第20話 水は低い方に流れる
「やっ……」
――たあああぁぁぁぁ!
と、わたしは今、歓喜に震えながら拳を高く上げている。目の前にはミルカ先生がいて、職員会議の結果、わたしはAクラスに移動が決定したという知らせを受けたばかりだった。
「ただ、君は間違いなくSクラスに相応しい能力を持っている。学園長も、もしもSクラスに戻りたいならいつでも戻っていいとおっしゃっていた」
「大丈夫です、お気遣いなく!」
わたしが親指をグッと立てて微笑むと、ミルカ先生は困ったように眉尻を下げた。
「クラス落ちして喜ぶ生徒は滅多にいないんだがな……」
「レアだという話ですね? いえ、スーパーレア?」
「……何故、喜んだ?」
ミルカ先生が呆れたように両目を眇めて見せた。
テンションが上がってるので、奇行くらい許して欲しいものだ。わたしがへらりと笑いながら辺りを見回すと、広い職員室の中にはそれなりに先生たちの姿があった。今は放課後で、書類と向かい合って唸っている先生もいれば、教えを乞う生徒たちと会話している先生もいる。
そんな中で、わたしはミルカ先生の机の傍らに立って身体を震わせていたので、多少、奇異な目で見てくる先生たちもいた。
「それで、わたしのクラスで引き受けますが……」
と、そこで声をかけてきたのが、今度からわたしの新しい担任となる予定の先生――カーリー・バーネット。神経質そうな眉毛の上でまっすぐに切りそろえられたこげ茶色の前髪、長い髪の毛は後頭部で綺麗にまとめられている。一重瞼で釣り目のせいできつい印象を与えてくるが、その声は可愛らしい。目を閉じて聴いたら、幼女の声と勘違いしてもいいくらいに。
「わたし、厳しく教育しますから! でもそれは愛の鞭ですから! 生徒たちは皆、わたしの声だけを聴いて甘く見てきますが、そんなことはありませんから! ビシバシ行きますから!」
「はい、望むところです!」
わたしは頭の片隅で、目の前のカーリー先生が何やらコンプレックスを抱いているようだと考えながらも、胸の前で両手を組んで熱弁していた。「ぜひとも厳しくしてください! そしてわたしを、どんな男の子にも勝てるだけのSSSキャラに仕立て上げて欲しいのです! もう、逃げるだけなんで厭なんです! 攻撃能力を上げて、『あの』お兄様さえもぶっ飛ばせるくらいのスーパーウーマンにしてください!」
「何かよく解りませんが、解りました!」
わたしたちが何だか解らない闘志に燃えて握手をしていると、近くで椅子がぎしりと鳴った。横目でそちらを見ると、椅子に座っていたミルカ先生が渋い表情で天井を見上げて呟いている。
「……やはり、これは間違っていたのではないか……」
いえ、間違ってませんよ!?
ええ、そりゃあもう!
そんな一幕があったけれど、それからのわたしの学園生活は少しだけ平和になった。
カーリー先生が受け持つAクラスは、Sクラスほど選民意識が強くなかった。もちろん、身分の高い貴族の子息子女はいるけれど、彼らは何とかSクラスに上がろうと必死だったから、周りを見ている余裕もない。つまり、気に入らない相手がいたとしても嫌味を言うだけの暇もないということだった。
何しろ、厳しいと公言しているカーリー先生は、これでもか、と言わんばかりに課題を出してくる。毎日配られるプリントには、かなり高度な魔法学についての文章がびっしりと書き連ねてあり、それに対するレポートを出さなくてはいけない。さらに、生徒たちから希望があれば放課後、課外学習も行われる。
簡単な話、時間が足りない。
カーリー先生は優秀で、魔法全般が得意。生徒からの質問も全て的確に答えてくれる。
そして、やる気のない人間を見極めるのが上手い。そういう生徒を見つけたら、叱咤激励――叱咤が大分多いけど、熱血教師的な勢いで追い詰めていくわけだ。
クラスメイトの中には逃げ出したくなっている人もいるようで、泣き言を漏らしている生徒も見かけた。
まあ、わたしはありがたかったけれどね。Sクラスの問題児のことはすぐに忘れられたし、大満足。
でも。
ただ唯一の誤算は、ウォルター様と同じクラスになったことだった。
彼はわたしが同じクラスになったことを歓迎し、ことあるごとに話しかけてくるようになってしまった。放課後の剣の練習にも誘いをかけてくることが多くなったし、それを断るのが難しくなってしまった。だって、本当に……子犬のような期待に満ちた目で見られたら……ねえ?
「付き合っちゃえばいいのにねぇ」
放課後、剣の訓練場の中でミランダがわたしの右側に立って笑う。そして左側に立ったアリシアが苦笑交じりに続けた。
「理想はあなたのお兄様以上の強さ? 充分強いように見えるけれど?」
「うーん」
わたしはその場で腕を組み、首を傾げて見せた。
わたしたちの視線の先で、ウォルター様が三十代の先生と剣の手合わせをしている。剣技だけではなく、魔法も組み合わせたものだったけれど、確かにウォルター様の動きは先生に負けていない。さすが攻略対象というべきか、潜在能力がモリモリなのかな? 誘われて何度か見学にきているけれど、どんどんレベルが上がっている気がする。
わたしが見学していると、時折、ウォルター様が嬉しそうにこちらを見て手を振ってくれる。それ自体は嬉しいと思う。ゲームの世界なんだな、と改めて胸がどきどきする。
でも、でも。
――いつになったら、わたしは変われるんだろう。苦手意識は消せるんだろう。っていうか、今のわたし、ヒロインにあるまじき態度を取ってるのは間違いないよね? ゲームだったら今頃、攻略対象の誰かと仲良くなってるはずなんだし。
推しのウォルター様と恋愛関係になってもおかしくなかった。
そう、全ての男性が苦手、というわたしのこの意識さえなければ。
わたしのため息、マリアナ海溝の深海に届け。
訓練場の片隅で、苦悩の呻きと共にしゃがみ込んだのだった。
「許可が出た」
それで。
義理の混じった見学を終え、ウォルター様に手を振って訓練場を出て向かった先はユリシーズ様のところ。自分の借りた研究室に向かう前に、必ず寄るのも日常になっている。いつものように彼に挨拶をしてからすぐに別れる、という流れに乗ろうとしたのだけれど、その日はちょっと違った。
「許可」
「そう、許可だ」
「ええと、例の禁書の件ですか?」
「他に何かあったか?」
「いえ、ありません」
わたしは渋い表情のユリシーズ様に笑いかけ、その研究室に足を踏み入れた。もう、お互いに距離を取るのが当たり前になっているから防御壁を展開させる必要はない。ユリシーズ様の尻尾も膨れ上がらなくなったから、多少、わたしに気を許しているのかもしれない。もしくは敵にならないほど弱いと思われたか。
「図書室に行くか? それとも、ここで簡略的に話すか?」
ユリシーズ様はいつもと同じ無表情で静かにそう言って、わたしを見つめている。わたしはすぐに「図書室に」と手を上げた。
「呪いというのは、単純に言えば魔力の移動なんだ」
ユリシーズ様がそう切り出したのは、図書室の奥にある禁書室に入ってからだった。学園長から発行された閲覧許可証を司書の先生に提出して入室したその禁書室は、それほど広くはなかった。日本で言うところの六畳間くらいだろうか、ただ天井が高く、四方の壁にびっちりと詰め込まれた本から異様な空気が漂っているのが解る。
わたしはきょろきょろと辺りを見回しながら、背表紙に何の文字も書かれていない本や、動物の皮らしきものでできた本、難しそうな内容を示すタイトル、そういった禁書を見て思わず両腕をさすってしまった。何だか寒気がするのは気のせいだろうか。
「魔力の移動、ですか?」
わたしがオウム返しにそう訊くと、ユリシーズ様が本棚から一冊の本を取り出してわたしに差し出してきた。赤い表紙のその本には、『呪い解析の実験と理論』と書かれていて、本を開いたら指先にびりびりした感覚が走った。
「ああ、その本、読む人間の魔力を吸うから」
「そういうのは早く言ってください。心構えが違うんで」
「次回からはそうしよう」
ユリシーズ様はしれっとそう返してくるから、ついわたしは恨みがましい目を彼に向けた。
「その本を読めば解るが、呪いが発動する原理というのはこういうことだ」
わたしが睨みつけても彼は気にした様子もなく、軽く右手を上げて魔法を使う。すると、そこには宙に浮かぶホワイトボードみたいなものが現れた。
「まず、魔物がいるとする。そして、その魔物は瀕死の状態だ」
ホワイトボードの中に、簡略化された犬みたいな猫みたいな……動物みたいな物体が描かれる。そしてその近くに、人間みたいな棒人間が出現。
ユリシーズ様は絵が下手らしい。
まあ、それは言わないでおこう。
「瀕死状態を経て、魔物が死ぬ。すると、魔物の肉体から魔力が流れ出す。通常は、その魔力は……空気に溶けるんだ。我々が暮らしているこの世界には、空気にも大地にも魔力が存在する。その濃さは場所によって違うが、やはり魔力が薄いところに流れていきやすいのかもしれない」
「そうなんですか?」
「事実、その結果が呪いとなっている」
「呪い」
「ああ」
ユリシーズ様はまた右手を軽く上げて、ホワイトボードみたいなところに新しい線を描く。魔物みたいな物体から棒人間へ矢印。
「人間側が何らかの理由で魔力が枯渇している場合、そこに流れ込むんだ。つまり、魔法で戦った後など、死ぬ直前まで魔力を消費した後、だな」
「なるほど……」
そういえば、わたしのお父様も『そう』だった。
魔物と戦って、魔力を極限まで消費して辛勝を得たわけだけれど、その後に呪いを受けたって言ってた。
「まあ、水は低い方に流れるというか、分水嶺というか。そういうことなんだろう。いわゆる、貯水池に流れ込んだ水――魔力はそこで定着し、人間に身体的な影響を与える。それが肉体の一部を変質させるんだと思われる。俺の見た目の変化も、その影響だろう」
ユリシーズ様はそう言って小さく息を吐いたけれど、わたしは思わず彼の整った顔をじっと見つめてしまった。彼の猫耳と尻尾。
それは、彼もまた、お父様と同じような経験をしたから。
どうして?
お父様と同じように、魔物と戦ったりしたの?
「ええと……その、つまり」
わたしは軽く頭を振って、ユリシーズ様のことより呪いの方へ意識を向けた。「その魔力をお父様やユリシーズ様の肉体から抜くことができれば、呪いは解けるということなんですか?」
「……原理的にはそうだ」
彼はそこで、僅かに眉根を寄せた。苦痛にも似た色が瞳にチラついたのが見て取れる。
「原理的?」
「ああ。だが、魔物の魔力も、人間の魔力も、どちらも基本的に性質は同じなんだ。分離させることは難しい。少なくとも、現在の魔法技術では魔力の分離は不可能だ」
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