0-6 一人の騎士が壊れるとき

成長したあの時の少女は、黒翼の魔女が置いていった書物を読み解き、調査した結果を見て絶望的な感情に包まれた。

「な…何て……こと………」

数百年前から進められた魔女信仰者、反乱分子の弾圧と処刑。

この魔女狩りを推奨したハンク家が使える王家こそ。

魔女信仰の巣窟であること。

初代女王は今も国の頂点として奉られているが、初代シルヴィアの呪いで肉体は崩壊を続け廃人同然であり。

実質的な政治からはとっくに離れたお飾りの状態であること。

魔人の王が数百年経っても沈黙を貫いているのは。

彼が魔女崇拝の元凶、鬼人の王の侵略を防ぐために、300年経った今なおファインブルク王国と北の大国の国境をその力鬼人と戦い封じているから。

全ては、初代シルヴィアとの約束のため。

ハンク家が行った魔女狩りで、魔人の王の真実を知るものは多く処刑されていた。

それが破滅への行為とも知らずに。

中には、女神信仰に染まらず、己の正義感から行動していた者もいただろう。

だが、そんな彼らに我々は何をした?

「わたしたちは……なんてことを……」

自分が信じていたものが、信じられていなかったものと同じだった。

こんなにも簡単に、呆気なく崩れ去るものなのだと。

そして、同時に理解してしまった。

魔女狩りの本当の意味を。

ハンク家の先祖が、なぜ魔女狩りを主導し、なぜ魔女を憎むのか。

それは、彼らは、自分達が信じるもののために。

魔女という悪が必要だったのだ。

この国に巣食う悪を根絶やしにするため。

そのためには、魔女という悪が必要で。

ハンク家は、代々その悪を狩り続けた。

その悪の対象をすり替え、偽りの正義を掲げているとも知らずに。

「わたしたちが、今まで狩ってきたのは……!」

歴代のハンク家当主が狩った魔女とは。

無実の罪で処刑された人々であった。

「あぁ……あぁ……あぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!!!」

今まで無知であった己が恨めしい。

「……許さない……絶対に……!あの人を、あの人たちを殺した奴らを……!絶対に!!!!!」

……殺してやる。

そう言いかけてやめた。

真実を歪曲されたとはいえ、直接手を下した一族が何を言う?無実の者たちが殺されるその時、自分は何もできなかった。

魔女が消えた後に何も知らないフリをして、彼女の置き土産である本を読んだだけ。

彼らを助けることも、一族を止めることもできずに。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

私は、貴方たちの仇を討つことすらできない。資格もない。

「……ごめんなさい」

彼女は魔女の言葉を思い出す。

『人間は、愚かで醜くて、どうしようもない生き物よ。

だから、私は人間が嫌い。だけど、貴女たちは違うわ。

人間のままでいて頂戴。私も貴女の味方をするから』

「うぅ、ごめ、ん、ごめんなさいヴェールガルド様。優しい人喰いの王様、ごめんなさい。みんなごめんなさい」

オリヴィエは嗚咽を漏らしながら泣いた。

ハンク家が積み上げた業でどれだけの人々を傷つけただろうか。

「……もう、わたしは道化でいることはできないわ」

涙が枯れた後の彼女の顔は決意に満ちていた。

「バカになって、人間として、やることがある」

魔女狩りを終わらせる。

だが。

オリヴィエには時間は残されていなかった。


「うっ…」

突き刺すような痛みに胸を押さえて座り込む。

「…まだ、のはず。『老化』はまだ……!」

ハンク家は意志こそ歪みに歪んだが、初代より引き継いだものがある。

一つは剣術。

人間よりもはるかに強い存在のために磨き上げられた技。

なお、容姿については白銀の髪に新緑の双眸が当主の証と言われているが、多産によってより容姿の似た者を選別しているに過ぎない。

一つは短命であること。

災厄の魔女の呪いにより、ハンク家の特に女児は30歳まで生きられない。そして今、オリヴィエは16歳である。

まだ時間は残されているはずなのに、命を刈り取らんばかりの痛みが襲う。

「あと、少し……もう少し……!」

だが、オリヴィエは諦めなかった。

自分が死ねば本来在るべきハンク家の意思を継ぐ者がいなくなる。それだけは避けなければならない。

あの日、魔女に出会った日から、その運命を受け入れていたからだ。

その強い意志が幸か不幸か。

『それ』とオリヴィエの意識をつなぐ道となった。


「……?」

体に平行感はなく、ゆらゆらと空間を漂っていた。

夢か、精神の狭間か。

空間に現れたそれは小さな光を放つ球体のようなものだった。

頭の中で警鐘が鳴る。

ーー触れてはいけない。

だが。

求めるべきものがそこにある気がした。

恐る恐る手を伸ばし触れてみると、その瞬間膨大な量の情報が脳に流れ込んできた。

「ぐあぁああ!!」

そのあまりの情報量にオリヴィエは頭を抱えながら空間を転げ回った。情報は、ハンク家の歴史であり、歴代当主の魂の記憶でもあった。

流れ込む記憶に困惑する。

「……ッ、……父様……ッ!!」

あの時、魔女と交わした約束。

否。

あの塔で黒翼の魔女と出会った先祖の記憶が。

鬼人の王の傀儡となったファインブルク王国の名の下、それに仇名すもの、異変に気付いたもの。

全ては血だまりと化していった。

脈々と続く血の記憶が流れ込んでくる。

「…やめて」

怒りが、悲しみが、憎悪が……!! 少女の心の奥底で燃え上がる。

そして、その魂が叫ぶのだ。

「殺せ、殺せ、殺セコロセ、ころシテしまえ」

今まで無実の罪で殺した魔女の囁きが聞こえた気がした。

「……わたしは」

殺してやる。

この国を、ハンク家が屠り無念を残し呪った全ての者たちに代わりに復讐を。

「私は……!」

その言葉と同時に、世界は暗転した。

「あぁあああああぁあ!!」

気づけば、そこは見慣れた屋敷の私室。

オリヴィエはふらりと立ち上がる。

「そうだ、そうよね……」

瞳に狂気を宿してーー。

オリヴィエは自身の足に剣を突き刺した。

「ぐあっ!」

鋭い痛みが全身を走る。

そのまま倒れ込み、今度は腕に刃を向けた。

無実の者を殺せと囁き、自身の腕が望むなら。

自分の意志で断ち切れ。

何度も、何度も。

どす黒い囁きが聞こえなくなるまで突き立てる。

いつしか、そこは見慣れた屋敷だった。

当主の奇行に屋敷の者が悲鳴を上げる。

「痛い…、な」

医者の手配をする者たちの声が遠く聞こえる。

もう、まともに剣など握れないだろう。

「でも……これでいいんだ」

血まみれになった彼女は力なく笑った。

「わたしは……、私はハンク家の罪を背負って生き続ける」

それが自分にできる唯一の贖罪だと。

「さようなら」

この言葉は誰に向けて言ったのか。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

彼女の頬を伝う涙は誰のものなのか。

それは、誰も知らない。

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