0-10 一人の母が壊れる前に

「なにをしているの、シルヴィア」

まだ、致命傷には成っていない。臓腑には届いていない。

「ごめ、ん、なさ、い」

「なぜ謝るのかしら。馬鹿な子」

オリヴィエはそれが当たり前のように。

わが娘を自身へ引き寄せ、抱きしめた。

「母さん、だめ……!」

シルヴィアは必死に抵抗するが、圧倒的な力の差の前になす術がない。

「いいえ、これでいいのよ」

自身を貫く剣など意にも介さずに。母は娘を強く抱きしめた。

「母さん、どうして……」

シルヴィアは呆然と呟く。

「私はずっと怖かった。私の中に巣くう声が、感情が。お前を傷つけることも。

あの人との約束すら消し去る殺意に身を浸すことも。

だけどもう迷わないわ。だってもう何も恐れるものはないのだから」

「かあ、さん……!」

「ごめんなさいね、シルヴィア。あなたは優しい子なのに、いつも辛い思いをさせて」

シルヴィアは泣きじゃくる。

「ごめんなさい、ごめんなさい…!」

「いいの、これでいいの。これが最善よ。あなたは正しいことをしたの」

オリヴィエは血を吐きながらも言葉を止めない。

「…これで、貴女を阻む者はいない」

そう呟いた彼女の瞳からは一筋の雫が流れ落ちた。

「かあさ……ん」

「あなたを排斥する派閥はいない。初代女王陛下の意思を継ぐハンク家一族の者たちが貴女を全力で守るわ」

「なん、で……」

「ふふ…ふッ、私はね。あなたのことをとても大切に思っているの。

誰よりも。何を犠牲にしても構わないほどに」

「そんなこと、言わないで。そんなの嘘よ」

シルヴィアは否定するが、彼女は笑みを崩さない。

「本当よ。私にとって貴女は何より大切な宝物。この世の全てに替えても守りたい存在。

貴女を苦しめるあの因果の呪いは…私が何とかするわ。

貴女の苦しみを取り除くためならば、どんなことでもする」

「そんな……だめよ。私のために、死後も母さんまで傷つくなんて」

「言ったでしょう。これは私の望みでもあるの。

……狂った当主の骸を連中に掲げ、当主を名乗りなさい。今から多くを学びなさい。

………私の代、では、果たせなかったけれど、貴女なら、きっと終わらせることが、できる」

「母さん……?」

シルヴィアは目を見開いた。

「愛してるわ、シルヴィア。どうか、幸せになって。

たとえ……私の願いが叶わなくっても、私はずっと貴女のことを見守っているから」

「待って……!」

シルヴィアの呼びかけに答えることなく、オリヴィエは静かに息絶えた。

「母さん……うっ」

シルヴィアが剣を抜くと、その身体は力なく崩れ落ちる。

シルヴィア・ハンク。齢8の時。

彼女は狂った先代当主を打倒し、新たな当主となった。

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