刻の神様

Omochi

正義のシ者

 丑三つ時、常世と現世の繋がる時間。辺りに人の気配は一切無く、忙しく道路を行き来する車の姿も見えない。街灯と月明かりに照らされるいつも通りの街の風景が、何故だか酷く不気味に感じられる。何もかもが息絶えてしまったかのような錯覚を覚えるほどに静かな道を青年、赤羽真守は歩いていた。


 冬休みが終了してから3週間。大気には未だ冬の冷たさが残留したままで、春の先端は全くと言っていい程に見えてこない。そんな吐く息が濁る気温の中を、白いTシャツの上に薄手の赤色パーカー1枚で闊歩する彼とは対照的な、寒さで縮こまっている頭上のつぼみ達に真守は視線を向ける。


 彼が歩いている道の両脇には幾つもの桜の木が植えられており、春にはそこそこの人が集まるちょっとした観光名所となる場所だ。昔はよく家族と一緒に来たものだが、ここ数年はパッタリとそれが止んでいたことを思い出す。


 咲いたら、櫻と一緒に来ようか。


 桜を背に微笑む可愛らしい彼女の姿を想像しながら、真守は足を前へと動かす。

 カモフラージュのために背負ったリュックを揺らしながら、まだ色の無い桜並木を通り過ぎ住宅街へするりと入っていく。そしてその中腹辺りに、それは佇んでいた。


 視界にそれを収めた途端、何処からともなく悪寒を感じる。周囲の家の中には寝静まっているだけで確かに人が居るはずなのに、何故だか今自分の居るここが幽霊の蔓延る街、ゴーストタウンのような錯覚を、真守は覚えていた。


 宇宙人がUFOか何かで上からポンと落としたかのような、そんな不自然な位置にあるこれが真守の目的地であった。


 放置されてから相当経っているのだろう。青銅色の門扉は酷く錆び付いており、敷地内には雑草が好き勝手に生え、レンガでできた壁面は所々がひび割れていた。


 そこで一度、深呼吸。気合のギアを上げてから、門扉に手を掛け跳躍。軽々とそれを飛び越え、闇の中へと真守は溶けていく。


 院内と院外の境界を越えた瞬間、邪気とでも言おうか。得体の知れない嫌悪感と重圧を増した空気が、彼の喉元を食い破らんと絡みついてくる。唐突なそれに思わず顔を歪めるが、歩みは止まらない。


 廊下に散らばる砕けたガラスの破片を踏み潰す度に不愉快な音が耳を刺す。


 そして、外部から差し込んでくる僅かな月明りすら見放した深淵で、彼は影を見た。


「――っ」


 思わず、息を吞む。人の形、だが人ではないヒトガタ。


 こちらを睨む眼はシェイクされたみたいにぐちゃぐちゃで、鼻はあるべきはずの穴が塞がれており、全身の肌は二次元(フィクション)の悪魔のように赤黒い。


 ――そういえば此処は、産婦人科だったか。


 入った直後に目撃した、汚れた案内板。それに書かれていた文字を思い出し、それ以上、真守は目の前の物の正体について思考する事を放棄した。


「……ごめんな」


 誰に向けてでもない謝罪の言葉を、彼は漏らす。


 生きる事を拒否された命。何も残す事なく居なくなってしまったモノの、唯一の残留思念。それを今から、自分は消し去る。

 

 それは、今この場に立っている自分自身がやらねばならない事だ。


 そう言い聞かせてから、真守はリュックの中に入っていた短刀を取り出し――鞘の落ちる音が、院内に木霊した。

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刻の神様 Omochi @muryoku

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