苦労人の男爵令嬢は『実は』痛いのも苦しいのも恥ずかしいのも大好きです
白を基調とした広い大ホール。
床に敷かれているのは精緻に織られたワインレッドの絨毯。純白のキャンドルとクロスで飾られたテーブルが数多並べられ、新鮮な食材で作られた軽食と硝子製のグラスに入った美酒の数々を汚れひとつないお仕着せに身を包んだ給仕が丁寧に給仕。
参加者である学園の生徒たちはスーツやドレスに身を包んだ華やかな格好で酒や軽食、そして会話を楽しみ、みな生き生きと笑顔を浮かべていました。
今日は我らがアルディーニ王国が誇る王立魔法学園の創立記念パーティの日。
普段は勉学に鍛錬にと忙しい日々を送るわたしたち生徒にとっては貴重な息抜きの場でもあります。
わたし──セラフィーナ・レノ男爵令嬢もまたこのパーティを楽しみにしていました。決して裕福ではない我が家にとってなかなか手の出せないご馳走の数々に高位貴族の方々が纏う綺麗なドレス。会場の隅でそれらをひっそりと楽しめればと思っていたのですが……。
「アドリアーナ・アガッツィ。今日、この時をもって君との婚約を破棄する」
運命の悪戯か、はたまた神様が気まぐれを起こされたのか。
残念ながら、わたしには平穏にパーティを楽しむ時間は与えられませんでした。
「君がセラフィーナ男爵令嬢へ行った嫌がらせの数々は私の耳に入っている。王家はこれを重く受け止め、婚約破棄を決定した。何か異論はあるか」
会場へと響き渡ったのは若く凛々しい男性の声です。
輝くような金色の髪。大海を思わせる青色の瞳。柔らかい雰囲気の中に一筋の鋭さが垣間見える見事な美貌の持ち主であり、学年成績トップを誇る秀才。在学中である現在において既に次期王として認識され、臣下からの信頼も篤いお方。
第一王子エミリアーノ様。
彼の端正なお顔には今、険しい表情が浮かんでいます。彼が視線を向けるその先にいるのは深紅のドレスに身を包んだ美貌の令嬢。
「突然なにを仰るのですか、殿下……!? 今、婚約破棄と仰いまして?」
淡い色合いの金髪に燃えるような赤い瞳。
殿下と並び立てば「お似合いのお二人だ」と称賛の声が上がる美貌。序列第一位・アガッツィ公爵家が誇る長女、次期王妃として羨望と賛美を惜しげもなく受ける美姫、アドリアーナ・アガッツィ様。
常ならば悠然とした笑みを浮かべ上品に佇んでいる彼女は今、見るからに狼狽した様子で殿下を見つめ返しています。
「わたくしの聞き間違い、いいえ、何かの間違いではないでしょうか? このわたくしがその──セラフィーナ男爵令嬢に嫌がらせを行ったなどと」
アドリアーナ様の視線が殿下の傍ら、間の悪いことにというかよりにもよってというか、そんなところに立っているセラフィーナ男爵令嬢(わたし)に向けられると、生徒たちの間に大きな動揺が走りました。
楽しげな雰囲気が霧散し、一気に集まってくる視線。
音楽を奏でる楽師たちは突然の事態に一瞬、動揺したように曲を揺らした後、何事もなかったように演奏を再開しました。ただし、心なしか音量を小さめに。
──みなさんが動揺するのも無理はありません。
パーティを楽しんでいたかと思ったら、殿下から突然の婚約破棄宣言。
しかもその理由が「男爵令嬢への嫌がらせ」。
貴族の階級は公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順。この時点でわたしとアドリアーナ様の間には天地ほどの実力差があります。加えてアドリアーナ様のアガッツィ公爵家は序列一位。公爵家の中でも最も有力であるのに対し、わたしのレノ男爵家は下から数えた方が早い小さな家です。
まさか、殿下はご乱心されたのでは? そう考える方がいてもなにもおかしくはありません。
ただ、
「いいや、何も間違ってはいない。君は確かに彼女への嫌がらせを行った。それも何度も、看過できるレベルを超えた嫌がらせをだ」
淡々とした殿下の様子はむしろ冷静さを感じさせます。
対するアドリアーナ様の狼狽ぶりはなんというか、その、浮気がバレて糾弾される不貞妻のようだと言うとさすがに失礼でしょうか。
彼女の怒りの矛先が半ばわたしに向けられていなければ、きっとわたしも「どうなるんだろう……?」と会場の隅でどきどきしていたことでしょう。ですが、どういうわけかこの場においては主役の一人。他人事のようにはしていられません。
こういう種類のどきどきは求めていないのですが……。
「証拠は? 証拠はあるのですか?」
殿下の態度が変わらないのを見たアドリアーナ様は話題の向きを変えてきました。確かに証拠がなければ言いがかりも同然。いくら殿下の発言とはいえ失礼と言わざるを得ません。場合によっては公爵家から王家へと抗議が行われるかも。
対する殿下は眉ひとつ動かさないままに答えました。
「私がその程度の用意もしていないと思うか?」
次いですらすらと並べられたのはアドリアーナ様の罪状でした。
学園の空き部屋や廊下での苦言、嘲笑、脅迫の数々。わたしの所有物である教本、ペン、インク壺などを故意に破損、汚損させる行為。わたしが男子生徒や平民と不貞を働いていたとする虚偽の噂の流布。品の良くない平民の男性を使ったわたしへの凌辱未遂。
さらには、わたしが今日この日のために用意していたとっておきのドレスを無残に引き裂き、使い物にならなくすることまで。
「確かな筋からの情報提供。および、入念な聞き込みの結果、君が行っているのを見たという証言、あるいは十分な状況証拠を得ている。平民へ暴行を唆した件については当人達への尋問から君の家のメイドの一人が仲介に用いられた事が判明した。既にそのメイドにも確認済みだ」
「……そんな」
常に淑女として優雅であるべきアドリアーナ様が呆然とその場に膝をつきました。
会場のざわめきは大きくなるばかり。使用人および警備の兵が落ち着くように呼び掛けていますが、話の中心にいるのが殿下と公爵令嬢では迂闊に割って入れません。加えて言えば荒事が起こっているわけでもなく、あくまでも冷静に罪が数え上げられているだけです。
助けの手が伸びないことを知ったアドリアーナ様はきっ、と、わたしを睨みつけてきました。
上に立つ者の強い視線。途端に身体へ震えが走ります。
「お前が殿下を唆したのね!? 身分も弁えず高貴な方に色目を使うなんて、この狼藉者!」
「黙れ、アドリアーナ」
「っ」
叱責は静かで、かつ冷ややかでした。
「私とセラフィーナ嬢の間に色恋の関係はない。何度か話をした事はあるが、その際も必ず誰か他の者がいた。証言を募ればすぐにわかる」
「では、何故!」
「君はやりすぎたのだ、アドリアーナ。あまりにもセラフィーナ嬢を執拗に狙い過ぎた」
既に言った通り、わたしとアドリアーナ様ではあまりにも格が違います。
わたしの髪は暗めの銀髪。お二人の金髪に比べると目立つとはとても言えませんし、目の色だって日が落ちたばかりの空のような暗い青です。体型的にもアドリアーナ様よりだいぶ貧相だと言わざるを得ません。貧乏なりに美容には気を遣っているつもりですが、公爵家のように高級な化粧品を買ったり栄養のある者をたっぷりと摂取することだってできません。
ひょんなことから譲り受けることになった、わたしの今纏っているこのドレスの方がずっと見栄えがするくらいです。
だから、本来ならアドリアーナ様がわたしに執着するはずありません。
「なぜ、わたくしがその女を目の敵にしなければならないのです?」
「決まっている。君の嫌がらせに対し、セラフィーナ嬢が全く動じなかったからだ」
「は?」「え、なにそれ?」
驚きの声は周囲の生徒たちの中から上がりました。
視線がさらにわたしへと集中してきます。少しばかりぞくぞくしてくるような……いえ、今はそれどころではなく。
「普通の男爵令嬢なら君から苦言を呈された時点で震えあがるだろう。公爵家の怒りを買うのを恐れて縮こまるか、過敏な者なら学園を退学するかもしれない。しかし、彼女は違った」
殿下の視線がわたしへと向けられました。
やっぱり、とても綺麗な瞳だなと思っていると問いが投げかけられて、
「セラフィーナ嬢。君は嫌がらせを受けてどう感じ、何をした?」
「ええと、その。……アドリアーナ様はわたしのことがお嫌いなんだな、と思い、その後は気にしないことにいたしました」
「いや、気にしろよ。相手は公爵令嬢だぞ!?」
「そう仰られましても。わたくしごときの証言では取り合っていただけないでしょうし、直接面と向かって行われた件以外はわたくしにもどなたが首謀者なのかわかりませんでしたので」
「そういう問題じゃないでしょう!?」
そう仰られましても。
どうしたものかと首を傾げていると、殿下がこほんと咳ばらいをして、
「セラフィーナ嬢の奇特な性格はともかく」
「奇特な性格」
「奇特な性格はともかく、アドリアーナとの婚約破棄は決定事項だ。公爵家から抗議が行われたとしても覆る事はない」
「なぜ。なぜですか、殿下! たかが男爵令嬢如きへの嫌がらせがそれほどの罪だとでも!?」
もはやアドリアーナ様は必死でした。
殿方の、特に婚約者の前では決して晒すべきではない、余裕を失った姿を曝け出しながら殿下に食って掛かっています。
周囲から向けられる憐憫の視線にもきっと気づいていなかったでしょう。
ただきっと、殿下からの視線だけは届いたはず。
「たかが男爵令嬢の行動を看過できず、かといって排除する事もできない。嫌がらせの証拠を隠しきる能力さえ持ち合わせていない。……セラフィーナ嬢の態度がよほど癪に障ったのだろうが、その程度の器で我が国の王妃が務まると思っているのか」
「でん、か」
「繰り返し伝えよう。婚約破棄は決定事項だ。詳細は追って公爵家へ連絡する。……君に新しい相手が見つかる事を祈っているよ」
「そんな。そんな、そんな……っ! 殿下、殿下、お待ちください、殿下ぁっ!」
背を向けその場を離れようとする殿下に這って追いすがろうとするアドリアーナ様。使用人が宥めるようにそれを制し、別室へと連れ出していきます。
一方、わたしは殿下から穏やかな笑顔を向けられて、
「行こうか」
「はい。……あの、殿下。その、ありがとうございました。わたしを助けてくださったのですよね?」
「気にする事はない。君のお陰で手遅れになる前に気づく事ができた。むしろお礼を言わせて欲しい」
「そんな、勿体ないお言葉です」
彼に促されるようにして歩き出しました。
ではわたしはこれで、と離れられそうな雰囲気ではありません。せめて一歩遅れてついていくように試みたところ、殿下は歩調を緩めてわたしに並んで、
「そうそう」
気づくと殿下の顔が近くにあります。
驚いて立ち止ったわたしの耳に甘い声が。
「現段階で色恋はないと言ったが、今後も同じとは限らない。……婚約者の選定をやり直す事になるだろうから、良ければ君も立候補するといい」
「な……っ!?」
思わず顔が真っ赤になりました。
殿下は用事が済んだとばかりにさっと身を翻して歩き去っていきます。残されたわたしのところには、なにを言われたのだろう? とでも言いたげな視線と小さな囁き声が届くばかり。
これではまるで重要人物です。
本当に、どうしてこうなったのでしょうか。
殿下の語ったような嫌がらせがあったのは事実です。
先程言った通り、わたしには誰が首謀者かはわかっていませんでしたが。
わたしが首謀者を追求しないことにしたのも事実。
ただ、ひとつみなさまに伝えなかったことがあるとすれば、
「……犯人が見つかってしまったということは、もう嫌がらせはしていただけないのでしょうか?」
嫌がらせをされるのは嫌ではなかった、ということです。
冷たく見下されるのも、事故を装って紅茶をかけられるのも、寄ってたかって笑いものにされるのも、わたしにとっては喜ばしいこと。
そう。
わたし、セラフィーナ・レノは殿下の評した通り奇特な性格の持ち主なのです。
痛いのも苦しいのも恥ずかしいのもぜんぶ好きです。もちろん公にはできませんが、かといって性格を変えることもできません。
数々の嫌がらせを受けている時も内心、ぞくぞくしていたのです。
この性格についてはどうしてこうなったのか、だいたいわかっています。
話すと少し長くなるのですが──始まりはわたしのお母さまが亡くなられて、お父さまが新しい夫人を娶られたこと。
お父さまがお仕事で家を空けている間に継母と義理の姉たちから繰り広げられた意地悪の数々にありました。
まずはその話から、お付き合いいただけますと幸いです。
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