男女比1:100の世界に入れ替わりTS(3/5)

 次の日も、香坂は本当に俺に構ってこなかった。


「おはよう、燕条君」

「……おはよう」


 昨日と同じで挨拶だけしたらさっさと歩いていってしまう。

 机に鞄を置いて、友達と挨拶して、そのままどうでもいい話を始める。

 本当に例の作戦を続けるつもりなのか。

 どうせすぐに元に戻るんじゃ、と思ったけど、香坂は次の休み時間もその次の休み時間も特に仕掛けてこなかった。

 それどころか休み時間が始まるとすぐにスマホを取り出して何かし始めた。


「美桜ちゃん、なに見てるのー?」

「ああ、恋。マンガだよ。ほら」


 マンガか。

 香坂たちは男と女の恋愛ものが大好きだったはずだ。一冊の本をみんなで覗き込んでは「素敵」「憧れる」とか言ってるのも見たことがある。

 僕もマンガは読むけど、女向けのマンガはあまり好きじゃない。

 読むならやっぱり、


「あれ? これ男の子が読むやつじゃない?」


 なんだって。

 あの香坂が男向けのマンガ? そんなことあるわけがない。

 僕は興味のないフリをしながらつい耳をそっちに向けてしまった。


「読んでみると面白くて。恋も読んでみない?」

「うーん。私はあんまり好きじゃないんだよねぇ。男の子の読むマンガって戦ったり血が出たりするでしょ?」


 それがいいんじゃないか。

 宝物を見つけるために冒険したり、大切なものを守るために強敵と戦ったり。そういうのは本当に格好いいと思う。

 次にどんなことが起こるのかワクワクするし、主人公が負けそうになったりすると心配で次の話が待ちきれなくなる。


「恋愛もあるよ。男の子から命がけで守られたりとか、いいと思わない?」


 確かに。男向けのマンガにも女の子は出てくる。冒険についてきて足手まといになることもあるけど、守らなきゃいけない大切な人だったり、主人公にない能力で手助けしてくれたりする。

 一緒にいるうちに絆が深まって恋人同士になるのもロマンがあると思う。

 恋も「それはちょっと興味あるかも」と態度を変える。

 もしかして香坂は友達が興味を持ちそうな説明の仕方を狙ってやったんだろうか。


「私もあまり読みませんが、後学のために知っておくのも悪くありませんね。なんていうタイトルですの?」

「これはね、『悪滅あくめつ聖槍グングニル』」

「えっ」


 僕の大好きなマンガのタイトル。

 びっくりして声を出してしまうと、周りにいた女の子たちが「湊くん?」と不思議そうな顔をする。香坂たちの方を見る子までいたので、僕は慌てて「なんでもないよ」と誤魔化した。

 香坂があのマンガを読んでる?

 男子の間では有名だし、僕も別のクラスや他の学年の男子とこの話で盛り上がったりする。でも、女子にはあまりマンガの話はしたことがなかった。

 なんでって、馬鹿にされるかよくわかってないのに「すごーい」とか適当に褒められるからだ。

 そうか、香坂も読んだフリをしてるだけで、


「試しに読んでみるだけのつもりだったのに、昨夜一巻を読み終えちゃった。せめて一日一冊までで我慢したいんだけど、主人公が退魔師団に入るための修行が始まって続きが気になって」


 わかる。


「退魔師団というのは化け物を退治するための組織ですの?」

「悪魔や化け物を倒してみんなを守るための組織。格好いい男の子や男の人がいっぱいだよ」

「男の子向けのマンガのキャラってごつくない?」

「細身のキャラもいるよ。それに、逞しいのも男の人の魅力の一つじゃないかな」


 そうそう。

 少女マンガの男はだいたい細身で身長の高い美形で、やたらお芝居みたいなセリフを当たり前に吐いたりする。読んでると「こんな男いないよ」とツッコミたくなって落ち着かない。


「……男性がたくさん出てくるのは気になりますわね」

「気になるなら読んでみればいいよ。電子書籍なら場所も取らないし、一冊くらいなら大した値段じゃないし」


 香坂も恋も玲奈も家がけっこう金持ちだからお小遣いもたくさんもらっている。

 僕が私立に通えているのは男だから補助金? とかいうのが出ているからで、うちはそこまでお金持ちじゃない。毎月のお小遣いやお年玉をどう使おうかいつも悩んでいるというのに。

 羨ましい。

 でも、香坂が続きを読んでどんな感想を言うのかは気になる。


「うーん……。あ、そうだ。美桜ちゃん、もうちょっと先まで読んだら内容教えて。それから買うかどうか考えるから」

「恋はそういうの上手いよね。いいよ、教えてあげる」

「やったあ。美桜ちゃんありがとうっ」


 二人のやり取りを聞いて、僕は少し恋のことを褒めたくなった。



   ◆    ◆    ◆



「『悪滅の聖槍』の主人公は悪魔に家族を殺されて妹と二人きりになっちゃうの」

「ふんふん」

「妹も悪魔に取り憑かれててね。助ける方法を探すためと同じ悲劇を起こさないために退魔師団に入るんだ」

「妹さん思いのお兄様なのですね」

「敵の中には悪魔だけじゃなくて悪魔に取り憑かれた人間もいてね。そういう人はただの悪い奴じゃなくて悲しい過去があって、でも敵だから倒さなきゃいけなくて。読んでるほうはちょっと切ない気持ちになったりもするんだよね」


 今朝になってから三巻も買った。

 一日一冊ペースはなんとか継続中だけど、このペースでも一か月だとかなりの額になる。電子書籍で買ったのは正解だった。ポイント還元やセールを頻繁にやっているのでお小遣いを大幅に節約できる。

 これはストア側のキャンペーンなのでもちろん合法。

 お金がないからって違法ダウンロードとかは絶対しちゃいけない。


 学校では友達と話をすることが多くてあまり続きは読めないので、代わりに昨夜読んだ二巻までの内容から恋たちに面白さを伝えてみる。

 男子の好きな物を知っておくのは役に立つ、と聞いた他のクラスメートも何人か集まってきて、僕の話を興味ぶかそうにふんふんと聞いてくれた。

 お洒落女子グループが少年マンガの話で盛り上がる図。

 ちょっと変なことになってしまったけど、恋のテクニックと言い換えると合法になるのはなかなかのマジックだと思う。


「私も一巻買っちゃった。男の子と同じ読み方をしなくてもいいんだって気づいたら結構面白いかも」

「私も試しに購入しました。神話など古い作品を下敷きにしている部分があるので、そういう意味でも勉強になるかもしれませんね」


 次の日には恋たちを含め何人かが購入を表明。

 にわかにうちのクラスで少年マンガブームが巻き起こった。

 みんなで同じことをして感想を言い合う、というのはやっぱり面白いもの。女子だって少女マンガや恋愛ドラマなどでやっていることなので、初めてしまえば盛り上がれるみたいだ。

 ハマって続きを買う子がいたり、読みたいけどさすがにお小遣いが厳しい子がいたり、紙の本で買ってきて救世主扱いされる子がいたり。

 一週間くらいが経つ頃にはクラスの半分以上が盛り上がっていて、気づくと当のだんしが微妙に蚊帳の外に置かれていた。


「燕条君も仲間に入れてあげようか」


 なんか可哀想になってそう言うと、周りにいたみんながニヤニヤし始めた。


「な、なに? どうしたの?」

「ううん。ただ、美桜ちゃんもやっぱり湊くんのこと気になるんだなって」

「別に、そういうわけじゃ」


 しまった。そういう話になってしまうのか。

 単に僕は少年マンガの素直な感想を言い合いたかっただけなんだけど、女の子はやっぱり恋の話をしたがるものらしい。

 もともと恋愛テクニックだというのが口実だったのもあって、マンガを使って男子との仲を深めよう作戦が進行していく。


「ほら、湊さん? 美桜さんが仲間に入れてくださるそうですけれど?」


 あ、そういう言い方をすると。


「別に仲間になんか入れてくれなくてもいい」


 案の定、湊はぷいっと顔を背けてしまった。男子というのはプライドの高い生き物だ。してあげる、とか言われるとそれが嬉しいことであっても「いらない」と言ってしまう。ちょっと前まで男子をしていた僕にはその気持ちがよくわかった。


「ほら。燕条君もわたしたちなんかとは話したくないって」


 仕方ないのでこれを利用して湊との距離を離しておくことにする。

 わざと聞こえるようにそう口にすると、僕は彼からきっと睨まれて、


「本当、香坂は嫌な奴だな」


 本格的に彼から嫌われた感じになった。

 この一件によって女子の間の少年マンガブームはあっという間に下火になり始めた。趣味の一つとして読み続けると言う子はいるものの、みんなでわいわいやる感じじゃなくなり、グループごとにたまに話題に出るくらいに。

 ただ、中には上手いことこの機に湊に話しかけて仲良くなる子がいて、そういう子とは湊も好きなマンガの話ができたようだった。

 あんなこと言っていたくせにいざ話ができると嬉しそうな顔をしていて、なかなかちょろいなと思った。


 僕はそれからも一日一冊ペースでマンガの購入を継続。

 読み続けている『悪滅の聖槍』も十巻の大台を超えて既刊の終わりが近づいてきた。

 追いついてしまったらまた別の作品を買おうと思う。小学生だというのに美桜は一般家庭の男子高校生だった僕よりお小遣いが多いくらいなので心おきなくマンガが買える。

 元の世界にいた頃は趣味のひとつ、という感じで別に特別好きでもなかったのに、いざ気軽に読めなくなってみると逆にハマってしまうんだから僕の性格にも困ったものだ。


 と、そんなある日。


 僕は珍しく一人でトイレに行った帰りだった。

 男子だった頃からうすうす気づいていたけれど、女子というのは連れ立ってトイレに行きたがる。

 効率が悪いし、混雑する原因にはこれもあるんじゃないか、と思っていたこの行動、女子の立場になってみるとその理由が少しわかった。

 一つは「トイレに行く」というのがなんとなく恥ずかしいこと。友達が行くのに便乗すればこの恥ずかしさが少しだけ和らぐ。

 一つはお喋りが大好きだということ。誰かと話している最中に話の腰を折ることになるので、相手も「じゃあ一緒に」となりやすい。

 後者は男子でもわりとある。単にあまりじゃれ合ったりせず、トイレもさっと済ませて「じゃあ先に戻ってるわ」とかなるので目立たないだけだ。


 それはともかく。


「あの、香坂さん」


 僕は教室に戻ろうとしたところで、普段あまり話さないクラスメートに声をかけられた。


「どうしたの、橘さん」


 ショートに近いおかっぱの髪、でも印象としては大人しいタイプの彼女はどこか周りを気にするようにしながら僕に顔を近づけて、


「香坂さんってマンガとか好きなの?」


 なにかと思ったらマンガの話題だった。

 思い返してみると、彼女は自分の席で文庫本を開いていることが多かった気がする。なるほど、本の話がしたかっただけか。

 別に人目をはばかるような話でもない。とはいえ、大人しい子はからかわれる対象になりやすい。所属するグループも違うので話しづらかったんだろう。

 さりげなく足を動かして端に寄り、階段スペースに隠れるように促すとほっとしたように彼女も続いた。


「けっこう好きだよ。最近は毎日読んでる」


 読んでるのが向こう世界で言うトップクラスの作品なのであまり威張れない、というのは置いておく。

 橘さんはこれに目を輝かせて、


「じゃあ、ライトノベル……とかはどう?」

「あ、ラノベにまではまだ手が出てないかな」


 向こうの世界ではいくつか読んだ。きっとあのジャンルも変化が激しいだろう。

 良い返事ができなかったのでがっかりされたかと思ったら、意外にも橘さんは「興味は、あるんだ?」とさらに踏み込んできた。

 考えてみると、興味がないなら「らいとのべる? なにそれ?」が正しい反応だった。ラノベと口にした時点で「どういうものかは知ってるけど読んだことはない」と言っているようなものだ。


「うん。興味はあるよ。橘さんはそういうのも読むんだ?」

「読むよ。本はなんでも好きだけど、物語が一番好き。マンガとかライトノベルはわくわくするお話が多いから良く読むの」


 教室では目立たない感じだけど、そう語る橘さんの表情は生き生きしていた。正直、可愛いと思う。思い切って話しかけてくれたことも嬉しい。

 せっかくだからその気持ちに応えてあげたい。

 ただ、教室で話すのは難しそうなので、僕はスマホを取り出して彼女に言った。


「良かったらチャットで話さない? それなら誰にもバレないよ」


 彼女はぱっと表情を輝かせて「うんっ」と頷いた。

 こうして、僕のスマホのグループチャットには、新しく二人だけの会話グループが作られた。

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