第33話 わたしの短剣は
「いってらっしゃい、気を付けて」
わたしが軽く手を振りながらお父様とお兄様を見送ると、ぼわっと膨れ上がった毛玉が嬉しそうに身体を震わせ、皮肉げに笑うお兄様が「心配すんな」と声をかけて飛竜に乗り込んでいく。
二頭の飛竜が空に舞い上がるのを見送って、わたしは肩から力を抜いた。
連休初日、わたしは図書室から借りてきた魔法書と向き合うことと決めていた。下手に外出して誰かと会うのは避けたい。そう、いわゆるゲームの中の攻略対象者と。
何しろわたしは腐ってもヒロインである。犬も歩けば棒に当たるどころではなく、変なフラグを乱立する予感しかしないのが恐ろしい。
お母様も外出、屋敷にいるのはわたし以外はテイラーやリンダとか、使用人たちしかいない。
つまり。
わたしの天下キタコレ!
――とまあ、冗談はさておき。
平和に自分の時間を過ごせるということである。
大人しく自分の部屋に戻り、机の上に積んである魔法書から一冊を手に取って、ベッドに向かう。ベッドに寝ころんで魔法書を読むなんていう自堕落な生活、夢のように素晴らしい。
でも。
「……何か、変なんだよね」
魔法書を顔の前で開いたものの、わたしの意識が文字に向かうことはなく、ぼんやりと頭の中に浮かんだ記憶に引きずられて唇が動いた。
この世界は間違いなくゲームの舞台になぞられて作られているけれど、ゲームとは違う道を進んでいる。ストーリーモードにはなかった道。全然知らない道。
「こういうの、小説であったよね……。ゲームの世界に転生した主人公が、運命を変えていくってやつ。覚えているのは、悪役令嬢が善人になったから未来が変わる話とか……」
独り言として言葉を漏らすと、少しずつ頭の中が整理されていく気がした。
ずっと、心の中がもやもやしていて、焦りに似た感情があったと思う。このままでいいのかって思ってた。
いや、よくないと頭のどこかで解っていたから、もやもやしてたんだ。
ここのところ、ユリシーズ様の魔道具に対する真剣さを見てきた。
色々と教えてもらいながら、短剣をレベル上げしたけど――自分が随分と現状に甘えてきたんだって思い知らされた。
わたしにはゲームの知識があるから、ちょっとだけ楽に生きてこられた。家族が優しいから、他人に関わらずに引きこもって平和に生きてこられた。
でもこれって、よくない傾向だよね。
ゲームや小説の中にあった『スローライフ』には憧れるし、厭なことからは逃げて安穏と暮らしたいのは事実だけど。
きっと、厭なことから逃げ続けることなんてできない。
それは例えば、エリス様だったり……ちょっと暑苦しく迫ってくるウォルター様だったり。面倒だけど、衝突は避けられないんだよね。それが人間づきあいってやつなんだと思う。わたしの人生経験はそれほど長いわけじゃないけど、前世の生きて時間も合わせればそれなりの長さなわけで。
その経験から言って、今のわたしは単なる子供で甘えん坊なんだろう。精神年齢が低いというか何と言うか。
ユリシーズ様みたいに、人生の不条理と戦うことだって必要なのかもしれない。それが人間の成長ってやつ? なのかな?
まあちょっと、ユリシーズ様も危ういかな、って感じるけど。彼は呪いについては解くことを諦めてしまってるみたいだし。その上で、呪いを受け入れて……現状で自分の立場を良いものにしようと戦ってる。
魔道具制作で有名になることで、他人から侮られないように努力してるんだろう。そういう戦い方があるってことだ。
「わたしも、戦わなきゃいけないんだよね、きっと」
そう呟きながら、魔法書を頭の脇に置いて目を閉じると。
――可哀そうにね。
――大丈夫。君から寿命は取らないから。
また、あの声が聞こえた。
前回、その記憶らしきものが頭の中に蘇った瞬間、慌てて目を開けてしまった。だから、すぐにその断片は砕け散ってしまったけど、今回はぎゅっと目を閉じたままだ。すると、その台詞の続きが暗闇の中で聞こえた。
――私の判断が甘かったとは認めたくはないが、彼は予想外な動きをした。これについては薬屋から散々文句を言われたからね、私としても何とかしてあげようと思うんだよ。
薬屋?
判断ミス?
――ただ、正直なところ、彼の術式を我々が破るのは色々と問題があるというか、禁止されているんでね。だから、次の世界では君自身で頑張って欲しいと思っているよ。
何?
術式って何のこと?
――君にはちょっとだけプレゼントを送ろう。彼が選んだ次の世界では、元々君は充分な能力を持っている予定なんだが……まあ、さらに強力になったとしても君は悪用はしないだろうから――。
その辺りから、その人の声は急激に遠くなっていった。
ちょっと待って、もう少し話して! 何が何だか解らないし、彼って誰!? 何だか解らないけど、その彼ってのが問題なんでしょ!?
彼。彼と呼ぶからには男性。わたしが怖いのも――。
『失敗したから、次は。次こそは』
誰かの――さっきまでとは違う男性の掠れた声が響いて、そして消えた。
「あああああ、もう、ムカつくー!」
わたしはそこで、ベッドから跳ね起きて叫んだ。気が付いたら髪の毛は乱れていたけど、さらにそれを乱暴に指でかき乱してベッドの上でじたばたと暴れるわたし。暴れすぎて放置していた魔法書が床の上に飛んで行ったけれど、それどころじゃない。
うん、何だか解らないけど、解った気がする!
わたしはそこで、何もない宙を睨みながら考えた。
わたしは何かと戦わなくてはいけないということだ。そしてそれは、さっき聞こえてきた失敗がどうこう言ってた男性なわけだ。
「そしてわたしは強い。多分強い」
わたしの妄想がさっきの声を作り出したのでなければだけど。
しかし、もしも強さに対する潜在能力があったとしても、圧倒的に実戦経験が足りない。せっかく作った短剣だって、いきなり実習に使うよりは練習してからの方がいいはずだ。
それならば。
「お父様、お兄様! 次の魔物退治にはわたしも連れていってください! 明日! 明日もきっと行きますよね!?」
と、二人が巨大な蛇を運んできた際に、わたしは彼らに向かってそう叫んだのだった。
外がすっかり暗くなった夕食の場で、「無理だろ」とお兄様は反対していたし、お母様も「無茶ね」と言ったけれど、わたしは必死に説得した。
連休中は引きこもるつもりだったけれど、それは忘れることにしよう。
そしてわたしの必死な思いが通じたのか、お父様は許してくれた。驚くお兄様とお母様を制して、お父様は真剣な口調で言うのだ。
「その辺の馬の骨たちよりも強くなれば、ディアナも安心だ。ほら、少し前に釣書が届いていたのに断っただろう? もしもその男が逆恨みしていたり、よからぬことを企てていたら、身を守れる強さは必要だろうしな」
「え、ウォルター様がですか? さすがにそれは」
わたしは驚いて首を横に振ったけれど、お母様は何やら納得したみたいだ。
「そうね。誰だって裏の顔があるものね」
いやいや、それは考えすぎなのでは――。
そう思っているのはわたしだけみたいだと、皆の顔を見回して感じた。心配性だなあ。
そして、お兄様は最後まで渋い顔をしていたけれど、最終的には無理はするなと言いながら頷いてくれた。
その翌日、わたしはお父様と一緒に飛竜マリアに乗り込んだ。そして学園のチーム戦でもまだ戦ったことのない魔物討伐に参戦して、実戦で短剣の使い方を学んだのだ。
で、一つだけ言おう。
わたしの短剣、しゅごーい。
お兄様に援護してもらって、針のような硬い体毛を持つ巨大なヤマアラシみたいな魔物とやり合った。その魔物の攻撃方法はとんでもなく硬い毒針を飛ばしてくるというタイプだったのだけど、わたしが防御のために鞘から抜いた短剣で、その毒針は豆腐か何かみたいに柔らかく切れたのだ。本当、ちょっとだけ当たっただけなのに。
さらに、わたしが魔物に短剣を投げつけたら、簡単にその身体を切り裂いて突き抜け、背後の木の幹に突き刺さる。
何コレ、蒟蒻以外なら何でも切れるかな?
もちろん、魔物はあっさり倒れました。わたしの短剣、マジヤバい(わたしの語彙力もヤバいけどね)。
その後も、お兄様が戦い方を凄く真剣に教えてくれた。武器の強さ、防御魔法と攻撃魔法も重要だけど、敵が襲ってきたらどう動くか、どれだけ早く動けるかが重要なのかって気づかされた。
もちろん、自分で用意してきた能力底上げのための焼き菓子も活用したけどね!
あともう一つ気が付いた。お父様とお兄様に守られながらギルドに顔を出した時、以前ほど男性が怖いとは感じなかったこと。
ギルドにはそれこそ色々な男性がいて、筋骨隆々な人が凄い武器を持って歩き回っている。以前のわたしは、お父様たちが一緒にいたとしても、男性が怖くて身体が震えてしまうのが抑えられなかった。
でも今は、警戒しながらだけど普通にギルドの中を歩いていける。まあ、一人で歩けって言われたら違うかもしれないけど。
でもこの変化はどうしてだろう。
強力な武器があるから。お父様たちが一緒だから?
そこで、何故かユリシーズ様の顔が思い浮かんで、つい首を傾げてしまった。本当にどうしてだろう。
でも何となく、自分が強くなったらユリシーズ様に自慢できるかな、なんて邪な考えも出てしまった。うん、何だかそわそわする。
「……お前、凄いな」
連休の間、お兄様に徹底的にしごかれた結果、お兄様が呆れたように言ってきた。「さすが俺の妹と言うべきなのか、もう充分強い。実習なんか寝てても何とかなるくらいだろ」
「さすがにそれは言いすぎですぅ」
わたしも呆れて眉を顰めたけれど、でも。
あの声が言っていたプレゼントとやらは、確かにわたしは受け取っていたのかもしれない。お父様とお兄様から教えてもらった戦闘方法は、あまりにも簡単に覚えることができたのだから。
そして、長いと思われていた連休が終わり、学園に通う毎日が戻ってくる。
ただし、久しぶりの学園生活は、どこか違和感漂うものとなった。
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