第2話 王も蛇も龍も一匹でいい
しかし、僕はそこでハッと我に返る。なんせ見下ろしていたはずの手が、腫れちゃあいたものの、よく見ると赤に塗れていなかったからだ。
それどころか目の前の鏡も割れていない。ただの幻覚……? 自分の中に湧き上がった衝動を抑えつけられなくて、そう思い込んでしまったのだろうか? それとも……
「……早ク準備シナキャ」
なんにせよ、チンタラやってる暇はない。親父が待ってるんだ。余計な事してたら怪しまれちまう。
ということで、さっさと準備に移る僕。二階の自室に行き、汚れた制服を脱ぎ捨て、私服へと着替える。
前に先輩とのデートで着てったやつだ。別に意識してこれを選んだわけではない。ただ、目の前にあったから取っただけ。
兎にも角にも準備万端。ビシッと決めたのち、クローゼットを閉めようとする。が……
「ん? あれは……」
奥の方に『ひょっとこのお面』を見出し、思わず手に取ってしまう。
これは……いつ手に入れたもんだったか。いや、記憶にはない。たぶん、子供の時に買ってもらったとか、そういう類のアイテムだろう。きっと。
今まで視界にこそ入っていたかもしれないけど、意識はしていなかった。でも、今はこんな有り様ゆえ、色濃く映ってしまったのかも。隠すには打って付けだろうしね。さて、どうする……?
〖▽被る ・被らない〗
もし選択肢があれば、こんな感じだろうか? 〖▽被る〗を選べば、この顔を隠すことができる。けど、帰り道でもあった通り、周りからは別に何とも思われていない。であれば、隠す必要なんてそもそもないわけで、逆に隠す方が怪しまれる可能性も……
そんな考えが過ぎった瞬間、僕は元あった場所に『ひょっとこのお面』を投げていた。
クローゼットを閉め、その勢いのまま部屋を出ると、一切振り返ることなく階段を下りていく。
こうして僕は〖▽被らない〗を選択した。これからのことを想えば、それが最善だろうと信じて。
なんで自問自答するような選択肢なんか出したんだろう? こんなタイミングで……
◆
外へ出ると黒塗りの車が家の前に停まっていた。
それに付随するように黒服の執事っぽい爺さんがこちらへ一礼。後部座席のドアを開け、入るように促してくる。
「多少は小綺麗にしてきたか」
乗車すると、奥には腕組み+足組みしている親父の姿が。まるで品定めされてるみたいに、上から下まで見られている。
「行クノハ病院ナンダロ? ナラ、最低限ノマナーサ」
そう返すと同時に車が発進。さすが社長だけあって、いい車に乗ってやがる。走り出しも滑らかで、ほんとに走ってんのかって思うくらい静かだった。
「うむ。いい心がけだ。王となる以前に病院の副院長でもあるからな。清潔さにはより一層気を配ってもらわないと」
「アッソ。……デ? コッカラドンクライカカルンダ? ソノ居城トヤラガアンノ、東京ナンダロ? 一時間半クライ?」
「そんなにはかからないさ。見てみろ」
と、親父の顎先が指し示す先を見遣ると、前方の道がゆっくりと下がり、坂のようなものができたではないか。
「コレハ……」
「地下世界のさらに地下。私だけの……道さ」
暗がりの中、点々と灯る黄色い光。まるでトンネルの中を走ってるみたいだ。これなら……
「これなら三十分ちょいで着く。速度なんて気にしなくていいからね」
自慢げに語る親父の言葉に呼応するように、車のスピードはぐんぐん上がっていった。回り道なんてない。ただ、直進していく。……我が道を。
「疲れてるだろう。少し仮眠でも取っておくといい。着いたら起こす」
それを最後に親子の会話は終了。僕は窓の外、淡く光る黒き世界を眺めながら、深い眠りへと落ちていった。
◆
三十分後――
「着いたぞ、渉。起きろ」
微睡みの底に沈んでいた意識が、親父の声によって掬い上げられる。寝ていたことも相まってか、ほんの一瞬に感じたな。冗談じゃなく、マジで。
「ココガ……親父ノ城?」
目をこすりながら外へ出ると、真ん前には随分と寂れた病院が一つ。期待外れしてないと言えば……嘘になるか。
「ここは仮初めの場所さ。本丸は上の上の、もっと上」
親子二人、見上げること数秒、親父の「行くぞ」との一言により、僕らは病院の中へ。
院内は電気こそついていたものの、人っ子一人見当たらなかった。話しに聞いていた通り、廃れた病院って感じ。
奥に進んでいくと、これまた聞いていた通り、エレベーターがあった。親父がボタンを押すと、すぐドアが開き、そん中に二人して乗り込む。
扉が閉まると、特に不快感もなく、体が浮遊感に包まれる。物自体が透明だから、よりそう感じるな。
「今の時間帯だと、そこそこいい景色が拝めるぞ」
そう語った親父の背を視界に収めつつ、しばし待っていると……確かに。遠くにある街並みから、数多の光が放たれていた。
ぼやけたビルに走る車。それら光の粒からなる無数の色に、僕は人々の暮らしを垣間見る。
帰宅する者、夜の街に繰り出す者……。彼らの息遣いがここまで聞こえそうだ。これら全てを親父は一人で……
「これが我々の目指すべき管理された世界だ。今の内に確と刻み込んでおけ。次世代の王たる……その眼に」
僕は改めてその背に、超えるべき親の姿を見た。
王は頂点であり、絶対的な存在。
誰も逆らえないし、逆らってはいけない。
孤独なのではなく、唯一無二。
並び立つ者など、在ってはならない。
そうか。ようやく吹っ切れたよ。
いいんだ。
王は一人で……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます