エピローグ:裏切り者の優しい魔王

「何故でしょうね」

「……」

高揚した心が落ち着いたのか、榧木琴子は静かに呟いた。

「何故、先祖の望みを子孫だからと叶えなければならないのでしょう」

榧木琴子は言葉を続ける。

「分かっております。初代女王が受けた呪いを魔王が解かなければ、王国は呪われて不毛の大地になったでしょう」

ですが、と。

榧木琴子は続ける。

「オリヴィエ様は…魔王と共に生きることも出来た筈なのに」

彼女の声は虚しく響いた。


「愛していたのか。オリヴィエは、魔王を」

俺の言葉に、彼女はゆっくりと首を縦に振る。

「……何もかもが遅すぎたんですけどね。嬉しそうに話してくださいました」

あの御方はどうだったのかは分からないと悲しげに告げる。




ああ、それで。

それで、『拒んだ』のか。血狂いのオリヴィエは。

羽人初代女王が巡らせた結界は、シルヴィアの血統ならば解除が可能だ。

魔王を国へ招くことも出来たのだ。

だが、それを拒んだ。

魔王を愛していたから、その愛を拒絶した。


あの女の目的は、復讐なのだから。

己を。己の最初の子供を滅茶苦茶にした者たちへの復讐。

新たに宿した自分の子供を使って、だ。

幸せなど望んでいないからこそ、あの国で生きていく道を選んだ。


……それを、血狂いを妄信する眼前の従者に告げるのは憚れた。


「もしも、俺を愛してくれる不器用な女性がいたら。

必ず会いに行く。拒絶されても、傍にいて支えようとするよ。

たとえ、それが破滅への道でも構わない。一緒に堕ちる覚悟はある」

「ふふ、随分と熱烈ですこと」

「例えばの話ですよ」

「……少々熱を込めすぎて疲れてしまいました。

魔国の話は此処まででよろしいでしょうか?ユイにご飯を作らないといけませんし」

「はい」

「これで失礼しますね」

「えぇ、とても有意義なお話が出来ました。

また機会があれば、是非ともお話を聞かせてほしいくらいに」

「――考えておきましょう」

榧木琴子はそう述べて席を立った。


姿が見えなくなって、俺は煙草を口に咥える。

「みせいねん」

「あー……」

アヌベスの一言で、マッチを擦る手を止めて頭を掻く。……この国じゃあ未成年が吸うもんじゃないと禁止なのだった。

「さっきのねつれつな告白」

「んー」

「まおうさまがオリヴィエに言ったやつ?」

「……そうだな」

口に火のついていない煙草をくわえたまま俺は呟く。

先ほどのあれは、魔王の本音だった。


榧木琴子が知らない話を俺は知っている。

魔王はかつての仲間を裏切る覚悟を決めたこと。

裏切るといっても、仲間を陥れるだとかそういった悪意ある類ではないが。

300年前に己の心に沈めた恋心を表に出しただけ。たったそれだけの事で世界は変わるのだ。

狂気に堕ちた初代女王の恨みを買うことも厭わず。

恋心を抱いた創世のシルヴィアではないと分かっていながら。

魔王は彼女の子孫オリヴィエに恋をした。愛した女が護ろうとしたもの全てが壊れゆく姿に耐えきれず、あの手この手で助けようとした。

だから、魔王とオリヴィエの娘である、原罪のシルヴィアだけは呪いから免れた。全ては、愛するオリヴィエを救う為に。


そして、その目論見は成功した。

だが、代償は大きい。

愛するシルヴィアを奪われたと。子供までこさえたと、狂気に堕ちた女王を敵に回した結果が現在も拭えぬ悪評なのだ。

……当人は気にもしないだろうが。


「キリウス」

「何だ?」

「キリウス、も。オリヴィエみたいにおかしくなったら」

「うん」

「こわそうか?」

「…最後の最後にそうしてくれ」

「ん、まおうさまの話し、いっぱい聞きたい。ので、さいごがいい」

原罪のシルヴィアは災厄の魔女がもたらした因果の呪い『から』は免れた。

だが。

初代女王がそうだったように、新たな呪いに常にさらされる。

「ハンク家の系譜は全部洗い出さないといけないな」


願わくば。

俺が最後のハンク家の血族でありますように。

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