第19話 幕間2:エリス・エイデン

「そこまで! 勝者、ジョニー・マイケルズ!」

 ホワイトフィールド城の近くにある、巨大な闘技場に朗々と響き渡る男性の声。そしてすぐに湧き上がる歓声が、今年の春の入団試験の終わりを告げた。

 年に一度、春になるとホワイトフィールド王国の騎士団へ入団したいという人間が集まり、多くの観客の前で魔法と剣の腕を披露する。これは試験であり、民衆のための娯楽でもある。参加者はトーナメント制で勝ち上がっていき、最後に残った人間が数年は遊んで暮らせるほどの報酬と、栄光を手に入れる。たとえ途中で負けたとしても、強いと判断されれば王宮騎士団より声がかかる。盛り上がらないわけがない。


 僕は歓声を上げている観客の中に埋もれるようにして、じっと座って唇を噛んでいた。

 戦うための闘技場と、それをぐるりと取り囲む観戦席。一般人が据わる観戦席の中で、僕は騎士団の関係者や、身分の高い貴族が座れる特別席を見据えている。視線の先にあるのは、特別席のある個室。そこには僕の父親であるエイデン公爵と、兄のアイザック・エイデンの姿がある。

 父は王宮魔法士の中でも抜きんでて実力があると言われている。魔力量、魔法の技術だけでも他人とは比べ物にならないのだが、剣の腕でも一流。陛下から拝領した飛竜を乗りこなし、誰もが憧れる存在だ。


 だからこそ、なのだろう。

 今年の優勝者の前に立ち、父は男らしくも優しい笑顔を向けて何か言葉をかけているが、優勝者の男性はそのことに感動しているのか、僅かに身体を震わせているのが遠くからでも見て取れる。

 そして僕の兄であるアイザックも父の数歩後ろに立って控えているのだが、その彼に対してさえ優勝者は嬉しそうに頭を下げている。何しろ、兄は父によく似ている。姿形だけでなく、魔法や剣の腕も優秀だ。


 そう、僕とは違って。


 何故、自分はあの場所に行けないのか。

 何故、父は僕のことを見下すのか。

 何故、兄の視線は僕を捉えないのか。


 もちろん、理由はよく解っている。

 僕が父にとって期待外れの存在だからだ。

 魔力量は人並み、身体を鍛えてもそれほど筋肉がつくわけでもなく、剣の腕も人並み。父と瓜二つと言っても過言ではない兄の風貌と違って、僕は母に似て女みたいな貧弱さが際立っているからだ。


 父は強さこそが正義だと信じている。

 だから、僕が幼い頃からずっとこう言われていた。


「お前は、誰に似たのか」

 ――と。

 その言葉と一緒に吐き出されるため息は、失望の音そのものだった。


 いつだったか、怖い夢を見て自分の部屋を抜け出したことがある。暗い廊下を歩きながら、父か母のどちらでもいいから話を聞いてもらいたいと考えていた。

 でも、辿り着いた部屋の扉の前で、言い争う声が聞こえてしまったから僕は声をかけることができなくなった。


「何故、エリスの魔力量はあれほど少ないのだ!? おかしいと思わないのか? 私が何のためにお前と結婚したと思っている!?」

「そんなことを言われても困りますわ!」

 激昂する父の怒声と、それに反論する母の金切り声。

 聞いてはいけない言葉だと感じながらも、扉の前から動くことができなかった。

「私とお前の子供であれば、アイザックと同じくらいになるはずだろう!? しかし、実際はアイザックの半分ほど。本当にエリスは私の子か!?」


 その途端、母が何かしたのかもしれない。

 グラスの割れる音や、母の怒りに満ちた声がしばらく響いて、僕の心までも攻撃する。

 やがて母が悔しそうな声で言った。

「残念ながら、あの子はあなたの子よ。本当に残念だわ!」


 残念ながら。

 残念ながら。


 僕はそれから、どうやって自分の部屋に戻ったのか解らなかった。気が付いたら、ベッドの端に座って夜明けを迎えていた。

 父や母に、どんな顔をして会えばいいのか解らなかったけれど、朝食の席に座った。何とか笑いかけようと頑張ったが、父は不機嫌そうに食事を終えると王城に向かってしまい、母は兄にだけ話しかけて僕を見ようともしなかった。


 それからだ。

 僕がエイデン公爵家にとって、何の価値もない物体に成り下がったのは。


 兄のように魔法を習得すれば、剣を習っていつか騎士団に入ることができれば、父も母も僕を見てくれるだろうか。そんなことを考えていた僕は、傍から見れば滑稽だっただろう。

 幼い頃から優秀な家庭教師の元で魔法を学び、兄と同じように剣を習った。しかしどんなに努力しても、父が求めるようにはできなかった。


 何度も何度も失望の音を聞いた。

 だから、僕は考えなくてはならなかった。父を、母を、そして兄を見返すために自分ができること。

 自分ができないのであれば、優秀な人間を自分に引き込めばいい。

 自分は父に何の期待もされていないから、公爵家の駒としても使えない存在だと放置されていた。

 いずれ僕は公爵家を出て、どこかの令嬢と結婚することになる。つまり、その相手が誰なのかが重要になるのだ。魔力量が多く、父ですら認めざるを得ないような相手。

 それはつまり。


「いい加減、諦めたらどうだ」

 僕の目の前に座ったウィルフレッド・ホワイトフィールドは、いつになく厳しい表情で僕を見つめていた。この国の王子である彼は、僕が将来、仕える主となる――はずだ。まだ、彼の弟であるエルドレッド・ホワイトフィールドと王位を争っている状態ではあるものの、ウィルフレッドの方が弟と比べて僅かに魔力量が多い。

 この国では、魔力量が全て。

 ウィルフレッドが次期国王になるのはほぼ確定だ。

 何も『事故』がなければ。


「何を諦めろって言うのかなぁ?」

 僕がいつものように明るい笑顔を作って言うと、彼の横に座っていたベアトリスが苦々し気に口を開いた。

「あの男爵家の娘よ」

「そうですね、やりすぎだと思いますよ」

 そこに、別の声が響く。銀色の髪の毛と黒い瞳を持つ、同じチームに在籍する少年。攻撃魔法が得意なグレン・ハワードは、僕らと同じSクラスの生徒だ。彼はこの研究室――王族のための特別教室の中で、魔法を使って紅茶を入れて僕らに出してくれている。他の研究室にはない、重厚な造りのテーブルとソファ。本棚やクローゼットなどもあり、部屋自体がかなり広い。


 ふわりとしたいい香りが漂う中、ベアトリスが少しだけ表情を和らげてテーブルの上にあるカップに手を伸ばした。

「呪い持ちが身内にいるのよ? そんな子がSクラスにいるのもおかしいの。たとえ魔力量が多くても、いいえ、むしろ呪いの影響を受けて魔力測定もおかしくなっているのかもしれないわ」

 彼女がそう言ったが、ウィルフレッドは困ったように首を横に振った。

「呪いは他人に影響を与えないよ。決めつけはよくないな、ベアトリス」

「そうかしら」

 ちらりと横目でウィルフレッドを見たベアトリスの瞳には、明らかに不機嫌そうな色が滲んでいる。


 この二人は婚約者同士だ。多少、ウィルフレッドの態度が――僕が気にかけているディアナ・クレーデルに対して優しいような気がするが、多分、僕の心配しすぎだろう。ウィルフレッドがディアナ嬢に興味を持つはずがない。つまり、女の子として、だ。

 僕が懸念しているのは――あの男。ウォルター・ファインズ。

 伯爵家の次男で、ディアナ嬢に告白したという噂が飛び交っている。少し調べてみたが、彼は魔力量が多く、魔法も剣の訓練も順調のようで、それなりに女生徒に人気があるらしい。

 だが、彼は所詮伯爵家の人間だ。

 僕の立場――公爵家の人間である僕なら、どうとでもできる相手のはずだ。


 何とかしなければならない。

 何とか――。


「確か、あの男爵令嬢は呪い持ちの生徒と仲がいいと聞きましたが」

 ソファに座って紅茶を飲み始めたグレンが、探るような視線を僕に向けながらそう言った。

「ああ、確かユリシーズ・ヴェスタ。ヴェスタ侯爵家の恥さらしとか言われているヤツ」

 僕が苦笑しながら言うと、ベアトリスも忌々しそうに眉間に皺を寄せて頷いた。

「似たもの同士、惹かれるものがあるのかしら。呪い持ちと一緒にいるなんて、わたしだったら考えたくもないですもの」

「しかし、彼――ユリシーズ・ヴェスタは魔法に関してだけではなく、魔道具制作ではかなり優秀らしい」

 そう言ったのはウィルフレッドで、僕はそこでまじまじと彼を見つめてしまった。

 調べたのだろうか。

 どうして?

 ディアナ嬢に関わっているから?

「あら、ウィル……どうして知っているの?」

 ベアトリスも僕と同じように考えたのか、ウィルフレッドを軽く睨みつける。

 だが、彼はそれを気にした様子もなくただ穏やかに微笑む。

「優秀な人間は気に留めておかないとね? そうじゃないかな?」

「でも!」

「ディアナ・クレーデル嬢にも同じことが言えるんだよ? 確かに彼女は優秀だし、我々のチームに引き入れることができたら将来的に役に立つと思う。彼女を傍に置くことができれば、それはドラゴン殺しの彼女の兄すらも手元に置けるということだ。私の地位を確固たるものにするには、側近が優秀でなければならないからね」

「わたしは反対ですわ、ええ、絶対に!」

 ベアトリスは勢いよくソファから立ち上がり、ウィルフレッドを見下ろした。「呪い持ちと関わることは、絶対にウィルの足を引っ張りますもの! 彼女自身が呪い持ちじゃなくても、家族がそうなら同じだわ!」

「そうかな……?」

 ウィルフレッドは納得いかないような目つきで彼女を見上げている。

 グレンもまた、微妙な表情で二人の顔を見比べているけれど――。


 ウィルフレッドがディアナ嬢にこれ以上興味を持ったら困る、と思っていた。

 何しろ、この国の王子。秀麗な顔立ちとその身分の高さなら、普通の女の子だったら簡単に『落ちる』。ほんの少しだけ優しくすれば、簡単に。

 ウィルフレッドはこのままベアトリスと上手くいってもらわなくてはならない。

 そして僕は。


 どうすべきだろうか。


 僕はこれからどうするか考えた。ディアナ嬢は僕を必要以上に警戒している。どうやって彼女に近づくか。どうすればディアナ嬢をこの手に摑まえることができるのか。


 とりあえず、僕は彼女の周りの人間に接触することに決めた。

 ディアナ嬢と同じチームにいる少女たち。あの二人に接触して、どうにか利用できないか探ってみようじゃないか。

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