第3話

「何が言いたい?」


「うーんとねえ」


 象巳は、机の上に乗って足を組んだ。 


 行儀が悪いと思った。


「今――椚原君は行儀が悪いと思ったよね。そしてそれを、私に指摘しようと思った。だけれど、指摘したところで――指導したところで、私がこれから一生、机の上に乗らないとは限らない、スカートの中身がわざと見えるように足を組まないとは限らないよね。見えないところで繰り返す可能性がある」


「そりゃそうだ。犯罪者は犯罪を繰り返すように、人間は人が見ていないところで、繰り返す生き物だからな」


「その度に指示して指摘して指導しようとしていたら、身が持たないと思わない? 例えば、そうだなあ、いじめ! いじめはどうしてなくならないと思う?」


「人間が、弱者や異端者を差別しようとする生き物だからだ」


「それは結果論だし、抽象論だよね。人間がそうだから許容されるんじゃ、いじめられている側は報われない。いじめが無くならない理由はいくらでもあるだろうね。じゃ、そのいじめをなくすためには、どうしたら良い?」


「どうって。それこそ、地域とクラスが連携して、学校側が対処すれば良いだろう。不可能な場合は外部機関を頼ったって良い。一人でどうにかしようとしないこと――それが重要なんじゃないのか」


「そうだね。だけれどそれでも、絶対にいじめは無くならない。それは君が指摘した通り、人間は弱者や異端者を排斥しようとする生き物だからね。本当にいじめをなくすためには、それこそ――」



 



 この時初めて、象巳の悪戯っぽい笑みが、凄惨さを帯びた。


「…………」


 僕はいつも通り、この女の屁理屈へと返答しようと思ったけれど、しかしできなかった。僕自身も、思ったことがあったからだ。犯罪者が全員死んでしまえば、世の中は平和になるのに――と。しかしその死をどうしようだとか、自分から積極的に殺害しようと思ったわけではない。


 しかし、僕は天才的な頭脳によって気付いてしまった。本質的には、僕と象巳は、ひょっとしたら同じことを言っているのではないか、と。


「悪いこと、狡いこと、酷いこと――これらを本当になくそう、根絶しようって思った時には、どうしても法律の向こう側にいかなくっちゃならなくなる。戦時中は人を殺しても刑法には問われないでしょ? それと一緒だよ」


「それと、この窃盗が何の関係がある」


「大ありだよ。私は、この学校から悪いことを根絶しようと思っている。だからこそ、、盗んでいる」


 手の上にあるアイフォンを、くるくると回した。


 それもまた、誰かから窃盗したもの、なのだろう。 


「…………」


「盗難に遭えば、被害届を出すくらい高価なものだってあるよ。スマホとかゲームとかね。。学校に必要のないものを持ってきている。持ってきた人達は、盗難に遭ったら被害届も出せないし、教師や親に相談もできないよね。。必要のないものを持ってきているんだから――持ってきた奴が悪い。これは実質イーブンみたいなものじゃない?」


「イーブン、だって?」


 その台詞には、納得がいかなかった。


「悪いことを断罪しているから、犯罪行為は容認されるべき、とでも言うのか?」


「そうとは言っていないよ。私は犯罪を行っているって自覚はあるし、何なら警察に捕まっても良い。それでもこの学校がより良くなれば、それで良いって思っているの」


「……より良く、だって?」


「まるでそんなものが程遠いみたいな顔ねえ」


「そりゃそうだろう。犯罪を止めるために、犯罪をするだなんて、本末転倒にも程があるだろう」


「ふうん……そっか。椚原君は、犯罪のない世界が、良い世界だと思っているんだね」


「……違うのかよ」


 そこが、僕の根底であった。


 根っこの部分、それを否定されるのなら、僕だって黙ってはいない。


 それこそ、戦争しかなくなる。


「私とは少し考え方が違うな~ってだけ。犯罪のない世界を作るためには、まず世の中の犯罪をなくす必要があるじゃない? そしてそのためには――こちら側も犯罪行為に手を染めなくてはならない、結局永続するんだよね、虚終龍ウロボロスみたいに」


「……それは」


 それは、うなずかざるを得なかった。犯罪者が全員死ねば良いのにと、一度は思った自分である。それができないから――こうして草の根運動に興じているということもある。


「だから――逆に犯罪が横行すれば、犯罪が当たり前の世の中になれば良い。誰もが当たり前みたいに法律違反をして、それを取り締まるために違反をすることが許される世界」


「……そんなものが」


 そんなものが実現可能か――と、言おうとして辞めた。僕の犯罪のない世界よりも、断然現実味のある世界だったからである。


 だって今の世の中は、大半がそうじゃないか。


 赤信号は人が見ていないところでは無視する、ゴミは決められた日に捨てない、スーパーの袋や箸を多めに持っていく、隣の家の畑から勝手に野菜を拝借する、気付かなければ何をしても良い、バレなければ何をしても良い、怒られなければ何をしても良い、そんな考え方が当たり前みたいに横行していて――犯罪が当たり前である世界に、とても近い。


 そして今、象巳は、その世界の実現のために、自ら実践して犯罪行為を働いている。


 体育の間の空いた教室で、学校に持ってくるべきではない物を勝手に没収し、勝手に破棄するのだろう。


「別に良いよお、先生に告発チクっても」


 まるで当たり前のように、象巳はそう言った。


 今まで浮かべていた悪戯っぽい、笑みを消して、続けた。


。どっちにしたところで、君の生き方はここで終わるんだけどね」


「…………っ」


「無理なんだよ。だから、犯罪のない世界なんてさ。それに対して、私の世界は実現により近い。現実的だよね。どう? こっち側に来ない?」


「僕は――」


「君だって、思ったことあるんじゃないの? 犯罪者が全員死ねば、良い世界が訪れるんじゃないかって。地道に根を抜いていくより、焼畑にしちゃう方が楽だって。」


 図星であった。


「私の世界では、それを肯定する。それを容認する。犯罪を止めるために、犯罪をする事を許す。私が許す――。そうすれば、本当に理想的な世界が訪れるって思うんだよね。私は。今と変わらないまま、変化しないまま――誰も無理しないままに、異常者だけを、犯罪者だけを排斥はいせきすることが許される。そんな緩くて簡単な世界、どう?」


 象巳は、手を差し伸べてきた。


 僕は。


 僕は。


 僕は。


 僕は?




(続)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る