第35話 やっと二人きりに
「実習におけるメンバー選定は、こちらで行う」
連休明け、まだ生徒たちの気の緩みが顕著な頃。
講堂に集められた一学年全生徒は、壇上に立つ男性教師がそう言うのを見上げていた。その教師の前には、奇妙な形の魔道具がある。ぱっと見、巨大な地球儀――いや、ビンゴマシーンみたいなやつ。どうやらそこには一学年全員の情報が入っていて、ランダムでメンバーの組み分けがされるようになっているらしい。
わたしは光り始めたそれを遠くから見ながら、できれば無難な仲間と一緒に活動できますように、と祈っていた。
まあ、無理だったけどね!
男性教師の背後に現われた巨大なスクリーンの中に、どんどん生徒たちの名前が表示されていく。実習のメンバー人数は、それぞれ十人となっているみたいだ。全てのクラスが均等に振り分けられていくようで、Sクラスの人間が一つのところに集まるなんてことはないけれど。
「まさか、あなたがわたしと一緒になるなんてね」
と、超絶上から見下ろしてくる黒い瞳を見たとき、背中に厭な汗が流れたのは間違いない。
燃えるような赤い髪と、冷え切った闇の色の双眸。嫌悪を隠しもしない掠れた声で、彼女は冷たく続けた。
「呪い持ちの関係者に足を引っ張られるのはごめんだわ」
目の前の彼女――ベアトリス・ルーシェは、きり、と歯を噛んでから身を翻した。そして、彼女の婚約者であるウィルフレッド殿下の近くに歩み寄る。
すると、その近くにいたエリス様が薄く微笑んで彼女に声をかける。
「僕と君を交換するように教師に頼んでみようか? とても君が彼女と上手くやれるとは思えないけど?」
「エイデン様」
ベアトリス様はそこで心底呆れたような表情でエリス様を見つめ、のろのろと首を横に振る。
「そのままそっくり、台詞をお返ししますわね? エイデン様こそ問題を起こしそうですもの」
「酷いなあ」
ベアトリス様とエリス様の声は意外と大きくて、講堂の一部に響き渡っている。だからわたしの耳にも届いたけれど、そんな二人を諫めるようにウィルフレッド殿下が何か言ったらしい言葉までは聞き取れなかった。ただ、柔和な笑顔がトレードマークの殿下が、今日は凄く真剣な表情なのが気にかかった。
他の生徒たちも殿下たちのやり取りを気にかけていて、ベアトリス様がわたしに敵意らしきものを向けているのが顕著だからか、わたしにもちらほらと視線を投げてくる人たちもいる。
それがわたしの胃も攻撃してくるから、ついお腹を押さえて唸ってしまうけれど。
まあ、ゲームとは違う展開だからいいよね。いいのか?
という感じで、わたしの心の中には困惑も広がっていた。
確かゲームの中では、実習のイベントは攻略対象と一緒にヒロインは行動していた。つまり、殿下だったりエリス様だったりウォルター様だったり、ルートによっては相手とイベント内容が変わるけれど、そのどれもが相手の好感度が上がる展開だったのだ。
でも実際に実習のメンバーとなった中で、わたしが知っている人はベアトリス様だけ。アリシアもミランダも別になってしまったから、
ベアトリス様と一緒ということは……ベアトリス様の好感度が上がるっていうこと――。
「は、ないだろう」
「ですよねー」
と、いつものように放課後、ユリシーズ様の研究室に寄って話をしたら、そんな結論を出すことになった。わたしは椅子に座って肩から力を抜いてぼんやりしている。何だか自分でもよく解らない焦燥感が凄い。
何かおかしい?
みたいな?
本当にこれでいいのか、みたいな?
自分がどこに向かっているのか、どこに向かいたいのか、目標を見失っておろおろしている感じというか。
わたしはそこで、思い切り髪の毛をかき乱して唸り声を上げた。どう見ても今の自分はおかしい女に見えただろう。でも、ユリシーズ様はこんなわたしを見ても冷静だった。しばらくわたしのことを無言で観察していたみたいだけど、やがて彼は唐突に言った。
「お前が作った短剣だが、俺が真似をして作ったやつがギルドでそれなりの値段がついた」
「はえ?」
わたしは困惑しつつ顔を上げると、ユリシーズ様がお茶の入ったカップをテーブルの上に置いてくれていた。そして、苦笑交じりに続ける。
「きっと、お前が売ればもっと高値がつくだろう。もし小遣い稼ぎが必要なら、やってみればいい」
「わたしが売れば?」
わたしの鼻腔をくすぐるお茶の香りはとても心地よいのだけれど、それすら消し去る違和感。ユリシーズ様はお茶を飲みながら小さく息を吐くと、僅かに首を傾げて見せた。
「呪い持ちが売ると、買い叩かれる傾向にあるんだ」
「何ですかそれ」
「悪印象があるんだろうな」
「酷い」
わたしはつい、自分の膝を手で叩いてしまった。じんじんと痺れるような痛みを感じつつ、不快感を露にしたと思う。
「人権侵害じゃないですかね、それ!」
「人権侵害?」
「呪い持ちって言ったって、他の人達と違わないじゃないですか! むしろ、能力あがってる可能性だってある!」
「それはともかく、あの短剣は役に立つ。実習で使えば」
「世が世なら、人権保護団体が黙ってませんよ!? むしろ、我々が作り上げましょう! 呪いなんか飾りみたいなもんです! 我々が呪い持ちのための楽園を築くんです!」
「お前、こっちの話を聞いてるのか?」
「先輩が聞いてくださいよ!」
わたしはそこで椅子から立ち上がり、机の上にばん、と両手をついて叫ぶ。「ユリシーズ先輩は魔道具制作で有名になるつもりなんでしょう? だったら、現状を受け入れているなんて駄目ですよ、駄目駄目! 一緒に戦いましょう! そうだ、それを目的にすればいいんだ! お父様の立場だって、きっと今よりずっと良くなるわけで! そうだ、わたしもお菓子なんか作ってる場合じゃない! パンダだって笹を食べてる場合じゃないんですよ!」
「……ディアナ」
「……はい」
「お前、大丈夫か?」
「多分」
そこで、お互い、見つめ合って奇妙な時間が流れる。それから、時を同じくして笑ってしまった。わたしは結構豪快に、ユリシーズ様は控えめに笑ったのだけど。
何だか、こんな風に笑えるのって嬉しいなあ、なんて思う。しかも、ちょっとだけ胸の奥が温かいというか、ほわほわするというか、空気が柔らかいというか――。
「話は戻して、実習の件だが」
先輩が笑みを消してそう口を開いた時、わたしの中の浮ついた気分は消えてしまった。うん、浮かれているのはわたしだけだ。
「ミルカ先生に相談したら、俺も研究の目的という名目で参加できそうだ」
「えっ」
「ミルカ先生も心配してる。どうも、何かおかしいと感じているみたいだな」
「おかしい? 何がですか?」
「それが解れば苦労はしない」
なるほど。
わたしは眉間がその形で固まるんじゃないかと思えるくらい皺を寄せてから、小さく息を吐いた。そして、ユリシーズ様はわたしを気遣うような口調で続ける。
「お前が言っていた……生まれ変わりとか、ミルカ先生に詳しく話してもいいか?」
「え? いいですけど……信じてもらえます?」
「それは祈っておけ」
「誰に?」
「俺に」
う、うーん?
まあ結局のところ、わたしはユリシーズ様に両手を合わせて祈っておいた。柏手も打ったほうが良かったかな、と後で思ったけど、まあいいか。
それから、実習が始まるまでの間はそれなりに平和だった。実習に参加するメンバーで放課後に集まり、自己紹介したり役割分担を決めたり、実際にチーム戦の時間帯に一緒に戦ったり。慌ただしかったけれど、特に問題らしい問題は起きなかった。
まあ、ベアトリス様は姿を見せなかったけど。
「Sクラスの人なら、別に準備とか必要ないのかもね」
と言ったのは、メンバーの一人、ローリー・コーンウェルという女の子だった。男爵家の一人娘で、勉強も魔法も苦手みたいだ。魔力も弱いから後方支援で頑張りたいと言っている。
他のメンバーも、あまり魔法が得意という人はいなかった。メンバーの内訳は、男子が三人、女子が七人。
ベアトリス様とわたしが魔力が高く、魔法ではそこそこ攻撃力もあるのかな、って感じ。男子は剣術や武術が得意らしい。
「まあ、初めての実習で強い敵は出てこないっていうし、俺たちだけで何とかなるだろ」
そうお気楽な口調で言ったのは、ミッキー・ジスティアという名の男子生徒。ありがたいことに、彼を含めて他の男子たちも気の良さそうな人たちばかりだった。彼らはわたしが男子が苦手だということに気づいて、無理やり近づこうとしないでくれた。
「身分高い人って何考えているのか解らんなー」
「まあ、王子殿下の婚約者っていうんだから、怪我とかされても困るし、このままでいいんじゃないか」
そんな会話を男子たちがしているのを横目で見ながら、わたしは女の子たちと会話するのに忙しかった。彼女たちも気安くわたしに声をかけてくれる良い人たちばかりで、これなら実習も安心してやれるかな、って思った。
結局、わたしたち実習メンバーはベアトリス様以外、自分のチーム戦の参加を休んでこちらに集中していた。
だから、わたしは異変に気付くのが遅れたんだと思う。
違和感があるってことには気づいていたのに、大したことじゃないって思いこんでいた。
前世も今も、わたしの性格――危機感の薄さはほとんど変わっていない。いや、多分、自分がヒロインだと自覚してから余計に悪化していたのかも。
ゲームの舞台だから、わたしにとって悪いことは何も起こらない。
厭な思い出も、危険な体験も前世に置いてきた。そう思っていたから、少しずつ思い出している光景も、完結した記憶としか考えていなかった。
だって、普通、考えないよね? 前世と関りのある人が、この世界にいるなんて。
そして、実習は学園が管理している広大な森の中で行われた。大人数の教師が手分けして受け持ちの生徒たちを順番に監督していくが、やはり全て完璧に見届けるのは難しいのだろう。
何事もイレギュラーなことは起こるもので。
「やっと二人きりになれたね?」
薄暗い森の中で歪んだ笑みを浮かべたエリス様は、まるで別人のように見えた。ゲームの中で一度も見たことのない冷ややかな目つきは邪悪と呼んでも間違いないだろう。
彼は右手を軽く挙げ、その手に持っていた本――魔法書らしきものをわたしに見せてくる。
「あの、エイデン様……?」
わたしが後ずさりながら引きつった笑みを浮かべると、彼はふと感情を表情から消し去って言ったのだ。
「ある魔法を試してみたいんだけど、協力してくれるよね?」
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