第36話 ちょっとした観光みたい
「ええと、その、お断りしたいというか……」
と、曖昧に言葉尻を濁しながらわたしは辺りを見回した。そして、さっきまでいたはずの『彼女』の姿がないことを確認する。
そして胸に痛みを感じた。
友達だと、思っていたのに。
「一体、何が目的なんですか?」
わたしがそこでエリス様を睨みつけて問い詰めると、彼の整った顔がいびつな笑みの形を作った。
その日。
実習の日は、朝からずっと空気がふわふわしている感じだった。一学年全員が参加する大きなイベントみたいな扱いだったから、授業というよりも気楽さがあったのかもしれない。
遠足は帰るまでが遠足です、なんて言葉が前世であったけれど、危険なんてほとんどない実習も、終わるまで気を付けなくてはいけなかったんだろう。
最初から、多少の違和感があった。
講堂に集められた一学年全員。壇上からは実習の説明を終えた教師が降りてくるところで、生徒たちはそれぞれメンバー同士で集まって会話を始めたところだった。
わたしも皆と同じように実習メンバーのところに向かおうとしたけれど、その途中で見知った顔を見て足を止める。
「え? アリシア、大丈夫ですか?」
わたしはいつになく緊張している彼女を見て、いや、正確には彼女の実習メンバーの顔触れを見て心配になったからだ。彼女はウィルフレッド殿下の傍にいて、何か声をかけられているみたいだった。
それで、酷く動揺したのかアリシアは短く何か返事をして、その場から離れようとしているように見えた。
だから声をかけたのだ。
しかし。
「……大丈夫よ」
ぎょっとしたように足をとめ、そう返してきた彼女の視線は落ち着きなく揺らめいている。一体何が……とわたしが眉を顰めていると、声をかけたわたしから逃げるように歩いて講堂から出て行ってしまう。
そして、その後に入れ替わるかのようにミランダがわたしの前に姿を見せた。
「ディアナ、調子どう?」
なんて軽く手を上げてくる彼女の左腕には、救護班の腕章がつけられている。
「え? いや、ミランダ、どうして?」
と、わたしが彼女の腕章を指さすと、ミランダは困ったように笑いながら小首を傾げる。
「ちょっと色々あってねえ、わたし、実習から抜けるのよ」
「え? え?」
その彼女の背後からは、ミランダの従兄弟、カーティス・レッドウッドが姿を見せ、ミランダと同じ腕章を腕につけているのが解る。
「ミラ、こっちでも打ち合わせが始まる。早くこい」
「はぁい」
ミランダが残念そうに笑い、わたしに手を振ってから背を向ける。
あれ? 実習って一学年の生徒は全員参加だよね? どういうこと?
救護班はその名の通り、実習で怪我をした人たちを助ける立場の人だ。教師だけではなく、生徒たち――どうやら治療魔法が得意な上級生がやることが多いらしい。これも成績にプラスになることがあるって聞いたけど……でもミランダは同級生なのに、どうして?
疑問の視線を投げているのに気付いたのか、カーティス様がわたしの前で足を止めて見下ろしてくる。前に見た時と同じように顔色は青白い。そしてその表情は僅かに困惑しているようで、わたしも似たような表情を作って後ずさる。
カーティス様の困惑の色が強まった。
「君は何者だ?」
「はい?」
「魔力が強く、Sクラスに相当する実力を持ちながら、わざとクラスを落としたと聞いた。ミルカ先生もそうだが、あのユリシーズ・ヴェスタが気にかけていると……」
「え?」
「おい」
そこで、少し離れた場所からユリシーズ様の声が飛んでくる。
わたしが驚いてそちらに顔を向けると、ユリシーズ様もミランダと同じ腕章を腕に付けて立っていた。
もしかしてユリシーズ様も一緒にくるの!?
何だろう、急に安心感が凄い!
「打ち合わせに遅れる」
ユリシーズ様の短い声賭けはカーティス様に向けられたもので、それを聞いたカーティス様は苦笑しながら頷き、「解った、お先に」と軽く手を上げてミランダが消えた方向へと足を向けた。
やっぱりそこで、カーティス様の手首にある太陽の形の痣が見えた。それが気にかかるのは事実だけど……。
「あの、先輩? これ、どんな状況なんですか?」
わたしが何が何やら解らないままそう声をかけると、ユリシーズ様の深いため息が聞こえてきた。
「人が多いこの場所で手短に言えることは、気を付けろという言葉だけだな」
「え、他には?」
「言えない。とにかくお前は安全なところにいて、実習でも前に立つな。他のメンバーの援護に回って、実習が終わり次第校舎に戻れ」
「ええ……何ですかね、これ」
わたしは思わず首を傾げてしまう。
何だか奇妙な感覚。わたしだけ何も知らないという不満。
ゲームでは確かにわたし……ディアナはヒロインだったし、ストーリーの中心に立って色々行動していたから全て見通せていたのに、今は完全にわたしだけ部外者みたい。
「解ったか?」
そう続けたユリシーズ様の双眸には、間違いなくわたしを心配している光があったから……まあ、仕方ない。
「解らないけど、解りました」
そう言うことしかできない。まあ、ユリシーズ様はわたしの返事を聞いて安堵したように笑ってくれたからよしとする。うん、笑顔が意外と可愛い。言ったら怒られそうだから言わないけど。
そしてわたしは、自分の実習メンバーのところに向かう。
ベアトリス様は完全にリーダーみたいな立ち位置にいて、他のメンバーたちに色々と指示を出してくる。でも、その内容は簡単だ。
「角ウサギくらい、わたしが仕留めることができるわ。だから、あなたたちは邪魔しないで」
っていうことだ。
正直、わたしを含めて他のメンバーたちの士気は駄々下がりで、初めての実習は何もやることなく終わりそうな感じだ。
まあ、いいけどね。
ベアトリス様が全部やるなら、わたしたちは楽できるし。
そう思いながらわたしたちは顔を見合わせたけれど、せっかく作った短剣の出番がなさそうでがっくりきた。
実習の場所、学園の管理地である森の中の移動は巨大な魔法船で向かう。
三隻の空飛ぶ船に生徒たちが分かれて乗り込み、あっという間に森の入り口で降りることになる。王都よりもずっと離れた場所、それなりに高い山の上。生い茂った木々と、時折姿を見せる小動物。鳥も多く飛び交っていて、いわゆるバードストライク――魔法船にぶつかりそうになることもあったけど、それは船の周りに張り巡らされた防御壁によって弾かれていた。
「ちょっとした観光みたいなものね」
そう言ったのは、メンバーの一人、ローリーという名前の少女。魔法船には大きな窓があるから外の光景がどこからでも見える。多くの生徒たちがその窓際に立って、遥か下に見える街並みや、遠くの山々、地平線を見ながら談笑していた。
他の生徒たちは、ずらりと並んだ椅子に座って友人と会話していて、この光景を見れば小旅行みたいな雰囲気だ。
「そうですねえ」
わたしもローリーに向かって頷いて見せながら、ふと頭上に目をやった。船の天井の近く、そこには巨大な魔石が設置され、ずっと明るく光り輝いている。あれがこの魔法船の原動力。
うん、前世で見たことあるわ。
そう、アニメで。
空に浮かぶ大きな城的なアレよアレ。まあ、言ったとしてもこの世界の人には通じない話題だけどね。
この世界にスマホがあれば、写真撮ってSNSにあげるんだけどね。ちょっと残念。
なんてことを考えていたら、いつの間にか近くにウォルター様が来ていたらしい。急に「やあ」と声をかけられたからびっくりして飛び上がりそうになった。
「別々になってしまって残念だね」
そう言った彼に、わたしは曖昧に笑って返した。
「そうですね……」
と、彼から目をそらしてローリーに声をかけようとしたのに、彼女は気を遣ってわたしから離れようとしているところだった。ちょっと待って。わたしはあなたと話をしたい! 友達になって! と言いたかった。
まあ、ローリーはそんなわたしの心の叫びに気づかずに他の子たちと話し始めてしまう。あああ、もう。
「大丈夫? 何か気になってることがある?」
ウォルター様が隣に立ってそう話しかけてくると、気になってることはどうしてウォルター様がこんなにわたしに話しかけてくるのか、ってことですねー、と言いたくなってしまう。言わないけど。
「体調が悪くなったら、救護班に声をかけるといいよ。魔法船で待機していることもできるみたいだ」
彼がそう言葉を続けて、わたしをじっと見つめる。
なるほど、体調不良って嘘をついて、ミランダと一緒にわたしも救護班メンバーになったら平和だな、なんて考えていると。
「ディアナ嬢。何かあったら声をかけて欲しいんだ。僕は君と違う実習メンバーになってしまったけど、呼んでくれたら絶対に駆けつけるから。絶対に守ってあげるから」
「……何で、そこまで」
わたしはつい、ウォルター様からじりじりと遠ざかりつつ引きつった笑みを浮かべてしまう。
「何でだと思う?」
彼が意味深に微笑んでいる間に魔法船は着陸態勢に入り、山の中腹辺りに降り立ったのだった。
「引率の教師に従うように! 今回の実習は、協力し合うこと、魔物との戦闘に慣れることが重要となる! 無茶は絶対にしないように!」
と、男性教師の声が響き渡る。
魔法船から降りた生徒たちは、戦闘区域を割り振られて行動する。たくさんの場所でたくさんの生徒たちが同時に実習を開始するわけだから、教師の目が届かないことも多い。というか、間違いなく目が届かない。
わたしと実習メンバーたちは、先生たちの目の届かない場所でベアトリス様の活躍を目にすることになる。
森の中、実習で通った人間が多いからか、ちゃんとした石造りの道が縦横無尽に走っている一角。教師から指示された角ウサギの討伐はあっという間に終わり――。
「何のために来たんだろうね?」
なんてことを口々に言い合いながら、白けた空気を纏いつつ皆が魔法船に戻り始めた時。
「ディアナ」
と、どこから現れたのか、アリシアがわたしに声をかけてきた。
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