男女比1:100の世界に入れ替わりTS(4/5)
話はちょっと前に遡って。
登校開始から数日後、僕は初めて「その時」を迎えた。
「美桜ちゃん。次、体育だよ。行こっ」
明るく声をかけてくれる恋に「うん」と答え、体操着袋を手に立ち上がる。
誘われたのは仲が良いからが半分。きっと更衣室の場所も覚えてないと思われているのが半分。
初日にトイレの場所がわからず助けてもらったのは事実なので、今回は前もって確認済みだよ、とは言わないでおく。
自然と玲奈も加わって三人で更衣室へ向かうことに。
「今日は晴れていますしテニスの続きでしょうか」
「テニスかあ。汗いっぱいかきそう」
移動中は当たり前のようにお喋り。
女子は男子の何倍も話すのが好きだ。この学校はほとんど女子校なので廊下や通りがかった教室でも仲良く話す女の子たちの姿を見られる。
女子校に迷いこんだような気分。
不安になって自分の姿を確認すると長い髪に白い肌の
「美桜さん。テニスの仕方は憶えていますか?」
「憶えてる、と思う」
高校の体育でやったのでルールはわかる。
記憶を探りつつ答えると、玲奈は「念のためおさらいしておきましょうか」と優しい声を出した。「駄目だなこいつ」と思われたっぽい。
「あれ? そういえば燕条君──男子って体育どうするんだっけ?」
「本当に忘れてるんだね美桜ちゃん。男子は人数が少ないから女子と合同だよ」
五年生はもう一人男子がいる。体育はそのクラスと合同で、ラリーやサーブの練習なんかは基本的に男子同士で組むらしい。
「体育は男の子に格好いいところ見せるチャンスなんだよ。頑張ろうねっ」
意気込む恋に「怪我しないようにね」と返し、玲奈からテニスの説明を受けているうちに更衣室に着いた。
白がベースの清潔な空間。
中にはもう何人かの女子がいて、早い子は制服を脱いで下着姿だった。こういうのって隠すものじゃないんだろうか。小学五年生ならこんなものなのか。
僕たちは入り口に近いロッカーを選んで体操着袋を開いた。
「制服の下に着てくればよかったかな」
「私はそうしましたけれど、暑くなってきたので次からは普通に着替えようと思います」
「そろそろ衣替えだもんね」
カレンダーは五月の後半。
もう少ししたら夏服になる。薄着の女の子たちが日常を過ごす教室は男子にとってかなり目の毒なんじゃないだろうか。
この学校の体操着は上が汗を吸う素材のオーソドックスなもの。下はハーフやクォーター丈のパンツになっている。長さはどっちでも好きな方を使えばいいシステム。家にはどっちも用意されていたので僕は動きやすそうなクォーター丈を選んだ。
制服を脱いで体操着を羽織る。今日は朝からスポブラを着けてきたので下着を替える必要はない。
美桜の身体で運動するのは初めてだけどうまく動けるだろうか。
「……うーん。やっぱり美桜ちゃん肌綺麗だなあ」
「そうですわね。北欧の血が上手く出ているようです」
考え事をしていたら恋と美桜から肌を観察された。
他の女子の中にもちらちら視線を送ってきている子がいる。恥ずかしくなった僕は「あんまり見ないで」とやんわり二人を注意した。
授業内容は予想通りのテニス。
先生はまず最初に準備運動を指示。二人一組ということなので恋と組もうとしたところで、
「あれ? 燕条君──」
湊少年が所在なさげにぽつんと立っているのが見えた。どうしたのかと思っていると、合同クラスの女子が。
「あ、そっか。彼が今日休みだから」
どっちかが休むと相手がいなくなってしまうわけか。かと言って自分から女子に「組んでくれ」とは言いづらい。
もちろんみんな頼まれればすぐOKするだろうけど、
「美桜ちゃん。これはもしかしてチャンスなんじゃない?」
「恋。押して駄目なら引いてみよ作戦」
「でも、ここは押すところだと思うんだよっ」
肉食獣に自分から食べられに行く草食動物はなかなかいない。
うちのクラスはもちろん、普段湊と交流の少ない他クラスの女子も「チャンス」と目を輝かせて女子同士、視線による牽制を始める。
これは大変なことになりそうだ。
僕は本格的な争いが始まる前にと湊のところへ寄って行って彼に声をかける。
「燕条君。相手がいないならわたしが組んであげようか?」
上から目線の誘いに少年は案の定「はあ?」と反応して、
「要らない。……おい、橘。俺と組んでくれ」
「えっ。わ、私?」
クラスであまり目立たない大人しい女子に自分から声をかけ、肉食獣の群れから襲われるのを(無意識のうちに)見事回避してくれた。
良かった良かった。
ほっと胸を撫でおろした僕は恋と玲奈から「残念」と慰められ、三人のうち誰がハブられるか決めるためのじゃんけんを始めた。
◇ ◇ ◇
話を戻して。
「なるほどね。……やっぱりラノベも知らないタイトルばっかりだなあ」
橘さんと縁ができてから数日。
僕たちは散発的にグループチャットで会話を続けていた。話題はほとんどがマンガとラノベ。後はマンガ原作のドラマやアニメの話とか。
ラノベの方も男がいない影響をもろに受けていて最近の有名タイトルは軒並み僕の記憶にないものだった。ちょっと古い作品だと知ってるタイトルもぽつぽつあるものの、読んだことがないのであらすじだけでは同じ内容かどうか判断できない。
橘さんは本当に本が好きらしく知識量も僕とは格が違った。
『悪滅の聖槍』も読んでいて、僕が一日一冊ペースで書き込む感想にも快く応じてくれる。しかも、自分は最新話まで読んでいるのにネタバレなしの作品談義にまで付き合ってくれた。
素晴らしい神対応。この場合は女神と言ったほうがいいんだろうか。
おススメの本もいろいろ教えてくれる。
一度スイッチが入ると「あれもこれも」とどんどん名作を思い出すようで、僕の「次に買う候補一覧」はどんどん長くなっていった。
『すごいね。橘さん、本当にたくさん読んでるんだ』
『大したことないよ。本が好きだから読んでるだけだし、お兄ちゃんの本を貸してもらったりもしてるから』
『あれ、橘さんってお兄さんがいるんだ』
何気なく語られた家族構成に何気なく反応すると、橘さんからのメッセージがぴたりと止まる。
次にメッセージが送られてきたのは数時間後で。
『誰にも言わないで』
切実な印象を受けるその短い文章に『もちろん』と返した。
『みんなにバレたら大変そうだもんね。お兄さんを紹介してくれって』
『うん。だからみんなには言ってないの』
あまり触れられたくないだろうお兄さんの話題はそこで打ち切って本の話に戻った。
『悪滅も次で最新刊だから、次は何買おうかなあ。読みたいのが多すぎて困る』
ここでまたメッセージが数時間途切れて、
『じゃあ、うちに来る? 私の持ってる本なら貸してあげられるから』
意を決したのがわかるお誘いが送られてきた。
◆ ◆ ◆
香坂美桜さん。
学年で一番、もしかしたら学校でも一番可愛くて、お洒落で、友達が多くて、学校の成績もいい女の子。
スクールカーストで言うならたぶんトップ。親友の二人もお嬢様で可愛くて、私なんかとは住む世界が違う「すごい子」。
──香坂さんが事故で入院した。
五年生になって一か月が経った頃、私はクラスのみんなと一緒に先生からそれを知らされた。
詳しいことは誰が訊いても教えてもらえなかった。
燕条君にはあんまり心配かけないようにみんな香坂さんの話は控えていたけど、女子の間ではある噂が囁かれた。
香坂さんは事故じゃなくて自殺に失敗したんだって。
誰かが先生たちの話を盗み聞きしたという話だったけど、その誰かはわからない。そのくらい適当な噂話。
でも、事故があったにしては早いタイミングで香坂さんが退院したという話が(こっちはちゃんとした証言付きで)出てきて。
久しぶりに登校してきた彼女は傷ひとつなく可愛いままで、だけど部分的な記憶喪失になっていた。
薬物とか一酸化炭素中毒とかなら外傷はない。副作用で記憶がなくなってもおかしくない。辻褄が合ってしまったことで噂を信じる人が増え始めた。
香坂さん本人にも伝わらないようにしながら、周りの子たちは少しずつ彼女に気を遣ってた。
そんなことがあったからだろうか。
香坂さんは少し性格が変わった。前は燕条君と仲良くなるのが最優先、みたいな感じだったのに今は前よりずっと落ち着いていて大人になった感じ。
しばらく入院していたとは思えないくらい勉強もできる(社会はちょっと苦手みたい)し、運動神経も前と同じで抜群。
噂のことは「本当でも嘘でもいい。ただ、もう自殺なんかさせない」ということであっという間に落ち着いていった。
香坂さんは変わらずトップカーストのまま。
前よりも友達を大切にするようになって、それから少年マンガを読むようになった。
彼女の口から『悪滅の聖槍』の話が出た時、私が心臓の止まりそうな思いをしたのを彼女はきっと知らないだろう。
もしかしたら、友達になれるかもしれない。
分不相応にも程がある想いを、けれど私は抑えきれなくて、私はある日香坂さんに思い切って話しかけて、
◆ ◆ ◆
「お邪魔します」
「ど、どうぞ」
お誘いから二日後。
僕は他の友達からの遊びのお誘いをなるべく怪しまれないように断って、学校を出た後こっそり合流するという方法で人目を避けて橘さんの家にお邪魔した。
橘さんの家はバスでバス停二つ分先のマンション。
念には念を入れたのはお兄さんのことがあるから。下手に知られて話が広がると面倒くさい。
「あ、広い」
「大したことないよ。ごめんね、散らかってて」
謙遜とは裏腹にそこそこお値段の張るマンションだ。
入り口はちゃんとオートロックだし玄関からの通路も広め。確かにちょっと物が多いかな? という印象はあるけれど、
「お母さん、編集者で。忙しいから家にあんまり帰って来られないの」
「そうだったんだ」
じゃあお父さんは、と反射的に尋ねそうになるのを僕はぐっと堪えた。この世界だと男親と女親が揃っているのはかなり珍しい。
向こうの世界でもちょっとずつ当たり前になってきていた「気づかい」がこっちではもっとずっと当たり前だ。
「お兄ちゃんもまだ高校から帰ってないと思うから」
と、橘さんは自分の部屋へと招いてくれる。
靴を脱いで揃え、廊下を橘さんに続いて歩いていくと鼻をくすぐる慣れ親しんだ空気。男子のいる空気感とでも言おうか。小五の湊にはまだ感じない、向こうの世界では色んな意味で当たり前だった「男のいる空間のにおい」を僕は久しぶりに感じた。
こっちの世界は男が少ないせいか全体的に空気が爽やかというか、必要以上に清潔感で溢れている感じがある。悪いことではないけれど僕はこのくらいのほうが落ち着く。
「どうぞ」
「わ……!」
橘さんの部屋は本で溢れていた。
基調色は黒。本棚が五つもあり、その九割が埋まっているうえに勉強机にも本。それでも収まりきらなくて外付け本棚と本棚で挟み込むようにして文庫本が詰め込まれている。
ただ、努力の甲斐あって床に本が積み上がるような事態にはなっていない。本が多すぎるイメージはあるものの、できる限り整理整頓は施されていて落ち着きもある。
「すごいね」
心から言うと、橘さんは「……恥ずかしい」と俯いてしまった。
「そ、それより、好きな本を持って行っていいよ」
「ありがとう。でも、これはなかなか難問かも」
おススメされた本は橘さんが読んだ本なわけで。つまり、彼女かお兄さんの所有物である可能性が高いわけで。
リストから選ぶよりはマシだけど、どれにするか迷ってしまう。
何冊までならドン引きされずに了承してもらえるだろうか。いや、鞄の容量を考えても二、三冊にしておいた方がいいか。
と。
「……ふふっ」
不意に橘さんが笑みをこぼした。可愛い表情を思わずじっと見つめてしまうと「ごめんなさい」と慌てて、
「香坂さんが真剣に選んでるから、つい」
「あ、良かった。そういうことか。真剣すぎてきもい、とか言われるのかと思った」
「言わないよ、そんなこと。友達、だもん」
「そっか。友達だもんね」
美桜には友達がたくさんいる。それはもちろん元の美桜が作った交友関係なわけで、そう考えると橘さんは僕が自分で作った友達第一号と言えるのかもしれない。
気分の良くなった僕は「ゆっくり選んでいいよ」と言って自分も本棚を覗き込む橘さんと一緒に二冊の本を選んだ。
「それだけでいいの?」
「うん。あんまり多いとこっそり持ってくるが大変だし」
恋あたりが目ざとく見つけて「その本どうしたの?」と悪気なく聞いてくる未来が見える。
「返す時もお邪魔させてもらった方がいいかな? 学校で渡しても大丈夫?」
女子で溢れている学校内で二人きりになれる場所があるだろうか。考えつつ尋ねると、橘さんは少し驚いたような顔をして、
「また来てくれるの?」
「迷惑じゃなければまた来たいな。……だめ?」
僕は友達に甘えるようにしてそう答えた。
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