9:壊れた心

おかしいと思いませんか?……ふふ、思いますでしょう?

どうして今も魔人は人喰い種族だと悪名が流れているのでしょうか。

魔王が悪事を働いたから?いいえ、違います。

だって、彼は真の意味で救えなかったのです。

彼が愛してやまない、かつての仲間を。


貴方は知っていますか?

――壊れた心を治す方法を。愛する者を喪った悲しみから立ち直る術を。

殺され続けた心を癒す魔法を知っていますか?


人の心は、どんな薬でも魔法でも癒せない。

どれだけ時が経とうとも、忘れようとしても、心に空いた穴は塞げない。

それが人の心の仕組みだから。

だからこそ、女王は救われなかったのです。

災厄の魔女リュシカが受けた苦痛を。怒り、憎しみ、悲しみといった感情の濁流に吞まれたから。

150年もの間、御身に受け続けたのですから。……ええ、そうですね。

魔王も、羽人女王も。人間と共に生きながら、人間をわかっていなかった。

彼らにとってろうそくの灯のような儚い寿命を持つ人間の意志の強さを。爆発的な感情を。

人間の呪いを甘く見ていたのです。羽人一族は。

たった150年?いいえ、そうではありません。

コトリノ王ですら恐れた人間の意志の強さを、呪いという形で受け続けては正気ではいられません。

羽人女王は、災厄の魔女の呪いを受け続け、狂っていきました。

魔王の分裂体は、女王の心から懇々と湧き出す狂気が新たな呪いになっていることに気づきましたが、喰らった災厄の魔女の呪いの負荷によって分裂体は崩壊してしまいました。


その後、復活した初代女王によって女王代行は廃されました。

それでも女王は病床に伏せていることに変わりはなく、女王の狂気も相まって魔女狩りは続きましたけれど。

周囲の者たちは女王の狂気に殆ど気付いていませんでした。


血狂いのオリヴィエ様がそうであったように。

狂ったとしても、ある特定の思考に囚われて動くことができます。

だから女王の周りにいる臣下ですら、狂気に堕ちた女王に気付かなかった。

あら、察していますか。そうですよ。

初代女王の狂気は『シルヴィアへの執着』です。


英雄騎士シルヴィアの為ならば、彼女の子孫を生かしもするし殺しもします。それがシルヴィア…、ハンク家の繁殖管理と言えばいいでしょうか?ふふ、だからでしょうね。

女王の呪いは終わりませんでした。


一度は綺麗にしても、呪いが昏々と湧き上がるのです。ありとあらゆる負の感情が呪いとなって女王を蝕みました。

中途半端に蘇った結果、女王自身も魔王を恨むようになったのです。

それは呪いで痛む身体のせいでしょうか。

それとも、魔王が人間を愛する様を曲解したからでしょうか。

狂った心とは真意が読み取れないものですね。


呪いが女王の肉を腐らせ、その身が朽ち果てていこうとも、女王の心が救われることは決してありません。

なぜなら、女王は死ねなかったからです。

羽人は長命ですから。何より、彼女自身が持つ強大な魔力が、肉体が崩れようとも生命維持のため術式を構築し続ける。

病で死ぬことも老衰で逝くこともできずに生き続けるのです。

そんな地獄があったとしたら、それを想像できまして? 女王は死のうと何度も試みましたよ。

しかし、『シルヴィア』が彼女を現世に繋ぎとめてしまった。

愛も呪いとなりますから。

………。愛。




愛してる。どれだけあの方が狂おうが、私はあの方を愛してる。

私たち家族に救いの手を差し伸べた。

言葉もたどたどしいわたくしに寄り添って読み書きを教えてくれた。

異国の地で孤独に震える夜には手を握ってくださった。

そして、わたくしがこの世で最も美しいと感じた瞳を私に向けてくれた。

あの方は私のすべてだった。全て。全て全て全て。

だから私がお守りする。たとえ、あの方の傍にいることが許されなくても。




…………ああ、すみません。少し取り乱しましたわ。

貴方の前でこんな醜態を見せるなんて……。ふふ、大丈夫ですわ。もう落ち着きましたから。

さあ、続きを話しましょうか。


女王は生き続けました。

シルヴィアが、再び現れるまで。

だから、羽人一族はハンク家を徹底的に管理した。

シルヴィアを狂った女王の御前に差し出すため、愚者でも容易く功績を上げられるように魔女狩りも横行した。……生贄に近いかもしれませんね。

そして、シルヴィアが短命の生を終えて力尽きればまた次のシルヴィアが来るまで。

女王はずっと、ずっと、ずっと……。

永遠に終わらぬ悪夢に囚われたままだったのです。


魔王はそんな女王を救おうとしました。

憎悪の言葉を吐かれようとも見捨てなかった。

魔王はほうぼう手を尽くして分裂体を送り込み、呪いを喰らい、女王が死ぬまで看病を続けようとしました。

しかし、そんな付け焼き刃な治療は効果がありません。

魔王自身、災厄の魔女の呪いを食べた後は長期の休息が必要ですから。分裂体も、呪いを喰えば喰うほどに弱り、食べ残した残滓はファインブルク王国の害となります。

やがて、分裂体を作る魔力すら失ってしまうでしょう。


そんな魔王の元へ、黒翼の魔女が現れたのです。えぇ、何時ぞや言いましたね。

初代女王ベアトリスと全く同じ容姿の魔女です。違うのは髪色と瞳の色くらいでしょうか。

……ああ、漆黒の翼も女王と異なりますね。

彼女は魔王へ囁いたのです。「女王を救う方法がある」と。

魔王は、どんな気持ちだったのでしょう?

分かっていたのです。

魔王も方法を見出していましたから。

ですが、それを実行できなかった。

首を横に振って拒む魔王へ、黒翼の魔女が笑って言いました。


「もう水門は開いたわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る