5:歪められた歴史
私たち人間というのは、時に強い意志を持って行動し、時に愚かな過ちを行います。
……圧倒的に後者を選ぶ者たちが多いのは、割愛しましょう。
多種族から見れば短命である故に、印象操作をしやすく御しやすいのでしょうね。
50年も経てば、かの戦いの記憶も薄れてしまい、己が主君たる羽人に功績を上げるために魔国に唾を吐いたのです。
100年経った頃には、魔国は人喰いのケダモノだという認識にすり替わっていたのです。そうして、再び戦争が始まりました。
魔国の認識がすり替わりだした時期、他の獣人やエルフ…当時の創世の英雄やその子孫が原因不明の死を迎えております。
そうですわ。
ベアトリス様が呪いに蝕まれ、日中の大半の意識が混濁。それによってベアトリス様の御身に施された結界が弱まり始めたのがその時期です。
何者かが魔国を貶める悪意を流した。嘘を証明しようにも魔王の真実を知る者は死に絶え、冤罪でかの御方へケダモノの烙印を押したのです。
災厄の魔女の呪いを代行するかのように、何者かが少しずつ世界を侵食し始めました。
ええ、そうですね。今、この世界は歪んでおります。
歪みの原因が何かまでは、ハッキリとは分かりません。
ただ、言えることがあるとすれば、災厄の魔女と初代シルヴィアの因果が、この世界の歪みを生み出したということです。
魔人の名誉の為にも言っておきますが、原種の彼らは人肉嗜好主義ではありません。
ですが、人外の存在が人間や多種族の血肉を渇望し町や村を襲った記録があります。
では、誰が真なる人喰いでしょうか?ケダモノの所業を魔王に押し付けたかった者とは?
――ルガル山脈を越えた、北の大国ペレスリュカ。
そこには魔人と同じく呪いを喰らう存在がいます。
鬼人族と、それを統べるコトリノ王。
可愛らしい名前……、だとは思っていないようですね、貴方は。
アヌベスさん、小鳥ではありませんよ。
……分かっていますとも。この年齢の魔人の知能は本当に幼いのですもの。
さあ、話を戻しましょう。
北の大国ペレスリュカには、呪いを喰らい糧とする一族がおります。
彼らの名は鬼人と呼ばれています。
その実態は、呪いを体内に取り込み力に変える特殊な血筋の末裔たちです。
その特性は魔人と変わりありませんね。
元は同一種族だったとも、魔王とコトリノ王は双子だとも言われていますが、真偽は定かではないのです。
ああ、コトリノ王の名前の由来ですが。
鬼王は生まれて間もない子を喰らい、力を得ています。故に、子取り。子喰らいの王と呼ばれているのですよ。
ええ、そうです。
彼は因果律を捻じ曲げた鬼人なのです。
そして、彼は災厄の魔女の呪いを、力を、取り込むことができる。
魔王はずいぶん苦労して災厄の魔女の呪いを飲み下したようですが、コトリノ王は違います。
喰らった子らの嘆きを糧に。子らの苦痛を対価にしていますから。
呪いは負の感情を好みます。
怒り、悲しみ、恨み、憎しみ。そういった感情を好むのです。
コトリノ王はそれらを取り込み、より強い力を欲している。
その先にあるのは、さらなる呪いの解放でしょうか。
……まあ、私個人の印象ですけれど。
魔人の王は、そんな狂った鬼王を封印するために力の大半を使い果たした状態で参戦していたのです。
言いましたでしょう?大陸を分断するほどの広大な山脈のことを。
聖なる精霊の力が最も効果を発揮するほどに高く、空気の澄んだ標高の山脈のことを。
あれは魔王が人々を守る為に太古に作り出した人工山脈なのですよ。
……貴女が魔王に注がれる汚名に過剰に反応するのも分かる、壮大な行いですね。
魔王は己の命を削って、世界をあの外道鬼王から救ったのですもの。
魔王はコトリノ王を天然の広大な牢獄に閉じ込めながら、災厄の魔女討伐に参戦していました。
先のことを考えながら。
災厄の魔女リュシカが破壊し、荒廃した大地へ何故すぐに生命が芽吹いたと思いますか?
魔王の分身でもある人工山脈が大地を巡る龍脈を介して、大陸中に撒かれた瘴気を吸い取ったのです。そのおかげで、他の英雄はリュシカにのみ集中できた。復興も早いペースで成し遂げられた。
そんな彼を、ベアトリス様の呪いを解けなかったからと言って、誰が責められますか? 彼は何も悪くない。
悪いのは、ベアトリス様の寵愛を受ける初代シルヴィアと魔王を妬み、貶めようとした者たちです。
ええ、ええ。
魔王がベアトリス様の呪いを解く方法を見つけられなかったのは事実です。
その時は。あの時点では。
魔王は何もしなかった訳ではありません。
大地を蝕む瘴気を食らい、仲間の命を脅かす呪いを食らい、人々が生きやすい世界に戻した。
相当な負担だったでしょう。
でも、何も言わずに仲間のため人々のために手を尽くした。
その結果が、かのルガル山脈の周囲に広がる美しい花々の咲き誇る光景です。
闇を糧にする存在がこの世界で最も清らかな御心を持っているなど、皮肉なものですね。
……わたくしの知る羽人の殆どは真っ白い翼が張りぼてのような、傲慢で醜悪な心を持っていたというのに。
魔国では今もなお、彼の偉業を讃えております。
魔王が居なければ、魔国はなかったかもしれないのです。
そして、魔国がなければ、この世界に生きる人々は滅びていたかもしれません。
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