第15話 男性が苦手な理由は絶対言えない

『レベル2:ロックウルフ討伐完了』

『レベルの魔物が解放されました』

 目の前に現われたスクリーンの文字を読んで、わたしは思わず『よっしゃー!』と叫びたくなった。もちろん、これでも貴族の端くれとして、きゅっと唇を引き絞って拳を握りしめることしかしなかったけれど。

 

「やったわね、一撃だわぁ」

 ぱちぱちと手を叩きながら喜んでくれるミランダ、驚いたように目を見開いたまま固まっているアリシア。

 講堂の片隅で戦闘スペースを確保したわたしたちは、他の生徒たちに目立たないようにしていたけれど、それでもいくつかの視線がこちらに刺さっているのが目の端に見て取れた。

「……ディアナ、攻撃魔法も得意なんじゃないの……?」

 一瞬だけ我に返ったアリシアが、そうわたしに声をかけてくる。

「いえ、全くもって得意ではありません」

 胸を張って首を横に振るわたし。「本当に攻撃魔法なんてこれまで習得してこなかったんですよ? まぐれです、まぐれ」

「でも、わたしが教えただけで……あんな、一撃で」

 と、アリシアは茫然とスクリーンに視線を投げた。もうすでにさっきまでいたロックウルフは姿が消えてしまっているけれど、確かに一撃で倒した事実がそこにはあった。

「きっとそれは、アリシア様の教え方が上手だったからですよ! ほら、人に教えるのは難しいってよく言うじゃないですか? でも凄く説明が解りやすかったし、初めて使う魔法がこんなに簡単に成功したのは、全部アリシア様が優秀な」

「待って待って」

 そこでアリシアが僅かに頬を赤く染めて両手で顔を覆い、かすれ気味の声で続けた。「わたし、あまり褒められるほどのことをしたわけじゃなくて……いえ、それより、アリシアでいいわ。何だか、ディアナに様をつけられて呼ばれるのは……ええと」

「あ、わたしもミランダでいいのよ? もう友達だもの」

 照れていつになく声が乱れているアリシアの横で、ミランダが面白そうにわたしとアリシアを交互に見つめながら笑う。「やだ、面白ーい。アリシアの慌ててるところ、幼馴染のわたしですら、見るのは滅多にないものねぇ」

「ちょっとやめて」

 アリシアは赤い顔のままミランダを睨みつけたけれど、その瞳にはいつもの迫力がない。何だか少しだけ、ほんわりした空気が流れたのが嬉しかった。


「でも。正直に言うと、攻撃魔法は習わなくてもいいんじゃない?」

 ミランダがやがてわたしを見つめ直し、眉尻を下げて見せる。

「で? どうしてですか?」

 わたしが首を傾げていると、彼女は呆れたようにため息をこぼしてから、講堂の隅にわたしを引っ張って連れて行く。

「だってあなたさっき、男なんか、って叫んでたじゃない? まるで、男の子に向けて攻撃しそうだって不安になったんだもの」

「え? 攻撃は最大の防御ですよ?」

「するのね?」

「大丈夫です、安心してください、嫌いな相手にしかやりませんよ?」


 眉根を寄せて言葉を失っている横で、アリシアが苦笑交じりに口を開く。

「そこまで男性が苦手って、一体何があったのか気になるのだけど」

「ええと、それは……」

「ああ、もちろん、言いにくいことだったら言わなくてもいいのよ。もしかしたら、厭な思いをしたことがあったのかと」

「ええと……まあ」

 わたしが歯切れ悪く言葉を濁したことで、アリシアは慌てて話をそらそうとしてくれた。さっきの攻撃魔法の他にも、比較的覚えやすいものを選んで教えてくれる。わたしは持っていた記録用ノートに魔法で書き留めていった。次のチーム戦で試してみよう、なんて考えながら。


 そうしているうちに。


 ――友達なら、相談してもいいんだろうか。


 なんてことも期待してしまった。

 突拍子もない話になるけれど、わたしが男性のことが苦手な理由を言ったら、ほんの少しでも理解してもらえる? だってここ、ファンタジー世界――いや、ゲームの舞台となっている世界なのだ。魔法が当然のように存在しているんだから、わたしの前世の話も信じてもらえるんじゃない?

 色々な悩みを打ち明けて相談できたら嬉しい。

 女の子同士なんだもの、秘密にしておきたい小さな悩みなんかも話せるかもしれない。

 そして、もっと仲良くなって、最終的には親友と呼べるような相手になったら――。


 そう言えば、前世で親友と呼べる子がいた――ような気がする。思い出せないけれど、恋の悩みとか進路のこととか、テレビドラマやアニメ、小説やゲームの話もした。

 そうだ。

 ちょっとだけ、探りを入れてみる?

 こういう話を聞いてくれるか、相談に乗ってくれるか確かめてみる?


 わたしはそこでアリシアとミランダが雑談している横顔をじっと見つめ、恐る恐る口を開いた。

「あの、アリシア、ミランダ……」

「何かしら」

「なーに?」

「わたし、お母様に聞いたことがあるのだけれど、世の中で流行っている小説があるとか。ええと、平民の女の子が、前世の記憶を使って成り上がっていくというか、美少女に生まれ変わって恋をするとか。いわゆる、生まれ変わりものというか」

「ああ、知ってるわ!」

 と、両手を胸の前で組んで話に食いついてきたのはミランダだった。「わたし、新作が出るたびに買ってる本があるの! すっごくすっごくお勧めでね、アリシアにも読んでもらおうとしてるんだけど、断られてるのー!」

「え」

 わたしが困惑しつつアリシアに視線を投げると、眉根を寄せている彼女の困ったような顔があった。そうしている間にも、ミランダはその本の魅力を語り続けている。

「一番のお勧めの作品は『孤独な魔法使いの新しい恋』ってやつ。その主人公は凄く可哀そうなのよー! 身分の高い貴族の娘として生まれ変わったのに、父親の不祥事のせいで貴族籍を剥奪されて、平民として生きて行かなくちゃいけなくなったの。今まで仲の良かった友人も手のひらくるくる、嫌がらせまでしてくるようになって。でも、前世の記憶とか色々活用しながら、主人公は頑張って生活していくのよねー。で、その中で好きな人もできて、その恋敵にも嫌がらせを受けたり、好きでもない男に付きまとわれたり、後から後から問題が」

「はいはい、解ったわ」

 そこでアリシアが呆れたように手を上げてミランダの立て板に水の台詞を遮った。「面白いのだろうというのは解ったわ。でも、最近は作品に関することじゃなくて、他のことで問題になってるじゃない?」

「え、問題ですか?」

 わたしが首を傾げていると、アリシアは苦笑しながら頷く。

 そして、ミランダも唇を尖らせて説明してくれる。

「流行りすぎたのが問題なんだと思うわ。あのね、若い女の子たちの間に流行してしまったからね、『もしかしたらわたしも』なんて、現実と創作物の境目がなくなる子が出てきたのよ」

「境目……」

「わたしも誰かの生まれ変わりだ、とか。隠された能力がわたしもあるんじゃないか、とか。そのくらいで済めばよかったのに、わたしは『孤独な魔法使いの新しい恋』の主人公なんだ! とか、言い出しちゃう人が出てきちゃったの。最終的には、魔法学園内で『転生者研究』なんてサークルも作り始めちゃったりね。転生者の仲間を探すとか、ちょっと痛々しい行動をしてたりね」

「ありゃ……」


 わたしは引きつった笑みを浮かべながら、これは駄目かも……と背中に厭な汗をかいていた。だってこれ、お母様から聞いた話そのものだもの。


「他人に迷惑をかけなければいいとは思うのよ」

 アリシアが苦々し気にそう言葉を吐き出した。「でも、そういう子たちだけじゃないみたいでね、問題になってるの。物語の登場人物に似てる人に絡んでいって、頭がおかしいことを言い出すから対応が大変らしいの」


 ――ああ、確かにそういう電波さんは前世でもいたはずだわ……、うん。


 わたしがここで実はわたしも前世の記憶が……なんて言い出したら、この後の展開が目の浮かぶ。言えない。絶対言えない。

 あああああ、もう。


「……正直なところ、そういう生まれ変わりものに憧れるって、今の自分に納得してないんじゃないのかしら、って思うのよね」

 アリシアの台詞は続いている。

 わたしが彼女に視線を向けると、彼女はため息交じりにこう続けた。

「今の自分の生活が上手くいっていないから、納得がいっていないから逃げ場を探している。それに何件か、自殺した子もいるって噂が出ているわ。きっと、生まれ変われるって信じた結果なのかもしれないけど、でも。そんなの、残された家族が可哀そうだわ。どんなに今の環境が不満だとはいえ、戦えばいいのに。そうすれば、幸せになれるかもしれないのに」


 ――ああ。

 唐突に、わたしは既視感を覚えた。

 何だか、これと似たようなことをわたしは前世で経験したような気がした。いや多分、似たような表情をした誰かを知ってるんだ。

 誰かが苦しそうな表情で、友人が自殺したって言ってた。

 で、相談してくれたらよかったって言ってた。


 そしてわたしは、確か、

 戦えばいいって思ったんだ。権力を使って、やり返してやればいいって。


「もしかしてアリシア、誰か知り合いが亡くなったんですか?」

 わたしが思わずそう訊くと、彼女は一瞬だけ固まった後に小さく頷いて見せる。

「親類の子がね、わたしよりも三歳年下なんだけど……自殺したの。遺書には友達関係で悩んでたと書いてあって、人生をやり直すために死を選ぶとか……ちょっと、納得いかないわよね」

「ごめんなさい」

 そこでミランダが泣きそうな顔でアリシアの両手を握りしめる。「わたし、知らなかったから無神経な話をしたわ」

「いいのよ。わたしも何も言ってなかったし」

 アリシアはやっと表情を和らげて、ミランダに微笑みかける。「こちらこそ、空気を読まずにこんな重い話をしてごめんなさい」


 ――これは仕方ないわよね……。


 わたしが内心で、前世の話は黒歴史として封印しておくべきものなのか、と考えていた時だ。


「やあ、こんにちは」

 そこに、聞き覚えのある声が響いた。ゲームの中で何度も聞いた美声。わたしの前世の推しのウォルター様。

 彼は少しだけ緊張した面持ちでわたしの目の前に立っていて、彼の背後にいる男子たち――とはいってもかなり遠目だけど――も興味津々といった様子でこちらを見つめていた。

「あの、ディアナ嬢。もしよければなんだけれど、僕が放課後、剣の練習をしている時に、見に来てもらえないだろうか。つまり、応援してもらいたいというか」

「え」


 何これ、何なの。何を突然言い出したの、ウォルター様。

 っていうか、ウォルター様の表情、ゲームとは違って、その。


「上手く言えないんだけれど、その、僕は君に興味があって。つまり、女の子として、なんだ」

「うぇ?」

 わたしはそこで、思わず二歩後ずさって挙動不審な動きをして見せた。

 わたしが言葉を失っているというのに、アリシアとミランダはいつもより浮かれたような声でこそこそ何か言い出している。

「やだ、これってもしかしてアレじゃない?」

「ディアナ、可愛いものね……?」

「婚約者いないのよね、ディアナってば」

「ということは」


 待って待って待って!

 何でウォルター様の頬が少し赤いの!? 妙に熱っぽい目で見てくるのは何なの!? っていうか、わたし、ウォルター様の接点、ぶつかっただけよね!? 焼き菓子の差し入れが悪かった? どうしてこうなったし!


 わたしが硬直して口をぱくぱくさせているだけという状況で、爽やか系イケメンのウォルター様は照れたように笑いながら続けた。

「できれば、君と付き合いたいんだよ。君のことが、好きだから」


 何とかわたしは自分の手で口を覆い、超音波みたいな奇声を上げることを防いだ。

 やめて、待って、誰か相談に乗って! これ、絶対におかしいってば! これって本当にゲームの世界なの!? ゲームの中のウォルター様は堅物で、ヒロインの想いにも気づかない鈍さ(焦れ焦れ系展開)が魅力だったのに! この展開はいきなりすぎて、おかしすぎる!


「かかかか、考えさせてくださいっ!」

 わたしは混乱のあまり思考が停止していて、アリシアの背後に隠れながらそう叫んだ。

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