第34話 幕間:6 ユリシーズ・ヴェスタ
「俺、活動拠点を郊外に移動することになってな」
そう俺に言ったのは、ずっと懇意にしていたギルドの職員であるバートランドだった。
連休初日、俺がギルドに立ち寄ったのは、新しい魔道具の売り込みのためだった。ディアナがスキルを付与した短剣を作るのを見て、俺は彼女に改造してもいいかと訊いた。
「改造って何をするんですか?」
彼女は狙っているのかと疑うほど可愛らしい角度で首を傾げる。つい、こちらとしては目をそらしてしまう。
「使用者を限定できるように魔法言語を組み込む。つまり、戦闘中に相手にこの短剣を奪われたとしても、そいつには使えないようにするんだ」
「あ、自分専用武器ってわけですか? それいいですね! ついでに、使う人が好きに短剣に名前をつけられるようにしましょう! 確か、アニメでそんなのありましたよ!? 剣に命名した文字がレーザーみたいな光と一緒に刻まれていくやつ! どうせつけるならカッコいい名前がいいですけど、わたしだったら、うーん、何てつけようかな……」
と、微妙に変な反応だったが、受け入れてもらえた。
だから、こうしてとりあえず短剣を三本だけ、スキルの内容を変えたものを持ち込んだのだ。単なる短剣なら大した金額ではないものの、スキルの習得のための手間と時間がかかっているから、それなりの金額になると期待できる。だから多少、いつもよりも足取りも軽くギルドに立ち寄った。
だが、短剣の入った布袋をギルドの受付窓口となるカウンターに乗せた途端、彼がそう言ってきたのだ。
困惑しないはずがなかった。
「まあ、別れの挨拶くらいはしたかったからな。お前と会えてよかった」
ギルドの受付窓口に立ってそう笑った彼の皮膚は、呪いによって青黒い鱗が浮かび上がっている。痩せてはいるが鍛えられた肉体を持つ男性で、黒髪と黒目、鋭い目つきの三十五歳。
「別れ……」
俺は少しだけ、茫然としていたと思う。
何しろ、学園と俺の屋敷から一番近いギルドの職員では、呪い持ちの人間は彼だけだった。仲間意識なのかもしれないが、彼は俺に対して優しく声をかけてくれたし、俺も彼を信用していた。
だが彼もまた、このギルドで働くのは厳しかったのだろう。自分が呪いを受けたせいで、妻と子供が出て行ったと言った時は、俺も何て言葉をかけたらいいのか解らなかった。
それが現実なのだ。
王都にあるギルドや、王都に近い街にあるギルドには、呪い持ちの人間の姿は少ない。呪い持ちの人間の立場は限りなく低く、その命も軽く見られる。
だから呪い持ちになったら皆、生きやすい場所へと向かう。
仕事が多くて容易に稼げる王都と比べて収入が落ちたとしても、誰もが呼吸がしやすい土地で暮らす方がいいと考える。
だから。
バートランドもとうとう出て行くのか、と思った。
それは仕方ないことだ、とも。
「そうか。残念だが、おめでとうと言うべきかな」
俺は掠れたそう言って、持ってきた布製のカバンを受付テーブルの上に置いた。すると、視線をカバンの上に向けていた俺の耳に、小さな笑い声が聞こえてきた。
「まあ、お前も学園を卒業したらくれば? 貴族という身分に諦めがついたら、だがな」
「それはとうに諦めがついている」
俺はそこで、苦々しく笑いながら視線を上げた。すると、自分の考えている以上にこちらを心配そうに見つめているまっすぐな視線とぶつかった。
たとえその肌が鱗に覆われていたとしても、その瞳は人間と全く同じだ。だが、苦汁を舐めてきた人間の影があることも明らかだった。
「そうは見えないがな」
バートランドが困ったように笑いながら首を傾げ、俺も同じように苦笑を返す。
「いや、本当にどうでもいいんだ。今の俺は、何とかあの家を出ることだけを考えてる」
そうだ。
そう思わないといけない。だから何でもないことのように笑うし、演技をする。心の奥に黒い感情が渦巻いているのに気付いていながら。
「とにかく、俺は魔道具制作で生計を立てるつもりだし、今回も役に立ちそうなものを持ってきた」
そう言って俺が布袋を指先で叩くと、バートランドがため息交じりに頷いた。
「そういうことにしておく。お前、随分前から小遣い稼ぎというわりに結構な荒稼ぎをしているみたいだが……その金をどう使うのかはよく考えた方がいいぞ? お前が喧嘩を売ろうしているのは良心をどこかに捨ててきた侯爵様だ。気を付けろよ?」
「……解ってる」
そうだ、解っている。
俺は胸の奥が妙に重くなった気がして、つい手を握りしめてしまっていた。
貴族としての生活を諦める。
そう言いながら、その前に――俺はあの父親に一泡吹かせてやれないかとずっと考えている。父を今の権力ある立場から引きずり下ろし、侯爵家を自分のものにする。もしくは、侯爵家を取り潰させるくらいの醜聞をまき散らす。
結局のところ、結果などはどうでもいいんだ。
父のあの冷淡な表情を崩したい。
父が俺のことを蔑んだように見るあの視線を、一度でいいから返してやりたい。
上から見下ろしてくるあの冷たい視線を、俺が同じように見下ろしてやりたい。
そんなことをずっと考えている。
呪いを受けていなかった時は、それなりに家族としてやれていた。父が外に愛人を作っていても、屋敷の中で使用人に手を出していたとしても、それを上手く隠して俺に接してきていたから。
だが、一度こうなってしまうと恨みしか残らない。
家族だから。血がつながっているからこそ、嫌悪感が激しくなる。そういう感情があるのだと知った。
殺してやりたいと思ったこともある。魔道具制作の過程でわざと事故を起こし、父が眠っている間にあの屋敷もろとも吹き飛ばしてやろうかと思ったことも。
もしそうなった場合、父以外の人間を巻き込むことが確定だし、絶対にやってはいけないと自分に言い聞かせているが――最終的には父の破滅を、死を、俺は望んでいるんだろう。
まるで綱渡りをしているような気分だ。正しい道を進まなくてはいけないのに、気を抜いたら父殺しの道に進んでしまいそうな。
それでもいいじゃないか。父だけを殺す方法さえあれば、試してみたっていい。
いや、もちろん理性的な部分では駄目だと解っている。それは大罪だ。親殺しはこの世界において罪が重い。子殺しよりもずっと罪が重いと考えられているのは――宗教的な教えにおいて、親は子にとって神に似た存在だと言われているからだろうか?
神から生まれた命は、神に背いてはならない。だから、神――親を殺した子供は、生きながら魔物になるのだと言われている。
別にどうでもいいと思うんだがな。
それに俺はもう魔物みたいなものだ。呪いを受けた時点で、人間扱いされないのだから。
そんなゆらゆらした感情を持つ俺に気づいたのか、何かとバートランドは気を遣ってくれた。
家を出て独り立ちするには、手に職を持った方がいいと言ってくれたのも彼だ。だから俺は魔法習得と魔道具制作に打ち込み始めた。ありがたいことに魔力だけは高かったし、手先も器用だった。
だからいつしか、あの家を出て魔道具制作で生計を立て、自分の工房を持っていつか有名になり、父の鼻を明かしてやりたいと――思えるようなった。
俺があの家を出たら、父は喜ぶだろう。公爵家の面汚しがいなくなったと考えるだろう。だが俺は、それを黙って受け入れるつもりはない。せいぜい安穏と笑っていればいいんだ。
絶対にいつか、俺は――。
「言い忘れていたが、俺、移動先に妻と子供が待ってくれているんだよ」
自分の物思いに沈んでいると、バートランドが明るい声音でそう言ってきた。
「え?」
「だからお前も諦めるなよ? 王都じゃ呪い持ちなんかまともに結婚できないみたいな風潮があるけどな、他のところじゃそんなことないらしいぞ? 俺がこれから行くギルドは、ギルド長が熊らしいし、呪い持ちの立場もそこそこ強いらしいしな」
「熊」
俺はそこで、過去の記憶が呼び戻される。
確か、それは――。
「お前も、学園生活で可愛い子を捕まえて、一緒にこっちにくればいいだろ。お前、顔はけっこういい感じだから、女の子の一人や二人引っかけるのは簡単だろ? それで、ギルドお抱えの魔道具技師として受け入れてもらえるよう、ギルド長には上手く言っておくから」
「え? は?」
「だから、一緒に呪い持ちの楽園を築こうか」
バートランドは明るく言いながら俺の肩を叩いたが、俺はただ茫然と目の前の男を見つめ返すことしかできなかった。彼は布袋から取り出した短剣を手に取りながら、色々いじくりまわして目を輝かせている。
そして、何故かそこでディアナのことが頭に思い浮かんだのが理解できなかった。
さらに、こうしてそれなりに長々と受付窓口で会話しているというのに、ギルドを行き交う人間たちはバートランドが立つ窓口に来ることはなく、他の窓口に向かっている。しかも、こちらに視線を向ける人間たちも、明らかに異形の俺たちには嘲りの色を乗せた瞳をしている。
それはよく見覚えのある色で――。
そう言えば、あの男もそんな目で俺を見たな、と思った。
あの男、ウォルター・ファインズだ。あいつはディアナに恋心を抱いているようで、俺に対する敵意を隠せてはいなかったが……。
確かにあの男も、呪い持ちである俺のことを下に見ているような印象だった。
そんな男がディアナと同じクラスで、そしてこれからも一緒に行動することが多くなるんだろうと考えると、やはり胸の奥がちりちりと音を立て始めた。
ウォルターはエリス・エイデンが危険だと言ってたが、俺から見ればウォルターも似たり寄ったりだ。
――ディアナはデートは断れているんだろうか。
俺はそこで、ついそんなことを考えてしまった。
そして、ここまでくると自覚せずにはいられない。
俺は間違いなく、ディアナのことが気になっている。恩人の娘だからという理由だけじゃなく、もっと……違う意味で。
そして、ウォルターをディアナに近づかせたくないという感情も生まれている。
どうして俺はディアナと同学年ではないのか、と恨めしく思う。同学年なら実習も一緒に行動できるのに、と。
――連休明け、ミルカ先生に相談してみようか、と俺が考えこんでいると、目の前にニヤニヤしたバートランドの顔があって驚いた。
「何だ、変な顔をしてるが、やっぱり好きな女でもできたか?」
「うるさい。とにかく、価格を鑑定してくれ」
俺が軽く彼を睨みつけて言うと、何か納得したような意味深な表情が返ってきて、それが少しだけムカついた。
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