第18話 幕間1:転生屋

「これをあなたにあげるわ」

 そう言って小さなカードを差し出したのは、占い師の女だった。黒くて長い髪と、妖艶さを形にしたような赤い唇、長い睫毛と口元にある黒子。二十代前半の年齢に見えるが、占いの最中に話す彼女の言葉はどこか老成していた。

「きっと、あなたには必要だと思うから」

 そう続けた彼女は、目の前の椅子に座った少女の顔を覗き込んで、にいっと笑う。

 少女は中学生で、今も制服の上に大きめの黒いパーカーを着こんでここにいる。長い髪の毛は首の後ろで無造作にまとめただけで、お洒落さとは無縁といった姿である。

 彼女は何の感情もない瞳を占い師に向けてから、そのカードを受け取った。そして、のろのろと腰を上げて規定料金を支払い、その部屋――占いの館を出た。

 彼女がドアを開けて廊下に出ると、すぐ近くに階段があるのが目に入る。そして、次の占いの客であろう女の子たちが、楽し気に何かおしゃべりしながらドアが開くのを待っているのも見えた。

 少女はそんなお気楽そうな女の子たちを暗い瞳で見つめてから、階段を降り始めた。


 新宿にあるビルにあるその占いの店は、看板も出ていないのに客が途切れることはないようだ。その占い師は『当たる』と口コミで評判であったことも理由の一つだが、それよりも――望んだ世界に生まれ変わらせてくれる、という『転生屋』という店を紹介してくれるからでもあった。


 今、少女の手には天秤のイラストの描かれた小さなカードがあった。これがそうなのだろうか。彼女は機械的に足を動かしながら、さっき自分が占い師に告げた言葉を思い出していた。


「……死にたいんです」

 少女が薄暗い占いの店の中でそう言うと、占い師はそっと目を細めて見せた。

「逃げたいのね?」

「え?」

「あなた、義理の親から暴力を受けているでしょう? 逃げたいのね?」


 何故、何も相談しないうちにそう言われたのか、少女はただ驚いた。でも、驚くという行為にもエネルギーを使う。すぐに少女は驚くことをやめ、頷いたのだった。


 そして階段を降りていた途中で、少女はカードから視線を上げて首を傾げた。昼間だから明るい階段だったはずが、気づけば辺りが暗い。そして見覚えのない扉が目の前にあった。

 その扉には、カードと同じ天秤の絵が描かれた札が下がっている。

 少女は一瞬だけ足をとめて考えこんだ様子だったが、やがてその扉のノブに手をかけた。


 転生屋の店主は黒髪の男性だった。痩身痩躯、黒いスーツという格好、そして恐ろしいまでの美貌を持つ青年。酷薄そうな釣り目と口元だが、口を開くと少しだけその印象が和らいだ。

「いらっしゃいませ」

 彼はそう言って、暗い部屋の中に入るよう促した。そして、少女の手の中にあった小さなカードに目を留めると、さりげなくそれを回収して胸元のポケットに入れる。

 アンティーク調のテーブルとソファ、壁にかけられた風景画、その近くに光るランプのチラつく灯。アンティークショップと言われてもおかしくないほど、所狭しと並べられた雑貨たち。

 少女は辺りを観察することなく、躊躇いなく暗闇の中に存在するソファに腰を下ろし、向かい側に座った男性をじっと見つめた。


「新しい自分に生まれ変わりたいですか? ここではない別の世界で?」

「はい」

 少女は静かに頷き、僅かに覚えた不安を口にした。「でも、お金はそんなになくて……」

「ああ、対価はお金じゃないですよ」

「お金じゃない?」

「はい。我々が欲しいのは、あなたの今世の残りの寿命。それと、新しい人間として生まれてからの寿命から少しだけ」

「寿命」


 少女は僅かに首を傾げた。

 寿命とは、誰かに渡せるものなのだろうか。僅かに胡散臭さを感じたものの、少女は――どうでもいいか、と思い直す。少女はいつでも死ねる覚悟があった。だから、残りの寿命なんてあってないものだ。

「そのくらいならいくらでも」

 少女が言うと、男性の瞳に冷ややかな――憐れみと嘲りに似た光が灯ったが、少女はそれに気づいていなかった。

「それなら、君の依頼は引き受けましょう。どんな人間に生まれ変わりたいか希望があれば聞きますが、内容に寄ってはこちらがいただく寿命も長くなるのはご了承を」

「はい」


 そして少女は『優しい両親がいる世界』と『誰からも好かれる人間に転生』、好きな小説の主人公のように生きていきたいと望んだ。転生屋の男性と契約を交わし、後は自分の好きなタイミングで命を絶つ。

 そう約束し、少女は嬉しそうに微笑みながらその店を出た。彼女の背中を冷ややかに見つめている男性の視線には気づかないままで。


 男性は静かな部屋に残され、軽く右手を上げる。すると、何もない空間からティーセットが現れる。テーブルの上に舞い降りたティーカップに手を伸ばそうとした瞬間、乱暴に店の扉が叩かれ、次の客が姿を見せた。

「……いらっしゃいませ」

 男は休憩もないのか、と内心で舌打ちしたものの、それを笑顔の仮面で隠したまま次の客――ドレスの裾を摘まみ上げた十代後半の少女を部屋の中に招き入れた。

 転生屋は少女の左手首に天秤の形をした痣があるのを確認し、そっと苦笑する。この後の展開が読めたからだ。そしてそれは、予想通りだった。

「もう厭なの! もう一度、やり直したいの! せっかく理想の人生を手に入れたと思ったのに、あの女が邪魔してきて! あともう少しであたしが彼の婚約者になれるはずだったのに! どうして! どうして!?」

 金色の髪の毛を振り乱し、肩を震わせながら叫ぶ少女を男性は呆れたように見つめる。

 彼は目の前の少女の魂の色を確認する。


 生まれ変わりたい。

 新しい人生を、幸せな人生を得たい。

 それも、努力せずに簡単に。


 そう望む人間は多い。彼の客たちは、その願いの通りに命を絶って次の人生を手に入れる。しかし、そうすることで魂の色は濁っていく。当人は気づかないまま、人間としての格が下がっていく。

 だからこそ、男性は商談を進めることに躊躇う必要がなかった。

「では、次の人生を手に入れたいですか?」

 にこりと微笑んだ彼を、少女は苛立ったように睨みつけて頷いた。

「当たり前でしょ!? やり直して、あの女を蹴落としてみせるから!」

「ああ……、新しい人生ではなく、今の人生をやり直したい? その願いなら、対価の寿命はもう少し長く頂かなくてはいけないですが」

「かまわないわよ!」

 少女は噛みつくように叫んでから、男性と新しい契約を結んだ。


 ――お得意様になってくれそうだ。その魂が消滅するまで。


 男性が心の中でそう呟いたことを少女は知らない。安堵したように息を吐いてから店を出て行った少女の背中を転生屋は見送って、改めてティーカップに手を伸ばそうとした時だ。


「……あの」

 遠慮がちなノックの後に扉が開き、新しい客が顔を覗かせた瞬間、さすがに男性は疲れたように天井を仰いだのだった。


「紹介を受けてきました」

 緊張した面持ちでそう口火を切った彼女は、ジェシカ・タルボットと名乗った。ソファに座った彼女は、テーブルの上に小さなカードを置いて彼の方へ滑らせた。それを受け取った男性は、またそれを胸ポケットにしまい込む。

「ここでは、新しい人生を与えてくれる場所なのだ、と聞きました。それは間違いないでしょうか?」

 紺色のシンプルなドレスに身を包んだ少女は、十八歳という年齢よりもずっと大人びて見えるだろう。黒い長い髪の毛と黒い瞳、柔和な笑顔。ただ、その瞳は鋭い光を放っていた。

「ええ、そうですね。ここはそういう店です」

 男性はそう頷いてから、いつもの定型的な台詞を口にした。「新しい自分に生まれ変わりたいですか? ここではない別の世界で?」

 しかし、少女は首を横に振った。

「いいえ! わたしは、生きたいんです。今の人生をこのまま、生きていきたいんです!」

「ちっ」

 そこで男性は、苛立ちに任せて舌打ちし、軽く右手を上げた。

 その瞬間、暗い店内に光り輝く水晶の破片が出現した。人間の頭ほどもある大きな水晶の中には、別の場所の映像が映っている。

「おい、紹介先を間違ってるぞ、リリーナローズ」

「あらやだ」

 男性が乱暴な口調で話しかけると、水晶の中に映り込んだ美女が笑顔を見せた。「間違ってないわよぉ? ちゃんと話を聞いてあげてちょうだいね?」

「ああ?」

「女の子には優しくしてあげなさいよ。じゃーね、わたしは次のお客さんの対応で忙しいから」

 リリーナローズと呼ばれた『占い師』は、軽く手を振った。その途端、宙に浮かんでいた水晶は消え去って静寂が降りてくる。

 転生屋が視線を戻すと、少女は居心地悪そうに眉根を寄せている。そして、白い手を膝の上できゅっと握りしめている少女――ジェシカに微笑みかけた。

「さて、話を聞かせてもらいましょうか」

「はい」

 ジェシカは表情を引き締めて頷いた。

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