男女比1:100の世界に入れ替わりTS(1/5)

 ある日、目が覚めると女の子になっていた。


「……え? なにこれ?」


 呆然と呟いた声は高くて僕のものとは似ても似つかない。

 寝ていたのは病院のベッドだ。

 淡いピンク色の壁は目に優しいけどちょっと落ち着かない。着ているのは女の子用のパジャマで、肩まである髪とほんのり膨らんだ胸に違和感。


 ──というか、手も足も胴体も妙に小さい。


 小学生くらいだろうか。

 目線が低くて周りの物がなんだか大きく見える。小さい頃は世界がこんな風だったのか。僕がこのくらいの歳だったのはもう何年も前の話だ。

 もちろん、前は男の子だったんだけど。


「夢、じゃないよな」


 残念ながら、いくら待ってもはっきりとした情景がぼやけることはなくて。

 僕はしばらくしてやってきた看護師さんから事情を聞かされることになった。


「ご自宅で倒れているところをご家族が発見されたそうですよ。熱はないみたいですけど、痛いとか苦しいとかはありますか?」

「大丈夫です」


 看護師さんが口にしたのは僕じゃなくて女の子の名前。

 つまり、


「身体が変わったんじゃなくて、この子に乗り移った……?」


 これだけでも十分わけがわからないけど、問題はこれで終わらなかった。

 検査結果には問題がないということで退院になった僕は「世界そのものの異常」を知らされた。


 ──街に男の姿がほとんどない。


 家族も母と姉、妹だけで、父親はその痕跡さえ存在しなかった。

 ネットなどを使って調べた結果、この世界はもともと「そういうところ」らしい。


 男女の人口比はおよそ1:100。


 僕は男が希少な世界に迷い込んだ挙句、女の子になってしまったのだ。



   ◇    ◇    ◇



 僕が乗り移った(?)女の子の名前は香坂こうさか美桜みお

 私立小学の五年生で家は大きめの一軒家。母は有名人のメイクなんかを担当する仕事。ガチのやつとまではいかないまでもなかなかのお嬢様だ。

 元の僕は平凡な男子高校生。男女の人数に大きな差のない普通の世界で暮らしていたはずで、こんなことになった心当たりはない。


 けれど幸い、こうなった原因はだいたいわかった。


 体調に問題ないことがわかると母から「もう危ないことはしないで!」とかなり本気で怒られたからだ。

 とういうことかと尋ねると「憶えてないの?」と驚きながら教えてくれて、


「美桜は一人で怪しげな儀式をしていたの。変な模様を描いた布を広げて蝋燭を立てて、怪しげな本まで持って部屋で倒れてた」


 なかなかに気合いの入ったオカルト行為をしていたらしい。

 残念ながら儀式に使った品物は「もう処分した」と言われてしまったけれど、本にどんなことが書かれていたのかは聞くことができた。


 入れ替わりの儀式。


 誰かと身体を入れ替えるようとして、失敗するか手順を間違えるかして別の相手と入れ替わってしまったんだろう。

 可哀想なような、自業自得のような。

 原因が儀式だとするともう一度やれば元に戻れるかもしれないけど、別の世界にいる元の僕の身体とうまく入れ替わるのはたぶん、普通に儀式を成功させるよりずっと難しい。

 無理やりやったせいでさらに別の誰かと入れ替わらないとも限らないので元に戻るのはいったん諦めることにした。


「間借りしてるんなら罪悪感あるけど、入れ替わったなら仕方ないし」


 元凶が美桜この子にあるんだから文句を言われても困る。

 入れ替わったせいでうまく美桜を演じられないのはちょうどいいので「記憶が混乱しているから」ということにさせてもらった。

 病み上がりということで学校はしばらくお休み。母も姉も妹も心配していろいろ教えてくれたお陰で僕は少しずつ美桜としての生活に慣れていった。


 香坂美桜は明るくて人懐っこい女の子だ。

 お母さんが大好きで、将来の夢はお母さんのように色んな人を相手にする仕事に就くこと。

 お母さんが男性との交際によって子供を産んだことが自慢で、友達相手にもよくそれを語っていた。また、自分もちゃんと恋愛をして子供を産みたいと思っていて、同じクラスにいる男の子に欠かさずアプローチをかけていたとか。


 いや、小学五年生で「将来は子供が欲しい」って。


 正直言ってちょっと、いやかなり引いた。

 でも、これはこの世界だと普通らしい。


 調べたところ、この世界の男女比が崩れ出したのは今から百年くらい前から。

 原因は男が生まれにくくなったこと。徐々に男が減っていくにつれて社会は女子が中心になっていって、同時にいわゆる肉食系の女子が増えていった。

 自分からガツガツ攻めていかないと結婚もできないし子供も残せないからだ。

 現代では人工授精を使って子供を作れるようになったので人口が一気に減る心配はなくなったものの、男を恋愛して結ばれるのは女の子にとっての夢であり憧れになっている。

 で、美桜のお母さんは結婚こそできなかったものの男と交際して子供を作ったいわゆる勝ち組。

 美桜が憧れるのも無理はない。


 スマホのグループチャットアプリを立ち上げて過去の会話を遡ってみたところ、友達同士での「男女の恋愛に関する噂や願望」が素直な言葉で綴られていて、僕は肉食系女子の恐ろしさを心の底から思い知らされた。

 簡単に言うと予想より二回りくらいレベルが高かった。


「女子百人につき男子一人、ってことはだいたい学年に一人か二人しかいないんだ」


 男子と一緒のクラスになれるかどうかは成績や生活態度から判断される。

 どうやら美桜はけっこう優秀らしい。それでも男子に相手をしてもらえるかはわからない。僕の常識通り一対一での恋愛を基準に考えると百人に一人しか選ばれない。クラス単位で考えても三十人弱から一人。一回しか引けないガチャの確率じゃない。

 この世界では一夫多妻が認められているようなので男が肉食系ならチャンスは上がる。

 女じゃなくて男として来れていたら天国だったかもしれないけど、


「……男と恋愛するとか、正直やだなあ」


 僕が好きなのは女の子だ。

 そう考えると男子が少ないのは好都合。結婚できる女子のほうが珍しいんだから独身でも売れ残りみたいに見られることはない。

 男女比の偏った世界に来てしまったのは逆に良かったのかもしれない。


 僕はこの、元の世界とは似ているようでだいぶ違う不思議な世界でできるだけマイペースに生きることにした。



   ◇    ◇    ◇



 さて。

 僕こと香坂美桜はかなりの美少女だ。

 髪はさらさらだし肌も白くてすべすべ。聞いた話だと祖母の代に北欧の血が入っているらしい。男が少ないからそれを補うために海外の血を入れるケースも多いのだとか。

 今はまだまだ成長途中なので鏡を見てもドキドキすることはないけど、鏡の中の自分の瞳をじっと見つめたりすると別の意味で落ち着かない気分にはなる。何を言われるのかわからないとか、機嫌を損ねて通報されたりしないかとか。


 もちろん、今は僕自身が美少女なわけで。


 男にモテるつもりがなくてもどうせなら可愛いほうがいい。

 ただ、女の子になってみて困ったこともやっぱりある。


「スカートってなんでこんなにひらひらしてるんだろう……」


 美桜の私服がほとんどがスカートだった。

 色も赤とか鮮やかな色のがけっこうある。穿き方は覚えてしまえば楽で、気になったのは下が開いているということ。

 足が出ているのがどうにも落ち着かない。そういう時はタイツを穿いたり下着が見えてもいいように中に見せパンを穿いたりするらしい。

 この世界だと体力を使う仕事も女の仕事なのでパンツの服も多いようでお母さんはけっこうパンツの服を持っている。じゃあなんで僕がスカートなのかというと、


「その方が可愛いでしょう?」


 お母さんやお姉ちゃんのせいか、と思ったら美桜自身が「可愛いのがいい」と強請ったらしい。

 男の子の気を惹くためにより女の子らしい服を選ぶのも当然の努力なのだ。

 ちなみに女の子用のパンツは男の子用に比べてタイトな造りで可愛い装飾がついていたりするものも多い。男の子用の服は着る人が少ないので値段が高く、買おうとすると女の子用の服が何着も買える値段になるのだとか。

(男子が自分の服を買うときは補助が出て安く買える)


 お風呂も慣れるまでは戸惑った。

 女の子の肌はすべすべでデリケートなので力加減がわからない。

 僕が同い年くらいだった頃はそんなの気にしたことがなかった。なんかわしわしやってだいたい洗えればいいや、くらいの勢いで、ちゃんと洗わないと親から怒られていたけど、借り物の身体ということを除いても美少女の肌を傷つけるのは気が引ける。

 肌を痛めないように自分の手を使って、ソープはしっかり泡立ててから使う癖がついた。

 こっちのシャンプーやボディソープは香り付きのものが主流らしく、いかにも女の子らしい匂いが自分の身体からするのも戸惑ったポイントだ。

 でも女の子の身体は変な突起物がないので洗いやすい。女子用の服は肌触りもいいのでそういうところは心地いいと思う。


 身嗜みはちゃんと整えるように。

 大股で歩かず腿を擦り合わせて歩くように。スカートはあまり翻さず、階段を上る時なんかは下着が見えてしまわないように気をつけるように。

 食事をいっぱい口に詰め込むとお行儀が悪く見えるのでたくさん口に入れないように。身体によくないので栄養のバランスを考えて野菜もたくさん食べるように。

 口を大きく開けて笑うのも控えて、口の中が見えないように手を添えることも覚えて。

 一週間くらいかけて家族から注意されることが少なくなってきた頃、僕はお母さんから「そろそろ学校に戻らない?」と促された。


「友達ともしばらく会ってないから寂しいでしょう?」

「うん。勉強も遅れちゃうもんね」


 それなりに元の美桜に近づいてきたのか、それとも今の僕に家族のほうが慣れてきたのか、その受け答えが「変」と言われることはなかった。

 学校にも「一部記憶が曖昧」だということは伝わっているらしい。

 言われるまでもなく大人しくしているつもりの僕は「無理はしない」「はしゃぎすぎない」といった家族の注意にひとつずつ答えて学校への復帰を決めた。

 美桜の身体に慣れる間、外に出ることもあまりなかったので不安はあるけれど、男の少ないこの世界だと誘拐とかその手の事件は向こうの世界よりずっと少ないはず。車に気をつけるとかそういう基本的なところは変わらないのでそこまで心配はしなかった。


 小学校は私立なので制服だ。


 濃いめの紺色をしたブレザーにスカート。

 膝下丈のスカートはどこかお嬢様風で胸元のリボンも可愛い。考えてみると共学でも生徒のほとんどは女子なわけだからノリは女子校に近いんだろう。

 男子として生きてきて彼女もいなかった僕は女の子の生態には疎いけど、お姉ちゃんや妹と話して少しは距離感もわかってきた。


 ──心配があるとすれば、クラスにいるという男子生徒だ。


 対応自体はだいたい決まっている。

 遠巻きにして自分からは近づかない。なるべく話しかけない。迂闊に仲良くなって他の女子から睨まれても面倒だし、僕はなるべく平穏に生きたい。

 気になっているのは彼のだ。

 グループチャットでの(美桜の)友人たちとの会話内容から彼の名前はわかっている。それは僕にとって妙に覚えのあるものだった。


「まさかね」


 美桜にとっては慣れ親しんだ、僕にとっては初めてに近い制服への着替えを経て、


「行ってきます」


 送っていこうか、というお母さんの申し出を丁重に断ってから家を出た。

 学校までの経路は頭に入っている。

 外の街並みはそれが僕の知らないところだと言うことを除けばあまり違和感がない。人間が機能的に作るとだいたい似たような感じに落ち着く、ということだろうか。強いて言うなら女子の目線に合わせて作られているせいか家の塀なんかがちょっと低めな気がするとかそのくらいだ。

 それから、道行く人のほとんどが女性だということ。

 声をかけてくるのも当然女の人ばかりになる。おはよう、とかこんにちは、という声に「おはようございます」と言って応じる。男なら挨拶さえ返せばいいところだけど、美桜になった今の僕はあまり慣れていない愛想笑いを浮かべて応じなければならなかった。

 歩く時は美桜になる前との歩幅の違いや車のサイズ感に気をつけながら少し慎重に。


 そうして、学校に近づいてきたところで。


「……あ」


 僕は数人の女子生徒に囲まれている一人のを見た。

 特別美少年というわけじゃない。僕の感覚だとごくごく平凡な男子。

 元の世界で家のアルバムを開けばいくらでも見られそうな顔。


 そう。


 名前からうすうす予想はしていたけど、僕のクラスにいるたった一人の男子は、どういう偶然か、この世界における僕自身だった。

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