男女比1:100の世界に入れ替わりTS(5/5)
俺は煮詰まっていた。
賞に応募する新しいマンガのアイデアがなかなか思いつかないからだ。
高校で授業を受けている間も家にいる間も、ここ何日かはずっとそのことばかり。歳の離れた妹にまで心配されて気分転換を勧められる始末。
このままじゃいけないのはわかっているけど、打開策が見つからない。
「ただいま」
家から帰ってきてまずしたことはため息をつくことだった。
普段なら鼻歌でも歌いながら制服を脱いで趣味に打ち込むところだが、その趣味が上手く行っていないのでは宝の持ち腐れだ。
何か本でも読んで発想を飛ばすか。自分の本は当然読んでしまっているし、ここはいっそ妹の持っている少女マンガなどからネタを──。
「ん?」
俺はそこでようやく、玄関に見慣れない靴があるのに気づいた。
サイズは妹と同じくらい。可愛らしい女の子用の靴。
友達が来ているのか? 珍しい。大人しくて読書家の妹は誰かと遊ぶより静かに本を読んでいるのを好む。俺が女子の相手に疲れていることも当然知っているので人を連れてくることは殆どない。
まあ、さっさと部屋に引っ込んでしまえば顔を合わせることもない。
そう思って廊下を歩いていくと、
「お帰り、お兄ちゃん」
「こんにちは。お邪魔しています、お兄さん」
「あ、ああ」
どういうわけか妹のほのかが部屋から顔を出してきた。
それだけなら別にいいのだが、後ろからひょっこり顔を出した知らない女の子が問題だった。
女子は苦手だ。
小学校、中学校でさんざんアプローチをかけられたせいで少々トラウマになっている。なので高校は数少ない男子校を選んだ。
登下校もタダみたいな値段で送迎を頼めるのでそれを利用している。高校に入って一年と約二か月、必要以上に女と関わらなくて済む生活はとても気楽だったのに。
俺は彼女に「こんにちは」を返した後で妹を睨んで、
「おい。どうしてわざわざ」
するとほのかは「大丈夫だよ」と小さく答えてさらに付け加えるようにして、
「香坂さんは私の読書仲間だから」
「読書仲間?」
言われて、再度女の子を見つめる。
あらためて見るとすごく可愛い子だ。
小学校時代のクラスメートの誰より可愛い。髪はさらさらで肌はすべすべ、煌めくような瞳でこっちを見上げてくる姿はとても愛らしい。物語の世界から飛び出してきたような女の子だ。
「初めまして、香坂美桜です。よろしくお願いします、お兄さん」
「ああ。こちらこそ」
応えながら柄にもなくドキドキしてしまう。
こんな子が本当に「読書仲間」なのか? お洒落して男を落として幸せな生活を送るのが目標、みたいなお洒落女子じゃないのか?
妹の制服姿は見慣れているのにこの子が着ている制服はまるで別物みたいだ。清楚で可憐、こんな子とマンガみたいな学園生活が送れたらそれは楽しかっただろう。
と。
「あの。お兄さんはマンガやラノベが好きなんですよね?」
「え? ああ、好きだよ。君も読むの?」
「はい。この間『悪滅の聖槍』の既刊を読破しました」
「ああ、悪滅か」
女子にもわりと知られているメジャータイトルだ。
やっぱりファッション感覚でマンガを読んでるだけなんじゃないのか?
「今は一日一冊ずつ『クロスボウガール』を読んでいます」
「え、待って、なんでそこを選んだの?」
「面白そうだったので」
照れるように微笑んだ彼女──美桜ちゃんを見て、僕は前言撤回した。
『クロスボウガール』は掲載誌がメジャーなわりにかなりコアな作品だ。銃が一般的になった近未来SFの世界観にあってクロスボウという前時代的な武器に拘る美少女傭兵が主人公。血もドバドバ出るしメインキャラが死ぬこともザラなので女子には受けが悪い。
なのに美桜ちゃんは、
「登場人物のバリエーションが多いのも良いですよね。筋肉質なおじさんや偏屈なおじいさん、あ、近所の悪ガキもいい味出してます」
「わかる」
思わず声に出して同意してしまった。
こほん。
咳ばらいをして誤魔化しつつ認める。この子は確かにマンガ好きだ。気負わず俺に話しかけてくるあたりスクールカースト上位、生まれながらにして恵まれているタイプではある。ただ、ガツガツと男を「食い」に来るタイプではない。
「ほのか。こんな子とどこで知り合ったんだ?」
「クラスメートだよ。最近仲良くなったの」
大人しいと思っていた妹がなかなか積極的だった。
本好き仲間にそれだけ飢えていたのか。
それにしてもびっくりした。美桜ちゃんならこのままマンガのヒロインにしても映えそうだ。
マンガ?
そうか、マンガだ。
「なあ、美桜ちゃん。良かったらもう少し話し相手になってくれないか?」
俺は彼女に自分から頼んでみる。
「話し相手、ですか? ……もしかしてわたし、口説かれてますか?」
「違う違う。実は俺、マンガを描いててさ。何かネタになることがないかと思ってたんだ」
俺とも妹とも住む世界の違う女の子。
案外、面白いアイデアが飛び出してくるかもしれない。
◆ ◆ ◆
自分でマンガを描く人に会うのは初めてだ。
僕はわくわくしながらお兄さんの部屋に入れてもらい、橘さん──ほのかの部屋とは違ってごちゃごちゃした部屋でこれまでの作品を見せてもらった。
「……どうかな?」
「すごいです。絵、上手いんですね」
正直、思っていた以上の出来栄えだった。
絵も上手いし構図も工夫されている。プロでもやっていけそうなレベルだ。
ただ、あえて難点を言うなら、
「話の方はどうかな?」
「えっと、普通、ですね」
「だよね」
お兄さんは苦笑。
飾らない黒フレームの眼鏡をかけた少し痩せ気味の高校生。どこにでもいるような「同世代の男」に親近感が湧く。
「どうも話がうまく作れないんだ。今もアイデアが浮かばなくてさ」
「最近は原作と作画が別っていうパターンも多いですよね?」
「ああ。でも、声がかかるには賞でいいところまで行かないとだから」
賞を取るにはマンガを描かないといけない。ゆくゆくは原作者をつけてもらうにしても今は自分でストーリーを作る必要がある、か。
難しいところだ。
SNSで二次創作絵を投稿して編集者に見つけてもらう、なんて方法もあるとはいえ、こっちも確実ではないし。
手近で原作、とまで行かなくともストーリーの原案を考えられる人がいたらお兄さんは伸びそうな気がする。
数少ない男子。それもマンガ家志望となれば応援したい。
それに、実を言うと僕には彼の悩みを解決する方法があった。
「じゃあ、もしよかったらわたしの妄想を聞いてくれませんか?」
向こうの世界にはあってこっちの世界にはないマンガからストーリーを拝借する。
世界を越えたパクリだ。
◆ ◆ ◆
「空に島がいくつも浮かんでいる世界で空賊を目指す男の子の話、なんてどうですか?」
僕はこの子を甘く見ていたかもしれない。
美桜ちゃんが嬉々として語りだしたのは、とても小五の女の子の妄想とは思えないレベルの設定の数々だった。
「その世界には昔、偉大な空賊がいて、多くの人が彼に憧れて群雄割拠の時代を作っているんです。そこに才能溢れる主人公の男の子が殴り込みをかけるんですよ」
彼女の話しぶりには友達のはずのほのかでさえ目を丸くする。
即興で作っているとはとても思えない。以前から『妄想』していたのだとしてもなかなかのスケール。
「でも、香坂さん。連載ならいいけど、賞に出すならページ数短いよ? 話が大きくなりすぎちゃうんじゃないかな?」
「実際のお話は一つの島で完結させればいいよ。メインは主人公と悪者とヒロイン? くらいに絞れるし、最後は悪者をやっつけてヒロインを仲間に誘って終わり。王道じゃないかな?」
「悪者って、そいつはどんな悪事をしてるんだ?」
「うーん……例えば空賊狩りとかどうですか? そいつが空賊を取り締まっているせいでその島には空賊がいなくて、だから、小型の飛空艇を持ってて思い切りのいい主人公が活躍するんです」
なんかもう、普通にそのまま使えそうな気がしてきた。
俺は適当な紙を手に取ってメモを取る。
「もうひとひねり欲しいな。空に浮かぶ島とか空賊に関係があって、でもちょっと目先が変わるようなやつ」
「特殊能力を付けましょう。世界には珍しい秘宝があって、それを使うと不思議な力がもらえるんです。秘宝は一つ一つ効果が違うのでキャラクターごとの個性が出ます」
「じゃあ、悪役が空賊狩りなんてできてるのもその能力を持ってるからなんだね」
さらに、能力を得ると空の神様に嫌われて「風を読む」能力が衰えてしまうというデメリットも話している間に出てきた。
主人公は強いけど一人では空の航海に不安がある。
だから風読みの能力に長けたヒロインが加わることで旅が一気にしやすくなる。
「最後は二人で旅に出るところで終わり……か。普通に連載もできそうな設定だな」
「落選してもどこかのサイトに自分で連載する手がありますよ。同人から商業に行けるかもしれません」
そんな上手く行くかはともかく、この話は練ってみる価値がある。
聞いているだけでわくわくしてきたし、主人公や悪役のデザインも頭に浮かび始めている。
煮詰まって鬱屈としていたのが嘘のように胸が躍る。
俺にやる気を与えた張本人を見ると、彼女は自分のしたことがよくわかっていないかのようにきょとんとこっちを見つめ返してきた。
「美桜ちゃん、君、原作者の才能があるんじゃない?」
するとほのかも「私もそう思う」と乗ってくる。
「マンガは難しいかもだけど、小説家とか目指してみたらどうかな?」
「無理だよ、わたしには。文才はぜんぜんないから」
「そうなのか?」
尋ねると、妹は「うーん」と少し考えてから、
「……そう言えば、香坂さん作文は苦手だったかも」
「なるほど。それは残念だな」
でも、同時に少しほっとした。美桜ちゃんは魅力的な話は作れるけどそれを自分で世に出せない。
自分でマンガにできないから俺にネタを提供してくれているわけで、そう考えると俺にもこの子にはない長所があると思えてくる。
「美桜ちゃん、このネタ使わせてもらっていいかな? もちろん、何かお礼はするから」
「別に、お礼なんていいです。わたしもこの話がマンガになったら嬉しいですし」
謙虚にもお礼を固辞してくるので、俺はほのかと協力して彼女を説得、
「じゃあ、賞を取ったら賞金を半分こにしてください。それならいいですか?」
「ああ、もちろんいいよ」
俺は笑って条件を受け入れた。
俺が応募するつもりの賞には上位入選作品に「雑誌掲載確約」の報酬がある。
もし、本当に賞を取れたら賞金以外の報酬もきっちり半分こしよう。掲載時に「原案」としてこの子の名前も載せてもらおう、と心に決めながら。
◆ ◆ ◆
『本当に驚いた。香坂さんにあんな才能があるなんて』
『たまたまだよ。もう一つ別なの出してって言われても上手くいかないかもだし』
相談を終えた頃にはもう良い時間になっていたので、僕は急いで橘家を後にした。
なんと帰りはタクシー。
お兄さんの名義で依頼するとすごい割引がかかるというのと「暗くなると危ないから」という説得に申し訳ないけど甘えさせてもらった。
男が少ないうえに恋愛相手に困らない世界にも変質者はいる。
女の子相手にいやらしいことをしようとして捕まった女性のニュースは僕もテレビで見た。
お兄さんはマンガができたら読ませてくれると約束してくれた。
『そうだ。わたしも橘さんのこと「ほのか」って呼んでもいい?』
『いいけど。いいの?』
『友達なんだし普通だよ。橘さんもわたしのこと「美桜」でいいからね』
『……うん、わかった。美桜ちゃん』
ほのかとも仲良くなったので、帰ってからのチャットで名前呼びを許してもらった。
橘家にはこれから何度も通うことになりそうだ。
ただ、お兄さんのマンガが賞を取るのはなかなか難しいと思う。
才能の問題じゃなくて、こっちの世界と向こうの世界じゃ条件がいろいろ違うからだ。向こうで大ヒットしたマンガをそのまま出してもこっちじゃヒットしないかもしれない。
僕はこの件に関しては成功を祈りつつ、期待をし過ぎないようにした。
絶対賞を取れるなんて思ってたら「賞金半分」なんて大それたお願いはしてない。今回のマンガが駄目でもお兄さんがやる気を出してくれたらそれだけで意味はあるはずだ。
──なんて思っていたら。
しばらく後、お兄さんは僕がアイデアを出したマンガで本当に賞を取って商業誌デビューした。
僕が軽い気持ちで言った「賞金半分」は拡大解釈されて、ストーリー原案として名前が記載されることに。
これによって僕は嬉しさと驚きから悲鳴を上げることになったのだけれど、
「ねえ、美桜? 今度の日曜日なんだけど、読モやってみない?」
もっとびっくりしたのはマンガの原案として名前が出る前に雑誌デビューしてしまったことだ。
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