第6話 熱帯夜にのぼせる。

夜見の隣に座っても、何ともなかった。緊張なんてしないし、むしろ眠ってしまったくらいだ。よく覚えてないけど、気が付いたら駅についてたし、私を見て、笑顔で手を振る夜見を見てもなんとも思わなかった。夜中に会ってから夜見がよくわからならくなってたけど、なんでもないじゃん。ただ、何回か話したことのある知り合いだ。変に意識する必要はない。蒸し暑い電車に乗り込んで、単語帳を開いたら、急にそんな考えが頭をめぐる。電車は動き出した。今日はなんとなく、運転が荒い気がする。そもそも電車の運転に巧拙はあるのだろうか。ただなんとなく、今日は足元が安定しないので、ドア前の壁に体を押し付けていた。




授業はいつもと変わらない。ただいつもと違うのは、今日は数学の先生が休みなので、世界史と交換するらしい。世界史か…夜見と隣の授業だ。ただもう昨日のことでわかった。夜見が隣にいても何も思わない。当たり前のことだ。今までがおかしかった。同級生の女子が隣にいて、何で緊張してたんだ。




一限が終わり、世界史の教室に移動するために廊下に出る。ロッカーから教科書を取り出す。廊下を歩いていると、目の前を歩いていた誰かが、筆箱を落とした。筆箱は汚れがついていなくて、とても丁寧に扱われているような印象を受ける。しかし、そんな待遇の筆箱でも、主人に地面に落ちたことを気づいてもらえなかったらしい。




筆箱を拾い上げ、持ち主に声をかける。腰のあたりまで伸びたサラサラの髪に触れないように肩を軽くたたく。「すみません、これ落としましたよ。」

すぐに振り向くと、笑顔でお礼を言う。鼻筋がすっと通っていて、狐のような目元はかわいいというよりも美人という言葉が似合う。こんな人、見たことないかも。上級生かな。

「あ、いけない。ありがとうございます!」その人を追い抜いて、早歩きで教室に向かう。




私が上級生だと思っていたその子は、同じ学年で、しかも夜見の友達だということが世界史の教室の席に着いてからわかった。教室に入って、夜見の隣の席に座る。まだ、夜見は来ていない。




チャイムが鳴る少し前、夜見が勢いよく隣の席に座った。「千夏ちゃん!おはよ!」こっちを向いて元気に挨拶をしてくるので、鬱陶しいと思いつつも「おはよ。」挨拶を返す。心は平常だ。なにも問題はない。これ以上夜見に話しかけられないように、教科書を開いて眺める。内容は頭に入ってくるわけがない。

「あれ、さっき筆箱拾ってくれた子だ。」聞いたことのある、高いけど耳が痛くならない、柔和な声が聞こえたので思わず左を向く。さっきの筆箱を落とした女の子が夜見の両肩に手を乗っけて私に微笑みかけた。夜見の友達だったんだ。




「え!あ、はい。」急に話を振られたので驚いてしまった。

「え?」夜見が何か言いたげな顔をしてたけど、少女は話を続ける。

「私、凜だよ。五十嵐凜。よろしくね、えっと、朝比奈さんだよね。実は昨日、駅で夜見と一緒にいたから、朝比奈さんのことみかけたんだ。」

「あ、そ、そうだったんだ、よろしく…五十嵐さん。」

テンポが速くてついどもってしまった。気まずくなる前にチャイムが鳴ってくれて助かった。




今日の授業では、グループワークをやらされる。四人でグループを作って話す。私と、五十嵐と、夜見でグループになった。もう一人、私の後ろにいるはずの子は今日は欠席だ。嫌なメンツだな。夜見と二人ならなんとなく話は続く。ギャルなだけあってか、夜見は話を繋げてくれる。ただ、夜見の友達がいるとなると別だ。私がいることで気まずくなりそう。



先生の指示で机をうごかしてくっつける。話し合った内容をプリントにまとめて発表するように言われた。こうなると必然的に会話が生まれるので、むしろ助かる。

「え、やばい。なんもわかんないよ。」夜見が早速ぐずりだす。しょうがない。世界史の担当は自主性が大事だとか言って、ろくに説明せずに私たちに投げる。

「私もわかんないよー。朝比奈さん助けてー。」私は空気になると思っていたが、意外なことに五十嵐はすぐに私を頼ってきた。発表の時にはだれが当てられるかわからなし、成績優秀な私を利用するのは自然だけど。なんだかよくわからないけど五十嵐は聞いてもないのにつらつらと話す。適当に聞き流して相槌を打っていたが、私が好きだった漫画の名前が聞こえて、ちょっと驚く。「それ、私も読んだことあるよ。」

「え?ほんと!朝比奈さんとは趣味が合いそうだなぁ」五十嵐はおどけるようにいった。そこからしばらく話が盛り上がった気がする。五十嵐と話すのは心地がいいかもしれない。夜見と話すときみたいに変な気分にならない。おそらく五十嵐も夜見と同じギャル。清楚系なんちゃらって奴だろうけど、なんとなく話しやすい。




夜見は元気がなさそうな顔で私を見ていた。友達とほかの人で盛り上がってたら面白くはない。私もその気持ちはよくわかるが、夜見に気を遣う理由はない。だいたい、いつもならもっと空気読まずに割り込んできそうなのに。



授業が終わった後、教科書やらをまとめて席を立とうとすると、五十嵐凜が私を呼び止めた。「ねえ、朝比奈さん、インスタとかやってる?」

「えと、うん。」

「繋がろ?これ、私の。」五十嵐はそういってスマホを差し出す。私もスマホを取り出して、彼女のスマホの画面上のQRコードを読みとる。

五十嵐とのやり取りはテンポがいい。不自然なくらいに流れがよくて、ついインスタを交換してしまった。

「あ、!」夜見がなにか言いいかけたが、五十嵐が夜見にくっついて、「じゃあ、またね、朝比奈さん!」そのままどこかへ行ってしまった。



五十嵐は、夜見に腕を絡めて廊下を歩いていく。ああいう風に、女子同士でいちゃついてるのはなんとなく気に食わない。二人を見ていたら、夜見がこっちを向く。と思ったらすぐに五十嵐のほうをみて笑う。やっぱり、男女問わずいちゃついてるのはムカつくな。

塾が終わって帰りの電車。スマホを眺めているとインスタから通知。開いてみると案の定五十嵐からだ。



『朝比奈さんーよろしくね!』私もよろしくと返しておく。3秒くらいで返信が帰ってくる。『千夏ってよんでいい?』

なんでギャルは名前で呼びたがるんだろう。ただ、初対面でいきなり名前呼びの夜見よりは礼儀をわきまえてると思うので、別にいいよと返す。




『やった、じゃあ私のこともりんてよんでー』私にとって名前で呼ぶということは、一定の関係であることを表していると思っている。もちろん、今日あったばかりの五十嵐がそのラインを越えてるかと言われればそんなこともないけど、この流れで断るのはさすがに厳しい。凜とすこしやり取りをしたあと、スマホをしまって単語帳とにらめっこする。

気が付くと最寄りについていた。

お風呂に入って、ご飯を食べて、布団をかぶる。だけれども、やっぱり寝付けなくて外に出る。時計の針は深夜零時ちょうどを指す。

今日はよく晴れているようで、月がきれいに見える。しばらく歩いて、結局いつもの街灯の下に行く。しばらくここで夜見に会ってないな。別に会ってもなんとも思わないし、いいんだけど。



月を眺めてぼーっとしてると、足音が聞こえて、ちょっと警戒する。田舎道とはいえど、変態が出没してもおかしくはない。ここでは夜見にしかあったことはないけど。鼓動が早くなってきて、顔に熱が集まる。たぶん、変な人がきたら怖いから…

近づいてくる人影は、見慣れたものだった。夜見が来た。

「やっほー、千夏ちゃん。久しぶりだね。」

「そうだね。」不審者ではなく、夜見だった。しかし、安心したはずなのに、胸は落ち着かない。




「あのあとさ、凛と話した?」夜見は隣に座り、こっちを向かずに言う。なぜか、声はすこし揺れてる。

「話したけど。」

「へえ。凜って内気なタイプだから、珍しいなって。」夜見は何が言いたいんだろう。腕を組んで歩くほど仲がいいの凜と私が仲良くすることが気に食わないのかな。そう考えるとなんとなく優越感がある。でもきっとそうじゃない。沈黙が訪れる。沈黙を埋める今日の蝉の声は、いつもより煩く感じる。




「あのさ、私ともインスタ交換…いや、ライン交換しない?」やっぱり。夜見は、凜に嫉妬してる。私じゃない。蝉の声が激しくて、耳鳴りがする。夏の夜のうだるような空気が私の肺を満たして、呼吸を奪う。不快に湿った空気が私を取り囲むのに、私の体は乾いて、震えがくる。おかしい。夜見と話すとやっぱりこうなる。きっとのぼせてるだけ。熱帯夜にのぼせているだけのことだ。

「…ライン?いいよ。」

「やったー!」夜見が私のほうをみて、目を輝かせて子供のように喜ぶ。

家に帰って布団に入るけど、やっぱりまだ寝付けない。




スマホが鳴る。夜見がちんちくりんな、かわいいペンギンのスタンプを送ってきた。

私は最初に入ってるスタンプしかもってないので、そのなかからかわいいものを選んで送り返す。スマホを閉じて、目をつぶると、眠りに落ちた。

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