第10話 千夏ちゃんの隣はなぜか幸せだ。

千夏ちゃんが私の隣で寝ている。

どうしてこうなった。いやわかってる。明確に覚えてる。千夏ちゃんが私に寄りかかって漫画を読んでいた。そんで、千夏ちゃんは急に可愛い声で一緒に寝ていい?なんて言ってきたんだ。

ただ、その夢のように脈絡がなく、欲望だらけの展開を理性が現実として認めてくれない。だけど、その理性とやらはすぐに諦めて私は隣にいる千夏ちゃんの存在を認識する。


私と同じ匂いがする千夏ちゃんが私の隣で寝息を立てている。甘い匂いは私の小さな私の脳みそをびりびりと痺れさせ、思考を奪うのだった。今抱いている感情がなんなのかも、何も考えられない。余計なことは考えられず、ただ、千夏ちゃんの存在だけを感じる。


千夏ちゃんが寝返りを打ち、彼女の手が私の手にあたる。全身の毛が逆立つような、心臓が握りつぶされるような感じに襲われる。でも痛くない。


触れた手は柔らかくて暖かい。


どんどん呼吸が浅くなっていく。千夏ちゃんがもしも起きていたら絶対心臓の音は聞こえてる。心臓の動きが激しすぎて、体がびくんびくんと跳ねる錯覚すら覚える。

心臓によって送り込まれる血液で稼働する脳は、今はそのむしろその心臓のせいで機能を強制停止させられる。もう何も考えなくていい。ただ、今は目を閉じて、形容し難い幸福感と、温もりを感じていたい。


古いエアコンは不安な音を立てて止まる。タイマーを設定した午前3時になった。私はベッドに入ってから眠りがだいぶ浅い。ベッドに入ってから今の時間までの間、睡眠をとったと言うより、記憶が抜け落ちた、という表現が正しい。


半端な時間に起きてしまった。こうなるともう眠れない。もう少しで星は傾き夜が終わる。


隣に感じる暖かな存在と、甘い匂いは、現実を激しく主張し、心臓がドキドキしてくる。

千夏ちゃんはよくわからない。そっけないかと思いきや、自分から近くに来たり、お、お泊まりに来たり。

何を考えているんだろう。……私のことどう思ってるんだろうか。

まだ薄暗い部屋の中、彼女の寝顔をみる。輪郭は曖昧で、人形みたいに白く、穏やかな表情をしている。


ごくり。

そぉーっと手を伸ばす。心臓の音は警告音のように、彼女との距離を縮めるたびに大きくなっていく。私と彼女との間を満たす空気が、無限に思えた。

千夏ちゃんに触れる。半袖のシャツから伸びる白い腕を撫でる。シャツの上から脇腹を触り、細い腰に辿り着く。どくんどくんと自分の心臓の音が聞こえる。


ゆっくり、慎重に体を動かして千夏ちゃんとの距離を縮める。

千夏ちゃんの匂いが、音が、存在が私をおかしくする。

さっきより近くなり、はっきり見える顔をじっと見つめる。細い首を撫でる。小さな顎に触れる。柔らかい頬を優しくつっつく。

ぷにぷにで、潤いのある唇を触る。もっと彼女を感じたいと思って、顔を近づける。

だめだ。これ以上はだめ。

部屋は生ぬるい空気で満たされる。体が火照るのは夏のせい。リモコンに手を伸ばして、やっぱりやめる。少し不快なくらいの暑さは私の最後の言い訳だ。感じたことのない胸のざわめきと、体の疼きは、午前3時のせい。

しばらくすると、朝が来る。千夏ちゃんが声を出した。

「んっ、」かわいい。

「起きたの?」

「…ん、??」不思議そうな顔をして意思疎通ができてるのか微妙な反応をする。

「……う、ん?」

千夏ちゃんは急に体を動かして、私の胸に頭を押し付ける。やばい。

やばい。

やばい。

冷静になりかけていた心が大きく揺れ動く。

理性は赤子の手をひねるように…

ひねられた。

調子に乗って、千夏ちゃんの頭を両腕で包み込んでみる。髪は寝起きなのにサラサラで、千夏ちゃんはいい匂いがする。幸せだ。

千夏ちゃんは抵抗しない。


「ん…、おはよう。」

「え、おおおはようっ」

千夏ちゃんは私の腕からスルッと抜け出し、部屋を出ていく。あまりに手際が良くてびっくりした。


わ、千夏ちゃんにバレた。完全に寝ぼけてると思ってた。

ただ、彼女の声からは感情を読み取れない。

私も体を起こして、顔を洗う。千夏ちゃんはもう制服に着替えてリビングのソファに座っていた。


「夜見、おはよう。」

朝起きて、千夏ちゃんがいる。目の前の日常があまりにも不可解だ。私は夢の中にいるんじゃないか?

自分の頬をつねる。強めにつねる。痛い。

夢じゃない。全部夢じゃない。


簡単に朝食を用意して、二人揃って家を出る。いつもとかわらない景色は隣に千夏ちゃんがいるだけで大きく変わった。今日はいつもより早く出たので、電車は空いてる。隣り合って席に座る。


この前に一緒に電車に乗った時より、明らかにドキドキしてる。

車窓に流れる景色が鮮やかに見える。今日は曇ってるけど、なんとなく彩度が高い。

私はなんて幸せなんだ…いや待てよ。これって…私が千夏ちゃんのことを…違うでしょ流石に。女同士とか、ない、

ない…な…い…


千夏ちゃんの肩が当たって、私の思考がジャミングされる。脳内は砂嵐が吹き荒れ、感情の考察なんていう複雑な操作はできない。今はいいや。難しことはいらない。千夏ちゃんの隣はなぜか幸せだ。

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