第31話 幕間:5 ユリシーズ・ヴェスタ
「協力は構わないが……」
俺は目の前に立っている男に対して、僅かに眉を顰めながら首を傾げていた。目の前にいる――ウォルター・ファインズは、酷く真剣な眼差しで俺を見つめていたが、僅かな敵意がその双眸に見え隠れしているようだった。
放課後、俺がいつものように研究室の扉を開けようとした時に、彼は声をかけてきた。俺が困惑している間に、緊張した面持ちで彼は色々と話してきたが――要約すると、こういうことだった。
エリス・エイデンに目を付けられた、ディアナ・クレーデルの身を守る手伝いをして欲しい。
別にそれは構わない。頼まれなくても、そうするつもりだった。
だが――。
「何故、お前はそう思った? 何故……」
「あなたに協力を仰いだか?」
ふ、と、ウォルターの口元が笑みの形を作った。自信の形。余裕の形。間違いなく俺より年下なのに、どこか俺を冷ややかに観察しているような気配が感じられるのが不快だった。とはいえ、そう感じたことを表情に出すことはせず、俺は静かに問い返した。
「いや、そうではなく……どうして彼女を助けようと?」
「正直に言いますが、僕は彼女に好意を抱いている」
「あ?」
「そして先日、彼女の家に正式に婚約を求める書面を送ったんですよ。まだそれを受け入れる返事はもらえてませんが、いつか彼女を手に入れるつもりです」
――何だ、こいつは。
俺はいつの間にか、息をつめて目の前の男を見つめていた。
そしてウォルターは僅かに身を乗り出してきて、俺を見下ろして言うのだ。
「だから、ディアナ嬢があなたと二人きりで、この研究室にこもっていると悪い噂が立つんじゃないかと懸念しています。それは理解してもらえますか?」
「……なるほど?」
ウォルターは俺より身長が高いせいで、そうやって見下ろされると威圧感がある。だが、そんなものはどうでもいい。
俺はそこで、研究室の前で会話するような内容でもないだろうと感じて、彼を中に招き入れた。ディアナにそうするように、俺は彼にもお茶を用意してカップを机の上に置いたが、ウォルターは軽く頭を下げただけでそれに手を付けようとも、椅子に座ろうともしないままだった。
俺は自分だけ椅子に座り、自分だけお茶に口をつける。
そして口を開いた。
「確かに、将来のことを考えると男子生徒と二人きりというのは問題だったかもしれないが。それ以前に、彼女は誰かと婚約するつもりはなさそうだ」
「今はそうでしょうね」
「今は?」
「将来は誰にも解らないでしょう?」
「まあ、な」
「だから、先輩にもお願いしておきます」
「何をだ?」
「彼女に手を出さないでください」
とうとう、俺の表情が崩れたと思った。苦々しく感じていることを露にしつつ、俺は髪の毛を掻き上げてため息をこぼす。
「くだらないな」
思わずそう呟くと、彼は不思議そうに首を傾げる。
「くだらないですか?」
「呪い持ちが誰かと友人以上の関係になれるとは考えていない。お前が心配するまでもない」
「そうですか」
そこで相好を崩したウォルターの様子を観察して、俺は心の中で『気に入らないな』と感じていた。何と言うか、厭な男だ。
ファインズ伯爵家には悪い噂など聞かないし、男爵家の令嬢であるディアナに取っては『いい相手』なんだろう。だが、目の前の男は好戦的過ぎると思う。彼女がこういう男が好きだというのなら反対はできないが……きっと違うのではないか?
そこで、自分は何を考えているんだ、と違和感を覚えた。
俺には関係のない話じゃないか。それなのに、何故、こんなに不快に……気になるのか。
「とにかく、僕が警戒しているのは実習の時です。学園の外に出て、教師の目も届きにくい時、あの男……エリス・エイデンが動く気がします」
ウォルターの話は続いている。
俺は軽く息を吐いてから、改めて彼の言葉に耳を傾けた。
「僕の考えすぎであればいいんですが……エリス・エイデンは今、王宮の書庫に通っているらしいと聞いています」
「王宮の? それはどこからの情報だ?」
「僕の父です。父は王宮の騎士団で働いていますから、エリス・エイデンの姿を見ることもあるんです。まあ、書庫に入る時にはウィルフレッド殿下も一緒のようですから、ただの勉強のために……かもしれませんが。でも、王宮の書庫には禁書も多く置かれているという話ですから……」
――禁書。
それらの一部は、学園の図書室にも蔵書として保管されている。だが、王宮の図書室とは比べ物にならないはずだ。間違いなく、王宮が保管している禁書はかなりの数だと思われる。
その中には、本当に危険なものもあるはずだ。
「確か、人間の心を操るような魔法もあるとか」
俺がそう呟くと、ウォルターは頷いた。
「そうですね。ディアナ嬢の心に偽物の恋心を植え付けたりすることも可能でしょう。いえ、それ以外にも危険な魔法はあるはずで」
「詳しいな」
そこで、俺は目を細めながら彼を軽く睨む。「お前も禁書を研究しているのか」
「そうですね、もし可能なら研究したいと思いますよ」
彼はあっさりとそれを認め、薄く微笑む。「しかし、リスクが高すぎるのでそれはしません。僕は自分の身と、そしてディアナ嬢の身が大切ですから」
――何故。どうして、この男はそこまで彼女にこだわるんだろう。
そんな疑問が表情に出てしまったのか、ウォルターは何事か察したようで、自分の胸に手を当てて小さく笑った。
「それだけ、僕は彼女のことが好きなんですよ」
その後の時間は、どこか――俺は上の空で彼の話を聞くだけで終わった。
彼は俺に、ディアナを守るための魔道具制作を頼みたいと言った。彼は魔道具制作に関しては苦手のようで、剣を振るだけしか自信がないと眉根を寄せた。
そして、俺の家の力も借りたいと言う。
俺の父ならば、王宮の書庫に入ることも可能なのでは? と言われたが……それは難しいだろう。奇跡的に入室が許可されたとして、そこで見たものを俺に話してくれるはずがない。
とにかく、精神に干渉するような魔法を無効化するような魔道具を造ればいいのか。
俺はただそんなことを考えながら、研究室から出て行くウォルターの背中を見送ったのだった。
「何ですか、これ」
ディアナがいつものように研究室にやってきた時、俺は銀色のブレスレットを彼女に渡した。受け取ると同時に、彼女の手から小さな包みが渡される。焼き菓子のいい香りが漂ってきているから、まあ、そういうことなのだろう。
取り急ぎ作った魔道具だから、満足いく出来ではなかったものの、ないよりはマシだろう。その効果を説明する前に、ディアナは驚いたように目を見開いた。
「え、凄い。精神攻撃防御の腕輪じゃないですか」
「何故解った」
「そりゃ、見れば……ええと」
ディアナは興奮したように目を輝かせて俺を見たが、すぐに気まずそうに頭を掻いた。「何となく解るかなー、と」
「もう鑑定魔法が使えるのか。もしかして、君の父親……、もしくはお兄さんから教えてもらった?」
「あ、そうですそうです」
……この反応は違うな、と思いながらも俺は頷いた。
「さすがだな、お前の家は」
「でしょー?」
えへへ、と笑うディアナの目は泳いでいるが、面倒なので問い詰めることはしない。
「まあ、敵の魔力が強ければ壊れるだろうが、時間稼ぎにはなる。壊れたら逃げろ」
「簡単にいいますよねー。まあ、逃げますけどー」
ディアナは唇を尖らせて言うが、その目は笑っている。嬉しそうにそのブレスレットを左手首につけ、ニヤニヤしつつ顔の前で手をひらひらさせた。そういうところがなければ可憐な美少女なのにな、と少し残念に思ったが――。
美少女。
確かにそうだったな、と改めて気づかされるのだ。
ディアナ・クレーデルはとても可愛らしい顔立ちの女の子だ。黙っていれば、男どもの視線を一身に受けるだけの魅力を持っている。
だから、ウォルター・ファインズもそうなのか、と苦々しく思う。
この見た目に騙され――いや、違う。
あの男も気づいているんだろう。ディアナは面白い人間だ。魔力の膨大さや見た目の可愛らしさだけじゃなく、内面も魅力的なのだと気づいているから、あんなに――。
どうも、気に入らない。
理由はよく解らないが、ウォルター・ファインズはいけすかない男なのだと思う。この感情は何だ、と悩んでいると、ディアナが言った。
「そういや、ウォルター様にデートに誘われたんですよー。次の連休に一緒に魔道具屋に行こうって」
「何?」
俺は思い切り顔を顰める。「行くのか?」
「体調不良になる予定なのでいきませんよ」
「予定か」
「はい、予定ですが決定でもあります。げほごほ」
そうか。
何となく心の片隅でその言葉に安堵を覚えながら、自分が何を考えているのかさらに解らなくなった。
「あの男、俺に協力して欲しいと言ってきたぞ。お前を守りたいんだとか言いながら、俺に牽制してきた」
「牽制」
「お前に手を出すなと言われた」
マジか……、と小さな囁き声が彼女の口から漏れた。
そして、頭を抱えて唸り始める。
「ううん……、どうしてウォルター様がわたしに興味を持ったのか、全く解らないんですよね。確かに同じクラスになったけど、チームだって別だし。大体、わたしってお兄様から『残念な女』扱いされているし、女らしくないことは自覚してるし」
「いや、お前は面白い。間違いなくモテるだろう」
「え」
ディアナが目を丸くして口を手で覆う。「何ですかそれ、おもしれー女枠ですか! 納得いきません!」
「何だそれは」
「イケメン男子に、『お前っておもしれーな』って言われてちょっかい出される主人公枠ですよ! 恋愛初心者のわたしには荷が重すぎる!」
ディアナはしばらくの間、身体を揺らしながら何事かぶつぶつ呟いていた。連休は引きこもるとか、家でずっとお菓子を作るとか、お兄様と短剣の訓練が、とか。
確かにディアナは変な女の子だが、別に俺は気にしない。
それに。
気が付いているのだろうか。
彼女はもう、俺の前で防御壁を作ることはなくなった。俺が危険な存在ではないと認めてくれたのか、それとも――男として見られていないのかは考えたくないが、それでも、この関係は悪いものではないと思う。
ただし、彼女が誰かと婚約してしまえば終わってしまう関係だが。
そう考えると、胃が重くなる感じがした。
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