少年魔女の楽園追及(11/11)

「ねえ。悠陽は本当にいいの? あたしが引っ越してきても」


 寮の入り口前。

 ドアを背にするように立った悠陽は衣与理と向かい合っていた。龍姫には先に中へ入ってもらっている。二人で少し話したい、と伝えてあるので心配ないだろう。あの少年はそう言われて盗み聞きをするような性格ではない。

 建物は道から少し離れている。人通りはゼロではないが、普通の声量で話す分には詳しく聞き取られる心配はない。

 内緒話とまではいかなくとも二人だけで話せる環境だ。

 学院に入って以来の友人はいつになく真剣な表情をしている。じっと見つめてくる彼女に、悠陽は「はい」と静かに答えた。


「お店で言った通りです。悠陽なら私も気負いなくお付き合いできると」

「本当? あたしが龍姫といちゃいちゃしても我慢できる?」


 悠陽は口を開こうとしてやめ、脳裏に「その光景」を思い浮かべた。

 龍姫と衣与理が仲良くする。友人同士の範疇ならいいが、それ以上になると胸に痛みが走る。思わずぎゅっと握りしめた拳を見て、衣与理は「やっぱりね」という顔をした。


「好きなんでしょ、龍姫のこと」

「……はい、好きです」


 思いは一日ごとに強くなっている。

 決定的だったのは──彼でなければ嫌だと自覚するようになったのは、龍姫の部屋で抱きしめられた時だと思う。彼の鼓動を感じながら、悠陽は「このまま全てを求められてもいい」と思った。

 実際には二人は落ち着くまで抱きしめ合って笑顔で身を離したのだが、それ以来、心の準備は出来上がっている。

 この後、急に求められてもおそらく応じてしまうだろう。

 そのくらいには好きで、だからこそ、他の女子と龍姫が──と考えると嫉妬もする。


「きっと、私を捨てて笹川さんとお付き合いする……と龍姫さんに言われたら、私はおかしくなってしまうでしょう。あなたに、あるいは龍姫さんにひどいことをするかもしれません」


 なりふり構わなくなるほどの衝動。未だに経験はないけれど、きっとそうなる、という確信めいた感情だけはあった。

 その時はおそらく「あの魔法」を使う。


「でも。笹川さんを受け入れたいと思う気持ちも本当です」


 真っすぐに少女の瞳を見返して言った。

 衣与理は虚を突かれたような表情を浮かべて尋ねてくる。


「どうして?」

「龍姫さんはきっとそういう方だからです」


 男子でありながら大魔女セラフィーナ・レイブンクロフトの後継者に選ばれた少年。実務的な意味での後継は求められていないとはいえ、彼には多くの者が期待している。あれこれと世話を焼いてくれている学院長もその一人だ。

 偉大な人間のところには人が集まる。

 歴史上の英雄の中には色を好む者も多く存在していた。


「セラフィーナ様は自由恋愛を推奨しています。……その中にはも含まれています」


 男と結婚してもいいし、三人以上での交際も禁止していない。

 女性同士で子供を作れるのが魔女。その一方で日本における同性婚は最近まで禁止されていた。悠陽たちはまだ「同性婚が禁止だった時代」に産まれた人間だ。

 セラフィーナの思想は本当の意味での自由。

 大昔から異性愛も同性愛もハーレムも許容していたのがかの大魔女であって、その先進性が今、かえって不適切とされてしまっているのは時代の流れとしか言いようがない。

 そのうえで、悠陽はセラフィーナの考えに賛同している。


「私は龍姫さんには自由であって欲しい。だから、あの人のやりたいことを否定したくないんです。……子供だって、きっと、たくさん産まれた方がこれからの世の中のためです」


 衣与理が深いため息をひとつ。


「……そっか。魔女ってやっぱいろいろあるんだね」

「そうですね」


 比較的、一般人に寄り添っているセラフィーナ派でさえいろいろある。悠陽と衣与理の間でさえ価値観の違いは大きいだろう。

 くすりと笑って悠陽は続けた。


「だから、気にしないでください。私も、嫌なことは嫌だと言いますから」

「悠陽」


 少女は目を大きく見開いて──それから満面の笑みを浮かべると、いきなり抱きついてきた。


「ちょっ、な、なんですか!?」

「もう、好き! 大好き!」

「もう! 離れてください!」


 しっかり拒否しているのに衣与理はなかなか離れてくれなかった。

 そのせいで残った体温が信頼しあえている証に思えてとても心地よかった。



   ◆    ◆    ◆



「……なに話してるんだろうな、二人とも」


 一人、自室に戻った龍姫は悶々としていた。


 衣与理は今日のうちに学院側へ寮の移動申請を出しに行くらしい。

 申請の受理には二、三日かかる。平日はいろいろ忙しいし、来週の土日には引っ越しできるように早めに済ませたいのだそうだ。

 悠陽との話はその前に済ませたい用事ということだったが、


「もしかして『この泥棒猫!』とかそういう話なのか……?」


 ハーレムの一員に立候補したことで悠陽と衣与理は「本命の恋人」と「新しい女」という関係になった。愛憎渦巻くどろどろが展開されてどっちかが刺される、なんていうこともないとは言い切れない。

 もしそうなったら龍姫の責任である。

 もっと話し合いをしていたらこんなことにならなかった……と後悔するようなことは避けたい。いや、かといって邪魔をするのも良くない。

 すぐには終わる気配がないのもあって変な想像ばかりが膨らんでしまう。

 居ても経ってもいられなくなった龍姫は立ち上がった。盗み聞きは良くない。そんなことは百も承知だが、


「コーヒーでも淹れよう。俺と悠陽の分。そのためにリビングに行くだけならセーフだろ」


 ドア一枚、壁ひとつの差とはいえ、廊下とダイレクトに繋がっている分だけ外の様子は伝わりやすい。

 もちろんコーヒーの準備を始めても話し声までは聞こえないが、


『もう、好き! 大好き!』


 その声だけは中にまで届いて、思わずびくっとなった。


「まさか。そうか。……そっちの可能性もあるのか」


 二人は憎み合っているのではなく愛し合っている。例えば片思い同士で気持ちを伝えられずにいて、その間に悠陽が龍姫の恋人になってしまった。けれど悠陽もまだ衣与理のことを諦めきれておらず、このギリギリになって恋が燃え上がってしまった、とか。


「ありえる。……そりゃ、暑苦しい男なんかより可愛い女の子の方がいいよな」


 気分が一気に沈んでいく。

 いっそどろっどろのコーヒーを淹れてやろうかと考えていると悠陽が戻ってきた。特になんともなさそうな表情だが、服が少し乱れている。何かあった証拠だ。例えば抱き合ったりとか。

 もう楽しかった頃には戻れないのか。


「……悠陽。頼む。衣与理のオマケでいいから捨てないでくれ」

「……あの、なんのお話ですか?」


 コーヒーを飲みながら推理を披露したら「ありえません」と一蹴されてしまった。


「衣与理から急に抱きしめられて困っただけです」

「ほら、少なくとも向こうはその気だったんじゃないか。悠陽の呼び方も変わってるし」

「大切なお友達から名前で呼ぶことにしただけです。……衣与理のあれはただ私をからかっただけですよ。あの子もきっと、龍姫さんのことが好きなはずです」

「じゃあ、悠陽も?」


 青い瞳がすっとこちらに向けられて、


「はい。私は、龍姫さんのことが好きです。きっと、これからもずっと」

「……良かった。本当に良かった」


 脱力した龍姫は日頃の行いをもう少し改めようと決意する。ハーレムの夢は変えられないが、今みたいに悠陽になにかしてあげることはできる。


「俺、もっと悠陽のこと気にかけるし、もっと女子に近づけるよう努力するよ。悠陽に相応しい男になれるように」

「龍姫さん。男になるために女になるって不思議なことを言っています。……どうしてそんなに焦っていらっしゃるんですか?」

「だって、そりゃ、悠陽は俺にとって初めてできた恋人だし」


 言っていて物凄く恥ずかしい。それでもこれは紛れもない本音だ。

 ハーレムを目指すことと女の子を粗末に扱うことは全く別の話。大切な人を傷つけないために努力するのは当たり前だと龍姫は思っている。

 弱気になった少年を見た悠陽は頬を膨らませて、


「私は龍姫さんを捨てたりしません。むしろ、私が『捨てないでください』ってお願いしたいくらいです」

「それだってありえない。悠陽みたいないい子を手放したくなんかないし、約束だってある」

「っ」


 少女の顔が一気に真っ赤になったのを見て「違うぞ」と慌てる。


「早乙女に勝てるように一緒に頑張ろうって言った方だって。……そりゃ、もう一つの約束も大事だけどさ」

「あっ……そ、そうですね。申し訳ありません、つい……。その、もう一つの約束も、お声をかけていただければ予行演習ができますので……」

「待った。悠陽。我慢できなくなるようなことはあまり言わないで欲しい。男ってのはいざとなったらけだものなんだからな」


 理性が吹き飛んだら「好き」と「大事にする」が繋がらなくなる。好きだからこそ全てを自分のものにしたい、と本能が暴れ出してしまうのだ。それは龍姫だって同じというか、今まで彼女ができなかった分だけ鬱屈していると言っても過言ではない。

 すると愛らしい小顔がこくんと揺れて、


「衣与理が来たら二人きりではなくなってしまいますので……。今のうちに龍姫さんとの時間をもっと過ごしたいです」


 龍姫は反射的に手を伸ばしたくなるのをなんとか堪えた。


「じゃあさ、買ってきた服をしまうの手伝ってもらってもいいか? 女子の服だとうまいしまい方とかよくわからなくて」

「あ……はいっ。もちろんです。それから、デバイスの操作もお教えしますね」

「ありがとう。本当助かる」


 なかなかに大量の服を収納していく間、悠陽はなんだかとても楽しそうだった。どうしてなのか尋ねると「龍姫さんの身の回りのことを任せてもらえるのが嬉しいんです」とのこと。

 考えてみると服から下着まで全部把握されていることになるわけで、なかなか気恥ずかしい。

 ただ、それが好きな人と同棲するということなのかもしれない。

 絶妙なこそばゆさに身を委ねながら、龍姫は悠陽との共同作業や会話を楽しんだ。







 翌週から学院は衣替えの時期に入った。

 校則としてはもともと厳しくはなく、制服へのある程度の改造や夏に冬服を着用する(またはその逆)等は許可されているのだが、それはそれとして「これからは夏服推奨だよ」という期間である。


「悠陽、よく似合ってる。可愛いよ」

「本当ですか? ありがとうございます」


 悠陽はさっそく夏服にチェンジ。

 オプション購入品である薄手の長袖ブラウスを纏い、同じく通気性の良くなった夏用スカートを身に着けた少女は白の占める面積が大きくなったおかげでどこか「避暑地のお嬢様」といった雰囲気であり、ワンピースに麦わら帽子の姿を思わず幻視してしまった。


「龍姫さんはまだ冬服なんですね」

「ああ。露出が多くなるのはできるだけ避けたいと思ったんだけど、夏用の長袖は盲点だったな」


 それなら腕が出ないのでだいぶマシになる。

 二人で部屋を出て戸締りを確認しながら自分の夏服姿を想像する。


「そうすると問題は足だな。薄い白タイツを穿くべきか」

「白なら熱はだいぶ逃げそうですね。それでも暑いのを我慢する必要はありそうですが……」

「悩ましいな」


 男子としては生足なんてできるだけ晒したくない。体毛は剃ることにしたものの、奴らは油断しているとすぐに生えてくる。さすがに脱毛にまで踏み切る勇気はないため、いざという時にタイツで隠せるほうが心の平穏は保たれる。

 と、道から夏服姿の何者かが駆けてきて、


「お洒落は我慢だよ、龍姫」

「おはようございます、衣与理。早かったですね」

「えへへー。あたしだっていつも寝坊してるわけじゃないからね」


 普段は寝坊しがちらしい。

 衣与理は彼女らしいと言うべきか当然のように半袖で、ブラウスの第一ボタンも開けている。へそ出しとまで行かないだけマシとはいえ、なかなかのエロ……もとい、派手な格好である。

 適度に日光を浴びている感じの健康的な太腿が眩しい。

 思わず見つめていたら「あれ? あたしの足がそんなに気になる感じ?」とむしろ見せつけられたのでさっと目を逸らし「行こうぜ」と二人を促した。

 道を歩き始めると周囲にも生徒の姿が見え始める。

 各自で時間割の違うこの学院において「自分の教室」という概念はほぼなく、登校時に向かう先も一限目の授業が行われる場所──つまりバラバラである。悠陽と衣与理は基本的に同じ授業なのでこうして待ち合わせて同じ場所へ向かえるわけだ。


「龍姫も一緒の授業?」

「ああ。補講以外はなるべく初心者向けの授業にしたからな」

「そっか。じゃあ、また楽しくなりそう」


 衣与理は声を弾ませるといきなり身を寄せてきて、ぎゅっ、と腕に抱きついてきた。


「へえ、これはなかなか……男子の抱き心地も悪くないかも。って、あれ? なんかいい匂いする。もしかしてシャンプー変えた?」

「ああ。日曜に日用品買いに行ったんだよ」


 今までボディソープやシャンプーはシャワールームに備え付けの品を使っていた。無香料のシンプルなもので龍姫としては特に不便を感じていなかったのだが、それに気づいた悠陽が「自分に合ったものを使いましょう」と購入を勧めてきたのだ。

 ちなみに少女自身は自分で購入しており、前の寮から運んできたそれを使っているという。近寄ると香るいい匂いの元はそれだったようだ。

 衣与理は「えー。あたしも誘ってくれればいいのにー」と悲鳴を上げた後、くんくんとさらに鼻を鳴らして、


「これ、女の子向けのやつだよね?」

「女子に馴染むって決めたからな。とりあえずこれは試供品だけど」

「あー。ああいうのって悩むもんね。合わなかったからってすぐに買い替えられないし」


 うんうんと頷く衣与理。龍姫としては何度も詰め替えるのも面倒なのでどーんと大容量でも構わないのだが、女性向けの品は匂いや成分が色々違っており「これ」と決めるのが難しい。だったら、と店員が何種類もお試し用を提供してくれたので昨夜はそれを使ったわけである。

 自分の髪から匂いがするというのは微妙に落ち着かないが、おかげで自分まで女子になったような錯覚に襲われる。

 一種の自己暗示という意味では有効かもしれない。


「というかいつまで抱きついているつもりだ。離れてくれ」

「いいじゃん。あたしも龍姫の……えーっと、なんだろ。愛人? セフレ? そういうのになったんだし」

「人聞きの悪い言い方をするんじゃない!」


 衣与理が大きな声で喋ったせいで周囲の女子が注目し、龍姫は「二人の女子と仲良くしている剛の者」として有名になった。

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