第30話 相手を拒否する言葉
「……無理ですからぁ……」
わたしが肩を落としながらそう呟くと、ユリシーズ様は「だろうな」と呆れたように笑った。
「男性恐怖症は克服するのに時間がかかりそうだしな?」
続いて揶揄うような口調でそう言われて、わたしはまじまじと彼の表情を見つめてしまう。妙に打ち解けた口調で、目の前のこの人は女性恐怖症だって話だったはずなのに――と予想外過ぎたからだ。
「まあ、断りますよ」
わたしは軽く頭を掻きながら、軽く手を振って彼に一歩下がってくれるように促した。このまま立ち塞がれていたら研究室に入れないし。
「だが、断れるのか?」
彼は一歩左側に移動して、わたしに道を作ってくれた。ありがたくその隙間をすり抜けて研究室に入り、今となってはわたしの定位置となりつつある椅子に腰を下ろし、いつものように焼き菓子の入った包みを机の上に置いた。
今日のお菓子はカップシフォンケーキだ。中にヒクイドリの卵を使ったカスタードと、生クリームを詰めてあるから、食べ応えはばっちりだと思う。
それに、今回のケーキには毒消し効果が付いている。これも売り出したらそこそこの値段がつけられるかな、と現実逃避しつつ口を開く。
「悩んでるんだから厭なことを言わないでくださいよ……」
「悩んでる? やっぱり付き合うことにするのか悩ん」
「違いますよ! 断りますよ! でも、どうやって断ったら上手く……こう、丸く収まると言うか、相手を傷つかせずに断れるかって……」
「無理だろう」
わたしがもごもごと言った台詞を、ユリシーズ様は軽く一刀両断しつつカップシフォンケーキを覗き込む。「相手を拒否する言葉はどうやっても傷つける。傷つけないためには受け入れるしかない。自分を曲げてでも」
「うう」
わたしはそこで話をそらすことにした。「それより、魔道具です、先輩。実習に向けて、わたしの短剣を最終兵器並みに強くしたいんですが相談に乗ってください」
「それはいいが、このケーキも美味いな」
先輩がカップシフォンケーキを一口食べてそう言うと、ちょっとだけわたしも悩みを忘れて心が浮足立った。やっぱり美味しいって言ってもらえると嬉しいよね。
うん。
もしもウォルター様にも猫耳と尻尾がついていたら、こんな風に悩むこともなく、婚約を受け入れていたのかなあ。
「何か言ったか?」
「え? 何も言ってないですよ」
わたしが首を傾げつつ返すと、ユリシーズ様が僅かに眉を顰めて見せた。
あれ? 思っていたこと、口に出てた? ええと……猫耳のこと?
いやいや、まさかね。
わたしが曖昧に笑っている間にユリシーズ様はケーキを食べ終えて、わたしの短剣に視線を落とした。
それからは、何も――私の婚約についてなど話題に上がることもなく、ただ短剣の強化とスキル習得だけに専念して、気が付いたらどんどん日が過ぎていった。
「次の連休は忙しくなりそうなのよねぇ」
学園に入学し、普通に生活して初めての大型連休が近づいてきた頃、アリシアが「我が家に来ない?」とミランダとわたしを誘ってくれた。でも、ミランダが残念そうにそれを断った。そうなると、わたし一人でアリシアのお屋敷にお邪魔するなんて気が引けてしまって、わたしも「夏休みが来たらぜひ」と逃げてしまった。
どうやら、夏休みは一か月以上あるらしい。
課題もたくさん出されるようだけれど、遊ぶ時間もたくさんある。きっと、その辺りになればミランダも暇な日くらいあるはずだ。
「ミランダが来られなくても、気にしないでいいのに」
と、アリシアは残念そうに微笑んだものの、ミランダがつまらなそうに唇を尖らせているのを見てしまうとね――。
うん、仲間外れみたいに思えるよね。
なんて、空気を読んだわけだ。
それに。
「実はわたし、実習を目の前にした次の連休、お父様とお兄様に協力してもらって特訓する予定なんです。強くなって新登場するつもりなんで、乞うご期待というか」
わたしがへらりと笑って続けると、アリシアが驚いたように口元を手で覆う。
「特訓? 実習って確か連休明けにあるって聞いたけれど、内容は簡単だって聞いたわよ?」
彼女の言葉に、ミランダも小さく頷いた。
相も変わらず、チーム戦の最中、早々に決着がついて講堂の端っこでそんな会話をするわたしたち。
「確かに、新入生であるわたしたちの最初の実習は簡単だって聞きますけど」
と、わたしは前置きして首を傾げる。「うちのお兄様みたいに、とんでもなく強いドラゴンが出てくる可能性もないとは言えないじゃないですか。だから、アレです、備えあれば患いなしというやつ。何だか……よく解らないんですけど、わたし、引きが強いのかもしれないし」
「引きが強い?」
「チーム戦でレアレイドが出たの、新入生たちの間ではわたしたちだけみたいですよ? 人によっては、在学中、一度も出ない場合もあるって」
自然と、わたしたちの視線が講堂の中でチーム戦に挑む生徒たちの姿に向いた。
誰もが色々な魔物の幻影と戦っているけれど、どれもこれもよく見かける魔物ばかり。レアレイドが出て盛り上がっているチームなんて一つもない。
結構近くで戦っているウォルター様の姿も見えたけれど、彼たちが戦いを挑んでいるのは大きな毒トカゲ。人間に麻痺毒を吐きつけるそのトカゲは、まるで羽根でもついているのかと思うくらいのジャンプ力を持っているが、敵としてはレベルが低い方だ。あっさりウォルター様はチームメイトたちと巨大トカゲを倒し、ポイントを得ていたし、それと同じ敵と戦っている他のチームも多い。
「そう言えば、今日のわたしたちの敵は――」
ふと、アリシアが何かに気づいたように口を開き、わたしはすぐに頷いた。
「今日はホワイトサーペントでしたね。これも、出現度は低いみたいなことを、周りの生徒たちが騒いでましたよ」
「……ディアナ」
「あなたって……」
アリシアとミランダが変な顔をしてわたしを見つめる。
「わたしじゃなくて、ミランダかアリシアが引きが強いのかもしれないですけどね」
あはは、とわたしが頭を掻いていると、二人が深いため息をこぼした。
そして、そんなわたしたちに声をかけてきたのは。
「やあ、ディアナ嬢」
と、輝くような爽やかな笑顔と登場したウォルター様で。
「あ、あの、こんにちは……」
頬が引きつるような感覚を覚えつつ、わたしは彼に笑顔を向ける。相変わらず、彼の背後にはチームメイトらしき男の子たちがいて、興味津々といった視線をこちらに向けている。
「少し、話せないかな」
彼は穏やかな口調でそう言ったけれど、わたしとしては挙動不審になるしかない。というのも、ちょうど昨日、婚約の申し込みを断ってもらうようお父様に頼んだ直後だったからだ。
いつそれがウォルター様の耳に届くのか、そして彼の態度がどう変わるかと、今日の朝から戦々恐々としていたから。
「あ、はい」
わたしが覚悟を決めて頷くと、背後からミランダが手を軽く叩いて甲高い声を上げているのが聞こえた。
いや、期待しているような展開じゃないからね!
彼は講堂の外に出るように促してきて、わたしはぎくしゃくとした動きでそれに従ったのだけれど。
「次の連休、暇かな? よければ、一緒に魔道具屋を回らないか?」
彼はそんなことを言ってきて、思わずわたしは中庭の真ん中で足を止めてしまった。周りには他の生徒たちの姿はなく、完全に二人きりという状況。
「魔道具屋? ですか?」
「そうだよ」
彼も足を止めてわたしの方へ振り返り、ぎこちなく微笑む。「君はユリシーズ・ヴェスタ先輩と一緒に魔道具の研究をしているよね? 興味があるからだよね、魔道具に」
魔道具に。
という言葉にだけ、妙なアクセントをつけた彼の表情は、酷く真剣なものだった。
「あ、あの」
わたしは何て応えるか悩んでしまった。やっぱり、婚約の申し込みを断ったのは、まだウォルター様の耳に届いていないのだろうか。
「もちろんこれはデートの誘いでもある。どうやら僕は、あの先輩に後れを取っているみたいだし、もっと……僕のことを君に知ってもらう必要があると思ったからね。学園内じゃあまり会話もできないままだし、何とかしたいと思った。それに僕は……君のためなら何でもできると思うよ。君が厭がることは絶対にしないと誓うし」
「でも、その」
「エリス・エイデンの動きも気になるんだ」
そこで、ウォルター様は目を細めて言った。「今は君に声をかけてこないようにしているけど、どうも、裏がある気がする。あの男は危険だと思うし、君は隙が多すぎる。君を守る人間が必要だろう」
「でも」
「その守る人間として、僕が名乗りを上げたい。今は僕のことが好きだと思えなくてもいいし、僕の立場を利用してくれていい。僕は僕で、君に対して点数を稼ぎたいだけだ。これは僕の為でもあるし、君の為でもある。僕は君のための剣となろうと思うんだよ」
「そんなのは駄目ですよ」
わたしはそこで、思い切って首を横に振った。「わたし、お父様に頼んでウォルター様からの婚約を断ってもらうように話を進めているんです。わたしは無理です。ウォルター様の好意を利用するなんて、絶対に人の道から外れているじゃないですか」
「僕が気にしないと言っても?」
「わたしが気にするんです」
わたしはちょっとだけ、泣きたくなってしまった。「だってわたし、どうしても男の子が苦手で……婚約とか、結婚とか……無理なんです。それが、ウォルター様じゃなくても」
「ユリシーズ・ヴェスタ先輩も?」
そうです、と言おうとした。
でも、その言葉は喉の奥で張り付いて出てこなかった。
冗談めかして『わたしの理想はお兄様で』と言いたいと頭の片隅で考えたけれど、やっぱりそれも口にすることはできないままで。
「……いいよ、別に。僕は気が長い方だし、いつか人の気持ちが変わることだってあるって知ってる」
やがて、彼はくしゃりと顔を歪めて笑った。
凄く心が痛いし、ユリシーズ様の言葉を思い出してしまって身の置き所がどこにもなくて。
――相手を拒否する言葉はどうやっても傷つける。
そうだよね。
そうなんだ。
でも、ウォルター様はわたしの言葉を少しだけ受け入れて、さらに少しだけ拒否した。
「今は君の気持を優先するよ。でも、少しでも僕に興味を持ってくれるなら、もっと話をしたいと思う。一緒に勉強したり、一緒に行動したり、そのくらいでもいい。婚約は――今はできなくても」
もしかして、もう聞いているんだろうか。わたしが彼の申し込みを正式に断ってもらったこと。
わたしが何て言ったらいいのか解らず唇を噛んでいると、彼は軽く頭を振って表情を引き締めた。
「それはさておき、エリス・エイデンの動きだよ。あれは危険だよ、間違いなくね」
「危険……」
ウォルター様はそこで辺りを警戒したように見回し、誰も近くにいないというのにさらに声を潜めて続けた。
「君は一人で動かない方がいい。この際、ユリシーズ・ヴェスタ先輩にも相談しよう。ちょっと悔しいけど、僕の伯爵家の力よりヴェスタ侯爵家の力の方が強い。エイデン公爵家と戦うには弱いかもしれないけど、権力は利用して戦わなきゃ」
「え……」
わたしはただ、茫然と彼を見つめた。
ウォルター・ファインズって、こんな顔をするキャラだったっけ?
ゲームの中じゃ、爽やか王道系の美丈夫って感じで。悩んでいるところや苦しんでいるところは他人に見せない人だった。こんな泣きそうな顔なんか、見たことない。
何だか唐突に、目の前の彼が一人の人間として目に入ってきた気がした。ゲームの登場人物という意識から離れて、生身の人間として見えてきた彼は――何だか、わたしが考えているよりもずっと、複雑な心情を抱えているようだ。
そしていつの間にか、わたしの知らないところで――ウォルター様とユリシーズ様は話し合う時間を共にしたみたいだった。
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