第37話 相談って?
「アリシア?」
わたしは首を傾げながら、わたしと同じように実習用の服装に身を包んだ彼女を見つめた。チーム戦の時と似たような動きやすいパンツ姿だけれど、誰もが学園から配布された防御魔法効果のある腕輪をしている。
背の高い彼女はわたしと違ってパンツ姿が似合うなあ、なんて思いながら……その少しだけ表情の曇った白い顔に気づく。
「もしかして、体調悪いんですか?」
わたしは思わず彼女に歩み寄ってから、持ってきたカバンの中からバナナマフィンを取り出して彼女に押し付けた。「体力回復効果ありますからどうぞ。アリシアはこれから実習本番ですよね? 他のメンバーさんは?」
きょろきょろと辺りを見回し、森の中に響く他の生徒たちの声を確認していると、アリシアは低く言った。
「ミランダのことで相談したいことがあるのよ。少し、いいかしら」
「はい? いいですよ?」
わたしが首を傾げたまま言うと、アリシアは踵を返して森の中へと歩いていく。他の生徒たちの姿が少ない方へ。
「ちょっと待ってください。勝手に移動するのは危ないですよ?」
わたしはそう言ってから、近くに実習メンバーがいないか急いで探したものの、運悪く見当たらない。そこで、すぐに戻ればいいかと自分に言い聞かせ、仕方なくアリシアの後を追った。
「ミランダとは長い付き合いだったのよ」
前を歩くアリシアは、まるで独り言のように呟く。「わたしにとって、親友だと呼べると思うわ。でも、彼女は違うのかもしれないとずっと考えていた。彼女にとっては友人の中の一人であって、親友なんて思っていないのかも、と思っていた」
「はい」
いきなり何だ、とわたしは顔を顰めそうになる。でも、彼女はわたしの方を見ていないから、わたしの反応には気づいていないだろう。それに、わたしから受け取ったマフィンを持て余しているかのように、片手で弄んでいる。何だか、心ここにあらずといった感じ。
「彼女はどこか秘密主義なところがあって、冗談みたいに色々話すのに本音は話さない。成績はわたしの方がいつだって上だけれど、たまにわたしよりずっと頭がいいんじゃないかって感じることもあった。それが悔しくて必死に勉強したし、魔法も習った。でも気づいたら、彼女はいつだってわたしの先を歩いている」
「ええと……」
草が生い茂る足元を見下ろし、一体どこに向かっているのかと困惑しながら彼女の言葉を聞く。行き先もそうだけれど、話の到着点も不明。
「あの、相談って?」
わたしがおずおずと口を挟んだのも、彼女の耳には届いていないみたいだ。アリシアは相変わらずぽつぽつと、思いついたことだけを口にしている。
「ここ最近、どうしたらいいのか解らなくて、わたしも色々調べてみたの。それで、彼女の従兄弟のカーティス様……いえ、彼女たちのレッドウッド家のことだけど……多分」
「多分?」
アリシアはそこで急に黙り込んでしまい、無言のまま歩くスピードを上げた。
「あの?」
わたしはそこでいったん、足をとめる。
辺りを見回してみると、他の生徒たちの声が遠くなり始めている。さすがにこれ以上森の奥に入るのはまずいだろうと思う。
でも。
――ああ、魔法の壁がある。
わたしはアリシアの方に視線を戻すと、彼女の前方には防御壁――魔法言語が細かく書かれたガラスのようなものがあるのが見えた。なるほど、こうして実習中は生徒たちを守っているのか、と納得した。
きっと、この防御壁の中にだけ、弱い魔物を選別して放っているんだろうな、と。
あの防御壁はどんな魔法言語の構成で――と興味を抱き、近くで見てみたいと思った瞬間だった。
アリシアが唐突に、魔道具らしいものを持ってきたカバンの中から取り出して、それを防御壁へと投げつけた。
バチン、という耳障りな音と共に、その防御壁の一部分が割れる。
「アリシア!?」
わたしは一瞬、呆気に取られて固まったものの、我に返って叫ぶ。「何をしてるんですか!?」
どうやら彼女が使った魔道具は、防御壁に小さな穴を空けるものだったようだ。火花のようなものがバチバチと舞い踊り、円形の穴を空けて防御壁の向こう側がはっきりと見えたけれど、その穴の周りは壊れていない。まるで、人間一人が通り抜けられるだけの扉だけを開けたという形になったが――。
これ、誰か気づいている?
他の生徒たちは?
先生たちは?
壊してはいけないものを壊してしまって、穴が空いたというのなら――角ウサギどころじゃない、もっと高レベルの魔物が入ってくることだって考えられるんじゃ……。
「ディアナ、こっちに来てくれる?」
アリシアはそこでわたしを振り返り、苦し気に息を吐いた。
右手をこちらに差し出して、穴の向こうに一緒に行こうと促すけれど。
「駄目ですよ、アリシア。これは駄目です」
わたしはそこで、僅かに後ずさって彼女を睨みつけた。「あなたの目的が何なのか解りませんが、とりあえず先生を呼んできます」
「そう」
彼女は苦し気に微笑んだ後、軽く唇を噛んでから踵を返し、穴を通り抜けて向こう側に進んでしまった。どう考えても入ってはいけない危険な森の中へ。
待って待って待って。
何が起きてるの?
わたしは彼女の背中を茫然と見送り、ぷるぷると頭を振った。
アリシアがおかしくなってしまった?
「理由を! どうしてこんなことをするのか教えてくださいよ!」
わたしは思い切りそう叫んだけれど、森の奥からはアリシアの声が小さく返ってくるだけだ。
「こっちよ」
「何なの。何が起きてるの。おかしくない?」
わたしはその場でぐるぐると歩き回り、一瞬だけ考えた。
先生を探してここに戻ってくるのが一番いい。それが一番安全だ。
でも。
わたしは、厭な音を立てる自分の心臓の音を感じながら、思い切って穴を通り抜けてアリシアの後を追った。
だって、先生を呼んでいる間に何かがあったら? 絶対後悔するでしょ?
だったら、引きずってでも連れ戻そう。最悪、魔法で縄でも作って縛り上げる。それから、何でこんなことをしたのか問いただす。
とにかく急がなきゃ!
走って彼女の姿を探し、簡単に追いつく。
森の奥、少しだけ開けた場所に彼女は立っている。周りの木々は生い茂っているけれど、空は青いし魔物の気配もしない。
でも。
「ごめんなさい、ディアナ。わたし、きっと間違っていると思う。でも、相手が相手だもの、逆らえないわ」
アリシアはそこでわたしの方に振り返り、申し訳なさそうに頭を下げる。そして、顔を上げた彼女はその視線をわたしの背後に投げた。
そこで、咄嗟にわたしも振り返って、その姿に気づいたのだ。
「……エイデン様?」
エリス・エイデン。
彼はどこか虚ろな目つきのまま、わたしをじっと見つめて歩いてくる。彼もまた、例の穴を通り抜けてきたんだろうか。
これは一体――と、考えてハッと息を呑む。
そしてアリシアの方に目をやると、彼女は逃げるように元来た道を戻ろうとしていた。
「アリシア!」
「ごめんなさい、ディアナ」
彼女はそう短く言ってから、エリス様に視線を投げて軽く頭を下げる。それは明らかに、彼がここに来るということを知っていた動きだった。
つまり。
「エイデン様、アリシアに何をおっしゃったんですか?」
わたしは目の前の彼を睨みつけて言った。
でも、返ってきた言葉はふざけている。
「やっと二人きりになれたね?」
何だかよく解らないけど、この展開はまずい気がする。
しかも、二人きりって何だ……と、アリシアの方に目をやったはずが、そこには彼女の姿はないし。いつの間に!?
その時にわたしの胸の中に生まれた感情は、間違いなく失望だったと思う。
アリシアはわたしをエリス様に差し出したのだ。友達だと思っていたわたしを裏切って。
わたしはそこで、エリス様に何が目的なのか訊いた。ここではっきりさせなきゃ駄目だと思ったから。
そして、彼は行動で返事をした。
いきなり、わたしたちの足元に青白い光が生まれた。それはどうやら、エリス様が魔法を使ったみたいなのだけれど――。
「何これ」
わたしの足が全く動かなくなって、慌ててしまった。見下ろせばそこには、魔法陣らしきものがあって、そこに浮かび上がっている魔法言語が生き物のように蠢いているのも解る。
でも、こんな魔法、知らない。少なくとも、学園の授業ではまだ習っていない言語の羅列。その文字列はわたしの足から這い上り、気が付いたら学園側から配布されている防御魔法の腕輪に纏わりついた。
金属がぶつかるような音が響き、腕輪が壊れて地面に落ちる。
それを見たエリス様は厭な笑い声を上げた。
「ごめんね、ディアナ嬢」
「エイデン様……」
わたしはそこで、目の前にいる彼は――ゲームとは違う危険な存在なのだと改めて知ったのだ。
ゲームの世界。
わたしはこれまでずっと、今の人生が少しだけ違和感があった。
夢の中のように曖昧な部分があって、たまに自分は本当にこの世界に生きているのか悩むこともあった。何だか少しだけ、自分の存在が妙に薄っぺらいような気がしていて、それは上手く説明できないのだけれど……。
エリス様もウィルフレッド殿下も、そしてゲームの他の登場人物たちも。
あまり興味を持てるような存在ではなかったから、できるだけ近づかなければいいと単純に考えていたのに。
わたしはそこで、我に返って自分の周りに防御壁を作ろうとした。いつものように、慣れた行動だった。
でも。
「古代魔法には敵わないんじゃないかな」
と、エリス様は笑う。
「古代魔法? ですか?」
わたしの声が震えているのが解る。というのも、他人からの攻撃を防ぐいつもの魔法が上手くいかなかったから。わたしの周りに這い回る魔法言語が、わたしの魔法を打ち消してしまう。防御壁が造り出せない。
そんな状況で、エリス様はわたしのすぐ近くにまで歩み寄って笑うのだ。
「君とは仲良くなりたかったよ? でも逃げられてばかりで、君は僕のことが本当に嫌いなんだと思ったら、もうどうでもいいかなって」
「え?」
「だから、禁書を試してみようと思ったんだ」
と、彼は持っていた魔法書をゆっくりと開き、その中身に視線を落として目を細める。「禁書には古代魔法も色々載っていてね、現代魔法と比べて凄く複雑で強力だ。現代魔法では防ぐことのできないものもたくさんある」
これは違う。
ゲームの展開とは全く違う。
「……エイデン様。あなたの狙いって」
「そうだね」
茫然としているわたしの顔を見下ろした彼は、暗い光が宿る双眸をこちらに向けて続けた。「君の魔力を僕に移動させられるかどうか、試してみたいんだよ」
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