第2話 王も蛇も龍も一匹でいい

 しかし、僕はそこでハッと我に返る。なんせ見下ろしていたはずの手が、腫れちゃあいたものの、よく見ると赤に塗れていなかったからだ。


 それどころか目の前の鏡も割れていない。ただの幻覚……? 自分の中に湧き上がった衝動を抑えつけられなくて、そう思い込んでしまったのだろうか? それとも……


「……早ク準備シナキャ」


 なんにせよ、チンタラやってる暇はない。親父が待ってるんだ。余計な事してたら怪しまれちまう。


 ということで、さっさと準備に移る僕。二階の自室に行き、汚れた制服を脱ぎ捨て、私服へと着替える。

 前に先輩とのデートで着てったやつだ。別に意識してこれを選んだわけではない。ただ、目の前にあったから取っただけ。


 兎にも角にも準備万端。ビシッと決めたのち、クローゼットを閉めようとする。が……


「ん? あれは……」


 奥の方に『ひょっとこのお面』を見出し、思わず手に取ってしまう。


 これは……いつ手に入れたもんだったか。いや、記憶にはない。たぶん、子供の時に買ってもらったとか、そういう類のアイテムだろう。きっと。


 今まで視界にこそ入っていたかもしれないけど、意識はしていなかった。でも、今はこんな有り様ゆえ、色濃く映ってしまったのかも。隠すには打って付けだろうしね。さて、どうする……?


〖▽被る ・被らない〗


 もし選択肢があれば、こんな感じだろうか? 〖▽被る〗を選べば、この顔を隠すことができる。けど、帰り道でもあった通り、周りからは別に何とも思われていない。であれば、隠す必要なんてそもそもないわけで、逆に隠す方が怪しまれる可能性も……


 そんな考えが過ぎった瞬間、僕は元あった場所に『ひょっとこのお面』を投げていた。

 クローゼットを閉め、その勢いのまま部屋を出ると、一切振り返ることなく階段を下りていく。


 こうして僕は〖▽被らない〗を選択した。これからのことを想えば、それが最善だろうと信じて。


 なんで自問自答するような選択肢なんか出したんだろう? こんなタイミングで……



 外へ出ると黒塗りの車が家の前に停まっていた。

 それに付随するように黒服の執事っぽい爺さんがこちらへ一礼。後部座席のドアを開け、入るように促してくる。


「多少は小綺麗にしてきたか」


 乗車すると、奥には腕組み+足組みしている親父の姿が。まるで品定めされてるみたいに、上から下まで見られている。


「行クノハ病院ナンダロ? ナラ、最低限ノマナーサ」


 そう返すと同時に車が発進。さすが社長だけあって、いい車に乗ってやがる。走り出しも滑らかで、ほんとに走ってんのかって思うくらい静かだった。


「うむ。いい心がけだ。王となる以前に病院の副院長でもあるからな。清潔さにはより一層気を配ってもらわないと」

「アッソ。……デ? コッカラドンクライカカルンダ? ソノ居城トヤラガアンノ、東京ナンダロ? 一時間半クライ?」

「そんなにはかからないさ。見てみろ」


 と、親父の顎先が指し示す先を見遣ると、前方の道がゆっくりと下がり、坂のようなものができたではないか。


「コレハ……」

「地下世界のさらに地下。私だけの……道さ」


 暗がりの中、点々と灯る黄色い光。まるでトンネルの中を走ってるみたいだ。これなら……


「これなら三十分ちょいで着く。速度なんて気にしなくていいからね」


 自慢げに語る親父の言葉に呼応するように、車のスピードはぐんぐん上がっていった。回り道なんてない。ただ、直進していく。……我が道を。


「疲れてるだろう。少し仮眠でも取っておくといい。着いたら起こす」


 それを最後に親子の会話は終了。僕は窓の外、淡く光る黒き世界を眺めながら、深い眠りへと落ちていった。



 三十分後――


「着いたぞ、渉。起きろ」


 微睡みの底に沈んでいた意識が、親父の声によって掬い上げられる。寝ていたことも相まってか、ほんの一瞬に感じたな。冗談じゃなく、マジで。


「ココガ……親父ノ城?」


 目をこすりながら外へ出ると、真ん前には随分と寂れた病院が一つ。期待外れしてないと言えば……嘘になるか。


「ここは仮初めの場所さ。本丸は上の上の、もっと上」


 親子二人、見上げること数秒、親父の「行くぞ」との一言により、僕らは病院の中へ。


 院内は電気こそついていたものの、人っ子一人見当たらなかった。話しに聞いていた通り、廃れた病院って感じ。


 奥に進んでいくと、これまた聞いていた通り、エレベーターがあった。親父がボタンを押すと、すぐドアが開き、そん中に二人して乗り込む。


 扉が閉まると、特に不快感もなく、体が浮遊感に包まれる。物自体が透明だから、よりそう感じるな。


「今の時間帯だと、そこそこいい景色が拝めるぞ」


 そう語った親父の背を視界に収めつつ、しばし待っていると……確かに。遠くにある街並みから、数多の光が放たれていた。


 ぼやけたビルに走る車。それら光の粒からなる無数の色に、僕は人々の暮らしを垣間見る。

 帰宅する者、夜の街に繰り出す者……。彼らの息遣いがここまで聞こえそうだ。これら全てを親父は一人で……


「これが我々の目指すべき管理された世界だ。今の内に確と刻み込んでおけ。次世代の王たる……その眼に」


 僕は改めてその背に、超えるべき親の姿を見た。


 王は頂点であり、絶対的な存在。


 誰も逆らえないし、逆らってはいけない。


 孤独なのではなく、唯一無二。


 並び立つ者など、在ってはならない。


 そうか。ようやく吹っ切れたよ。


 いいんだ。



 王は一人で……

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