第8話 夜見の家は居心地がいい。
塾が終わって家に帰る。玄関を開ける前に、家の駐車場にお父さんの車があるのを見て、Uターンする。お母さんとは話したくない。お父さんとはもっと話したくない。今日は遅くなるとだけお母さんに連絡して、いつもの場所へ歩いていく。夜見が来るかもしれないけど、別にいいや。学校で会う彼女はうざい。だけど夜に会う彼女は違う。余計に話してこないし、聞いてもこない。ただ隣にいるだけ。
蒸し暑くて蚊がうざいけど、いつもの街灯の下でテキストを広げる。勉強する気が起きないけど、仕方ない。勉強しないといけない。勉強して、うまくいけばまたお父さんとも話せる。だからこれは仕方ない。
何となく、スマホを開く。通知は何もない。
しばらくするとやっぱり夜見が来た。彼女は暑い夜に勉強する不自然な私を詮索することなく、隣に座る。夜中に理由なく歩き回る夜見に十分不自然だけど。夜見が隣にいるのは嫌じゃない。
次の日、夜見に連絡した。夜見はすぐに返信した。私からの連絡が嬉しいようだ。確かに文としてそう書いてあったが、疑問だ。夜見はいつも通知が埋まってそうなのに。
塾が終わって、家には戻らずコンビニで買ったおにぎりを詰め込んで、夜見と待ち合わせした、街灯の下に座る。まだ彼女は来ていない。
「ち、千夏ちゃん、おまたせ!」
若干息を切らした夜見が現れる。
「さっき来たとこ。」
「びっくりしたよ。千夏ちゃんが会いたいなんて、あっ、いや会いたいとは言ってないか、ここで待ってて…って」
夜見が早口でなんか言ってる。こういうところは学校では絶対見せないから新鮮だ。
「お願いがあって。」
わざと一呼吸置く。
「おお願いって??」
なぜか丁寧語になっている。
「家行ってもいい?いまから。」
夜見の顔を見る。
街灯にほんのり照らされている夜見の顔が紅潮しているのがわかる。少し急いでここに来たからか、また別の理由か。
「い…え、うん!いいよ!」
とんでもなく驚いたと顔に書いてあるような表情をした後でとびきりの笑顔を見せる。
「実は、しばらく家に親いないんだ。」
こんな時間に家行ってもいいの?って聞こうとしたすぐ後に言った。思考を盗聴されているかのように、私の疑問と合致した。
夜見の家は思ったよりだいぶ綺麗だった。
リビングに勉強道具を並べる。
クーラーが効いていて過ごしやすい。
「あー、なんか飲む?サイダーとか…」
夜見はいきなり夜中に押しかける無礼な客である私に対して、歓迎してくれるらしい。
「うん、ありがとう。サイダー飲む。」
夜見は私に気を遣ってくれる。夜中に押しかけても嫌な顔をしないばかりか、かなりいい待遇だ。夜見は他の人にもこんな感じなのだろうか。そんなことを考えると少し気分が沈む。いや、なんで。自分の腕は動かせる。足も動かせる。それは完全に自分の意思で、忠実に私自身の指示に従う。だが、心は私の意思に反することが時々ある。自分の意思に反する感情というのは、自分のものだと言えるのだろうか。私はそうは思っていない。きっと不具合だ。
サイダーに口をつけ、勉強を始める。夜見も課題をやっているっぽい。
しばらくして休憩をする。
「私も休憩する。」
夜見は背もたれのある大きなチェアにもたれかかって腕を伸ばす。白くて、細長い。
私もソファに脱力した体を委ねる。
「ご両親はどこに行ったの?」
何となく聞いたが、まずかったかも。夜見の表情が少し暗くなった。
「え〜〜と、私お父さんはいなくて、お母さんが旅行に行ってるんだ。」
子供を置いて旅行に行くのか。私の親もをかなり私に無関心だが、夜見の親はもっとだな。しかも、お父さんがいないのに、誰と行くんだ?これ以上聞くのはやめよう。
「え、千夏ちゃんはなんで…」
夜見が途中で口籠る。
全て言わなくとも何を言いたいのかはわかった。
「家に帰りたくない。親と話したくないから。」
何となく、空気が重くなる。私はこのことをそんなに重くとらえてないんだけど、夜見が触れちゃいけないものに触れたみたいな顔をする。
「あ、ああの、しばらくうちに来ていいよ!お母さんすぐには帰ってこなそうだから。」
沈黙を破ったのは夜見だった。
ずいぶんと高待遇だなあ。
夜見と私しかいない、夜見の家は居心地がいい。涼しいし、ドリンクのサービスもある。
翌日、夜見の方から連絡がある。『うち来る?』
どこまでのサービスなのか確かめてみる。
『今日は泊まってもいい?』
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