少年魔女の楽園追及(3/11)

「……やっと気が休まる」


 夕方。

 龍姫は宛がわれた部屋のベッドにダイブしながら脱力した。

 ベッドはふかふかで、実家の物よりよっぽど質が良い。これならよく眠れそうだ。

 到着してから今まであれこれ説明を受けたり質問をしたりで気を張りっぱなし。昼食は食堂で摂れたものの、生徒たちからの視線や声のせいで全然落ち着けなかった。

 愚痴のひとつも出ようというものだが、


「申し訳ありません。まさかこれほど反発が強いとは……」

「いや、悠陽のせいじゃないって」


 苦笑し、ごろんと仰向けになる。

 龍姫をここまで連れてきた同い年の魔女──龍姫にとって初めての恋人でもある銀髪青目の少女は戸口から一歩の距離に立ったまま眉を下げていた。

 最初から好意的だった悠陽と違い、校内にいる女子の多くは龍姫に敵対的だった。受けた説明によると理由は主に二つ。


 一つは、大魔女セラフィーナの後継者が男子云々の話がまだ一般生徒には広まっていないため。

 一つは、多くの魔女が男尊女卑の思想を抱いているため。


 悠陽は学園から龍姫の勧誘を任された特別な存在であり、大事な仕事を任されるくらいだから龍姫に対して悪感情も抱いていなかったというわけだ。

 味方が一人でもいてくれるのは救いである。

 ただ、真面目過ぎるのか、少女としては我慢ならないらしい。龍姫より一回り小さな拳をきゅっと握りしめて、


「せめて私が精一杯お世話させていただきます。今日から私もこちらに移動しますので、何か不便なことなどがあればなんでも仰ってください」


 龍姫たちに与えられたのは学園の敷地内にある寮の一つだ。

 寮と言ってもいくつもの種類があるらしく、ここは個人・グループ用モデル。円柱のような形をした三階建ての1フロアごとに4LDKの物件になっている、一軒屋とアパートの中間のようなところだ。

 中に入ると玄関、その先がリビングになっており、リビングから個人用の部屋(位置的には円の外周にあたる)へアクセスできる。

 一つの部屋にベッドが二つ用意されているため八人くらいまでは普通に利用可能。家族と一緒に引っ越してくる場合や専属の使用人がいる場合(!)などに用いられるのだとか。


 悠陽は今まで一般的な寮──たくさん部屋があって寮母さんがいて、というタイプに住んでいたものの、龍姫のお目付け役として一緒に住むことになった。

 要するに同棲である。


「じゃあ、もしかして一緒に寝たりとか……?」


 部屋にあるもう一つのベッドを見ながら言うと、少女は慌てて首を振った。


「そ、そこまでは……! その、他の部屋を使わせていただきます。もちろん、龍姫さんが私を娶りたいと仰るのであれば慣れていかなければならないとは思うのですが」


 結婚。

 今日出会って今日付き合い始めたばかりなので気が早すぎるが、二人は「子供を作ることを前提に」交際しているわけで、なんというか順番がおかしい。

 というか子作りと結婚はセットではないらしい。それはあまりにもエロい、もとい、男にとって都合の良い話である。


「……ああ、でもそうか。魔女ってだいたい父親がいないんだっけ」

「はい。魔法によって同性間での妊娠が可能ですので、異性と結婚する魔女の方が少ないくらいです」


 この国で同性婚が認められたのは十年程前のこと。なのでそれ以前は事実婚のような形を取ったり、形だけの夫を作るなどして「魔女同士の子」を設けてきたらしい。


「遺伝子的に女性同士の子供なら100%女の子が生まれますので、むしろその方が都合がいいそうで──」

「男はハズレ扱いになるわけか。そりゃそうだ。絶対に魔女になれないんだから」


 男としては腹立たしい。とはいえ「男は魔女になれない」「普通の人間は魔女に勝てない」というのは常識であり、龍姫としても異論はない。


「私たちセラフィーナ派は男女間の婚姻を忌避していません。私にも父がいますし、龍姫さんが求めてくださるのであれば喜んでお受けいたします」


 どこかもじもじとしながら悠陽は続けた。


「ただ、他にも龍姫さんの子が欲しいという方はいらっしゃるでしょうから……私は子供さえ作っていただければそれ以上何も望みません。ただ、できれば学院を卒業するまでは避妊をしていただければと」

「っ」


 頬を染めながらちらちらとこちらを窺ってくる悠陽が可愛すぎて、龍姫は「結婚しよう」と言いたくなるのを必死に堪えた。

 別に彼女に不満はない。むしろ大歓迎だが、さすがに誰が相手だろうと結婚はまだ待ってほしい。面倒なことは卒業後に先送るのは大いに賛成である。


「わかった」


 答えつつベッドから身を起こして、


「じゃあ、子供ができなければいいんだよな? キスとか、その先とか」

「は、はい。で、でも待ってください! 前の部屋から荷物を取って来なければいけませんし、龍姫さんもいろいろと準備があるでしょう? ですから今すぐは──今日のところはそちらを先に済ませましょう?」

「はい」


 正論によるお預けを喰らった。



   ◆    ◆    ◆



「……私はどうしてあんなことを言ってしまったんでしょう」


 安城悠陽は一人、学院の一般寮へ向けて歩きながら呟いた。

 陽の暮れかけた空。急がないと夜になってしまう。敷地内は照明が多くし不審者も入ってこられないが、龍姫を一人で残してきている。


(夕食はどうしましょうか)


 出てくる前に龍姫と相談しておけば良かった。

 一般寮の食堂は生徒なら誰でも利用できる。一緒に出掛けて食事を済ませてしまうという手もあった。帰ってからもう一度出るのも手間だし龍姫をあまり外に出したくない。となると自分で作るか出前を取るか。今まで使っていた部屋にはたしか大した食材がなかったはず。

 そこまで考えて、悠陽は自分の段取りの悪さに嫌気がさした。


「龍姫さんとのこともそうです。勢いに任せてあんなはしたないことまで……っ」


 付き合ってもいい、と言った気持ちに嘘はない。

 父以外は女ばかりの環境で育ったため男性には免疫がない。共学の学校を見学するだけでも正直少し怖かったので、龍姫を見た時には少しほっとした。

 本人は気にしているようだが、ごつごつしたところがなく威圧的でない容姿が良かったのかもしれない。

 将来結婚するならこういう人がいいと思った。子作りを前提とあんなことを言ってしまったのは親族から「できれば彼を一族に引き入れなさい」とも言われていたのが大きいものの、本音も少しくらいは入っていた。


 だからって、あれはあまりにも恥ずかしすぎる。


 本当ならすぐにでも一人になって悶えたかった。

 けれど実際には龍姫を放っておけず、一緒に色々としているうちにどんどん墓穴を掘ってしまった。

 結婚しなくてもいいから子供だけください、なんて、たとえ何も間違っていないとしても「あまりにあまり」だ。


「きっと、はしたない女だと思われてしまいました……」


 恋愛の経験なんてない。もちろん、身体も清い状態だ。魔女にとって純潔の有無は大きな意味を持つ。ここぞという時までは大切にとっておきなさい、と母や祖母から教わってきたのだ。

 もちろん、それを龍姫に捧げることに否はない。

 乏しい知識の中、あの少年と「そういうこと」をするのを想像して──悠陽はぶんぶんと首を振った。


「私、本当にはしたない女なのかもしれません」


 意外と想像できてしまった自分に嫌悪感を抱いてしまう。

 ともあれ、早く荷物を纏めて戻らなくては。


(幸い、私物はそれほど多くありません)


 入学からまだ二か月。新しい生活にもようやく慣れてきたというところで、部屋にあれこれ物を増やすのはまだこれからだった。必要な物は大きめの鞄一つに全て収まるだろう。

 変な妄想にかまけてしまった分を取り戻すため、悠陽は小走りになって一般寮へ到着して、


「あら。安城さんではありませんか? 戻ってこられたのですか? ……てっきり、学院内に殿方を引き入れて退学にでもなったのかと」


 自室に向けて廊下を歩いている途中で苦手な相手と会った。


「……こんばんは、早乙女さん」

? 安城さん、あなた、いつからそんなに偉くなったの? 私のことをどう呼ぶべきか、いくら落ちこぼれでもそのくらいわかるのではなくて?」


 仕方なく足を止めて挨拶をすれば嘲るような声が返ってくる。

 声をかけてきたのは緩くウェーブのかかった長い金髪を持つ同級生だ。名前は早乙女さおとめ凜々花りりか。入学以来、一年生における総合成績トップ──すなわち首席の位を保持している秀才である。

 そして、学院には首席を敬うべし、というルールがある。


「っ。……大変失礼いたしました、お姉さま。実は理事長の命令で寮を変わることになりましたので、荷物を取りに参りました。すぐに失礼いたしますのでご容赦くださいませ」


 すると凜々花はくすくす笑いながらふん、と小さく鼻を鳴らした。


「ご容赦? 勘違いしないでくださいな。ここは学院の寮。生徒であれば誰でも利用できる場所です。いくらあなたが落ちこぼれだからといって『出ていけ』だの『ここには来るな』だのと言うつもりはありません」


 一緒にいた生徒──凜々花の取り巻きがおかしそうに笑い始める。愉快とはとても言えないが、彼女たちも学院でそれなりの成績を収めている。抗弁しようにも悠陽にはその資格がない。

 凜々花たちの言った通り、悠陽はこの学院における落ちこぼれだ。

 入試の成績はほぼ最下位。分家とはいえ名門・安城家の一員であるというだけで合格したのだと心ない生徒の間では噂されている。

 魔女の世界は実力主義。力のない者の肩身は狭い。


 そして、悠陽が攻撃を受ける理由はもう一つあって、


「ただ、男を連れてきたのはいただけませんわ。ここは神聖なる魔女の学び舎。下等で愚かで脆弱な男など本来は完全に排除するべきなのです。……まったく、これだからセラフィーナ派は時代遅れだと言われるのです。旧態依然の結婚に縛られているから衰退の一途を辿っているのではなくて?」

「……私のことはなんと言われようと構いません。ですが、セラフィーナ様とそのお言葉を馬鹿にするのは止めてください」

「これは失礼。そんなつもりはなかったのだけれど、そういう風に聞こえてしまったのならごめんなさいね」


 これ以上は話をしても無駄だ。

 悠陽は「失礼します」と頭を下げてさっと踵を返す。しかし、一歩足を踏み出したところで背後からさらなる嘲笑が投げかけられた。


「ねえ、約束してくださいな。あなたは汚らわしい男などと交わらないと。魔女の血統の浄化に協力してくださると。そうしたらあなたの扱いをもう少し考えてあげても構いませんわ」


 それは上位者からのお願いという形を取った、実質的な命令だった。



   ◆    ◆    ◆



 着の身着のままで来てしまったので「やること」なんて大してないと思ったのだが、実家や友人たちにスマホで連絡を取るだけでも意外と時間がかかってしまった。

 龍姫はベッドに腰かけた姿勢のまま息を吐いた。


「みんなしてあっさり受け入れやがって。いや、まあいいんだけど」


 龍姫の転校および寮生活については学院側から元の学校や両親へ既に連絡が行っていた。

 十分な好条件が出されたらしく実の親ですら「頑張りなさい」と許してくれた。

 まあ、魔女が幅を利かせている現代において魔女に見初められるのは昔で言う「玉の輿」と似たようなものである。まして龍姫自身が魔女になって学院に通うとなれば異例の出世だって夢ではない。名誉でめでたいことだと考えるのが常識的な反応だ。

 もしかしたら龍姫が「彼女ができた」と告げたことが一番効いたのかもしれないが。

 男友達は「羨ましい」で満場一致だった。中には怨嗟の言葉を投げてきた奴もいる。実際にはなかなか大変そうだが……悠陽と知り合えただけでも類稀な幸運である。


「今日のうちにキスぐらいはできるかな」


 結界が張られるタイミングが悪い意味で絶妙過ぎた。後二秒あったらキスした事実だけは残ったというのに。

 一瞬でも「キスした」ことになるのと「キスしようとして失敗した」のでは雲泥の差だ。二回目は一回目よりハードルが低くなるが、一回目に再チャレンジする時は逆にハードルが上がる。

 なんとしてでも早いうちに克服しておかねば。


「こう、上手いこと良い雰囲気に持っていってお互いの名前を呼び合うんだ。例えば」

「龍姫さん」

「そうそうそんな感じで……って、悠陽?」


 気づけば悠陽が部屋に入ってきていた。

 寮に行ってきたらしく肩から大きめのかばんを提げている。お帰りと声をかけようとして、龍姫は待つ間にブレザーの上着とネクタイを外していたことを思い出す。ついでにワイシャツは第二ボタンまで外れており(どうにも貧弱な)筋肉が覗いてしまっている。

 慌ててボタンだけでも閉じながら──ようやく、少女の様子がおかしいことに気づいた。

 俯き、銀色の髪で自らの顔を隠している。


「どうした? なにかあったのか?」

「ごめんなさい」


 質問に対してはただ短い返答。

 なにがなんだかわからず、とにかく荷物だけでも下ろさせようと立ち上がったところで、


「私、約束を破ってしまうかもしれません。明日、決闘をして負けたら、私は龍姫さんと他人にならなければいけないんです」


 悲痛な声が少年の胸を強く打った。

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