目のコール音。不安に支配されて諦めようと思っていた矢先、聞こえるのは千夏ちゃんの不機嫌な声。

「なに。」

 声色は低く、とても不機嫌なようだったが、千夏ちゃんが迷った末、電話に出てくれたことがとても嬉しい。


「あの、千夏ちゃん!えと、あの。」

 頭が真っ白になって言葉が出てこない。

 どうしよう。

 私は千夏ちゃんとどうなりたい?


「用ないなら切る。」

 千夏ちゃんは冷たく言い放つ。


 とにかく何か言わないと。せっかく垂らされた蜘蛛の糸が切られてしまう。

 ドキドキ、心臓がなる。


「会いたい!…えっと、最近話してないし、会いたいなぁって……」

 心臓に急かされるように、まず口から飛び出したのは本心で、後付けをゴニョゴニョと口にする。


 スマホからは何も聞こえない。不安が増大していく。


「今から行く。」


 それだけ言って電話は切られた。

 私は心の中でガッツポーズをした。

 千夏ちゃんと会えるのが嬉しい。早く会いたい。こんな気持ちはたぶん、初めてだ。



玄関のチャイムがなる。



ドアを開けると千夏ちゃんが立っていた。



この日差しの中でも肌は全く焼けておらず、相変わらず白い。

「千夏ちゃん…!」

 このまま抱きしめたかったけど、また何日もラインを無視されるのはごめんなので、我慢。


 千夏ちゃんは私の部屋で、寝転んで漫画を読んでいる。こう言う自由さは猫みたいでかわいい。

 ただ、不安にさせるのはやめてほしいかな。


 グラスに注がれたサイダーを千夏ちゃんの目の前に置く。

 彼女は漫画を開いたまま、サイダーに口をつける。


 漫画を読み終わって、ぱたん、と閉じて本棚に戻す。「これ続きないの?」

「んー、ない。」

「えー。」


 千夏ちゃんは退屈そうにあくびをして、床に転がる。


「あのさー、夜見。」千夏ちゃんに呼ばれて、反応する。


「そのまま座ってて。」

「わかった?」


 足を伸ばして、ベッドに背中をくっつけている。このままでいればいいのか。


 うわ。ちょっと。


 心臓が急激に加熱する。


 千夏ちゃんが私の足の上に乗ってきた。しかも、向かい合わせに。


 やばい。かなりまずい。

 心臓がドキドキして、視界は狭い。



 千夏ちゃんがさらに顔を近づける。彼女の重さが心地いい。


 千夏ちゃんの声が聞こえる。


 心臓が高鳴る。



「グラスとって。」

 千夏ちゃんにサイダーがまだ残ってるグラスを手渡す。千夏ちゃんは一気にサイダーを飲み干す。

 千夏ちゃんの口元を見る。唇を見る。

 …キス、したい。


「何でそんな見てんの?」

 千夏ちゃんがちょっと不機嫌な声で言う。

「あっ、唇、やわらかそう…だなって。」

 何言ってるんだ私。気持ち悪いことを言ってしまったから引かれていないか心配だ。


「ふうん。」

 千夏ちゃんはつまらなそうに言う。


「あのさ、女の子同士でキスするのって、変だと思う?」

 やばいもう何も考えられない。意味のわからないことを言ってしまった。


「…私と、キスしたいって…こと?」


 千夏ちゃんも顔を真っ赤に染める。


 キス…したい。千夏ちゃんとキスしたら私はどうなってしまうのか気になる。

 友達とキスしたらどうなるのか。


 千夏ちゃんとキスがしてみたい。


「いや、あぁーっと、どうなるか気になるっていうか。」

 素直な言葉は出てこない。


「気になるの?」


 部屋が一気に静かになる。気がした。


 かなり長い沈黙の後。


「…気になるなら、試しに私にキスしてみてよ。」


 黙って首を縦に振る。飲み込んだ唾液が喉を通る。


 千夏ちゃんの髪に触れる。綺麗で、触り心地がいい。

 千夏ちゃんの腰を抱く。細くて折れそうだ。

 千夏ちゃんの吐息を感じる。千夏ちゃんが目を逸らす。もっと近くで彼女を見たい。

 さらに顔が近づく。

「目、閉じてよ」

 千夏ちゃんが小さな声で言う。

 なかなか目を閉じない私に折れて千夏ちゃんが目を閉じた。


 唇を重ねる。


 心臓の音がありえないほど早くなって、五感が冴え切ったように、唇の感触を感じる。

 柔らかくて、部屋の温度よりも暖かい。



 唇を離す。


「どうなった?」

 千夏ちゃんが私に尋ねる。


「わかんない。」


 千夏ちゃんが一気に距離を詰める。

 肩を抱かれて、唇を奪われる。2回目のキス。

 私の唇に舌が当たる。

 唇を少し開けて、受け入れる。


 舌が絡み合って気持ちがいい。友達に持っていい感情を遥かに超えていた。

 だけど、もう止められない。千夏ちゃんの腰を強く抱きしめる。体温が、吐息が、私に流れ込む。


 千夏ちゃんが口を離す。

「これでも?」


「わかんない…けど、何回でもしたい。」

「バカ。」

 千夏ちゃんはそう言って、私の眉間にデコピンする。


 だけど彼女はもう逃げなかった。


「夏休み、またどっか行こうよ。」

 千夏ちゃんが口を開いた。


 蝉の声が聞こえる。やっと夏休みが始まった。

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