第13話 正しく使いなさい
「頼むから、その線からこちらにこないでくれ」
猫の人――ユリシーズ様は前回と同じで、彼の身の回りに防御壁の魔法を張り巡らせながら、さらに魔法言語で書いた境界線を床の上に引いていた。
「望むところです」
わたしはこくこく頷きながら、彼と充分に距離を取ったままそう言うと、また奇妙な空気がお互いの間に流れた。
「……考えさせて欲しいと伝えたはずだが」
やがて、彼が心底疲れ切ったような声音でそう言った。でも、わたしにはどうしても彼に訊きたいことがあったのだ。
「あの、それはともかくとして」
「ともかくとして?」
彼の片眉が跳ね上がるのを見ながら、わたしは思わず身をすくませながら頭を下げる。
「今日の午後、ちょっと図書室に引きこもってきまして、蔵書目録を確認したんです。そうしたら、禁書の一覧に呪いに関しての本があることに気づきました。それで、司書の先生にどうやったら読めるのか訊いたのに、簡単に断られてしまって。どうにかして読む方法がないのかと訊きたかったんです」
そうなのだ。
図書室にはタブレットみたいな魔道具があって、全ての蔵書が確認できる。そこにはジャンル分けにされていて、どういった本があるのか片っ端から見ていったのだが、気になったタイトルが『禁書目録』の中にあった。
タイトルは『呪いの解析理論』という、中身がよく解らないものであったけれど、それでも呪い解除のための何かのヒントになりそうな気がする。
っていうか、お兄様はどこを探してたんだろう。ちょっと目録をチェックしただけで見つかったのに。それとも、読んだことがあるんだろうか。その上で、何の役にも立たないと思ったとか?
あれ? 読んだら眠くなって読めなかったって言ってたっけ? んん?
わたしが低く唸りながら考えこんでいると、ユリシーズ様のため息が聞こえてきた。
「それを含めて考えている」
「え?」
わたしが視線を上げると、真剣な眼差しがこちらに向けられていることに気づく。それと同時に、彼の瞳の中に浮かんでいる色が何か懸念しているようなものであることも気づかされた。
「禁書は何故禁書なのか、お前は解るか?」
「え、えーと……危険な内容だから?」
「そうだ。悪用される可能性があるからだ」
彼はそう言いながら、近くにあった椅子をわたしに指さした。どうやら座れと言っているらしいと気づき、軽く頭を下げて腰を下ろす。彼はその部屋の壁に背中を預け、腕を組んでこちらを見つめている。
「お前が気にしているであろう本は、俺は読んだ」
「えっ!?」
「それは、俺が呪いを受けているからだ。悪用するためではなく、間違いなく自分の呪いを解くためだと身をもって証明しているわけだから、その辺りも考慮された」
「そうですね……」
「だから一つだけ言っておこう。それを読んだとしても、俺の呪いは解けなかった。だが、呪いがどうやって発動したのかは理解した。俺以外にも多くの人間が呪いを受けてきて、それを解くことができずにいることも」
「……なるほど……」
わたしは思わず唇を噛んで、次の言葉を探した。でも、どうしても唇は動かず、ただため息をこぼすだけだ。
「それでも、お前の身内に呪いを受けた人間がいるとすれば、気になることも理解できる。だから、昨日のうちに俺から学園側に問い合わせは入れておいた」
「え」
「俺の時も閲覧許可が出るまでかなり時間がかかった。今回もそうだろう。おそらく、お前の家庭環境についても調査が入るだろうし、その後で判断されるんだと思う」
――ああ。
わたしは何だか急に気づいた感じがした。
目の前のこの人は、凄く真面目な人なんだ、と。
わたしに向けられる視線は冷ややかに見えるけれど、それは思慮深さからくるものなんだ。
わたしの一学年上のはずなのに、何だかわたしよりずっと年上に感じてしまうくらい、しっかりとした人のような気がするのだ。
「……ありがとうございます」
わたしが意図せずに笑いながらそう言うと、彼は少しだけ苦々し気に眉間に皺を寄せて目をそらす。
「お礼を言うのは早い。もしかしたら却下されるかもしれないしな」
「でも、初めて会ったわたしのために行動してくださったのですよね。それが嬉しいです」
えへへ、と頭を掻きながら言うと、目をそらしたはずの彼が一瞬だけこちらを見て、目元を赤く染めたみたいだった。猫耳がついていると男性でも可愛く感じてしまうなあ、なんて改めてニコニコしながら、わたしはその教室を出たのだった。
そして、面倒なことは翌日起こった。
午前中はそれなりに平和だった。まだ学園で習う授業は基礎の基礎。わたしが屋敷にやってきた家庭教師に習ったことの復習程度だから、気楽に話を聞くだけだ。
おそらく、Sクラスの生徒全員がわたしと似たような状況なのだろう、真面目に授業を受けるよりも隣に座った生徒と小声でおしゃべりしている姿もちらほらあったし、たまにわたしに冷ややかな視線が飛んでくることもあったけれど、気にする必要はないと開き直ってわたしは教科書を読んでいた。
午前中の授業が終わって、お昼休み。昨日と同じように、お弁当を持ってBクラスに向かおうとすると、目の前に立った人がいる。
「ごきげんよう」
そう微笑んでいる女生徒の姿。
金色の美しい髪の毛を後頭部に緩やかに結い上げ、赤いリボンが揺れている。お化粧をしているのが間違いない、くっきりとした赤い唇、カールを描く長い睫毛。吊り上がった目は意地悪そうで、ちょっとだけ迫力を感じさせる美少女ではあるけれど――。
「あなた、Bクラスの生徒とチームを組んだらしいわね? 悪いことは言わないから、抜けてわたしたちのチームに入りなさい」
「え?」
高圧的な口調がいわゆる悪役令嬢みたいな感じで、凄く――印象が悪い。
わたしが困惑していると、彼女の友人たちなのか、わらわらと彼女の周りに集まってきた女の子たちが次々に口を開く。
ただし、小声で。
「そうよ。よりにもよってBクラスの生徒とだなんて。あなた、曲がりなりにもSクラスの一員である自覚はあるの?」
「レベルの低い人間と一緒にいると、あなたのレベルも下がるってこと、解らないのかしら」
「それは仕方ないのでは? だって、この子は男爵家の人間でしょう? しかも、元は平民だったそうじゃない?」
「あら。それでは、礼儀がなってないのは仕方ないわよね? でもちゃんと教えてあげれば、多少はマシになってくれるはずよ。犬だって教えれば芸を覚えるんだもの」
犬って。
犬だって頭いいやつは頭いいんだからね! なんて見当違いな怒りを覚えながら、声を潜めている彼女たちの様子を観察した。
きっと彼女たちは、他の生徒たち――教室の前方にいる殿下たちの耳を気にしているんだろうと思った。だってこの台詞、男爵家の人間であるわたしを下に見ているのが丸わかりだもの。
ウィルフレッド殿下とエリス様、ベアトリス様の他にも数人、おそらくチームメンバーらしき人たちと会話をしていて、わたしたちの険悪な様子に気づいてはいない。でも気づかれたらどうなる? 彼女たちのイメージだって悪くなるだろう。
「エリス様に声をかけていただいているというのに、いい気なものよね」
最初にわたしに声をかけてきた金髪の女の子が、苦々し気にそう言って、わたしは気づく。彼女の声に感じる棘の原因だ。
「あのエリス様に声をかけていただいているのに」
そう繰り返した彼女の目には、明らかに嫉妬の炎が見えていた。怒りに身を任せているためか、この教室の中で自分がいかに危険なことをしているのか解っていないのか。
彼女はわたしに近づき、わたしにだけ聞こえるような囁き声で続けた。
「少なくとも、あなたはSクラスにいるべきなの。エリス様があなたを気にかけている間だけはね」
「あの」
「だから、わたしのチームに入りなさい。そうすれば、エリス様……いえ、殿下のチームにも声をかけていただけるはずだわ。それがどんなに光栄なことか、あなたは知らないのでしょう?」
「いえ、それは」
――何となく、解るけれど。
でも、厭なものは厭なわけで。
わたしが眉を顰めていると、目の前の名前も知らない彼女はそれまでの悪意だらけの表情を少しだけ和らげて続けた。
「あなたが愚かではないことを祈ってるわ。あなたの行動一つで、Bクラスの子たちの運命が決まるかもしれないわけですものね?」
これは脅しだ。
わたしが息を呑む気配に気づき、彼女は満足げに口元を緩め、他の女の子たちと一緒に身を翻した。いかにも悪役らしい退場の仕方だ。悠々とした足取りで教室を出て行くのを見送りながら、わたしは――。
『いいか、何かあったら権力を使うんだ』
そんな言葉を思い出していた。
それは前世での記憶。前世の父の言葉だ。『お父さん』は高校の教師だった。毎日忙しくて、家に帰ってくるのは夜遅くなることが多かった。
そんなお父さんが、凄く落ち込んでいるような表情でそう言ったことがあったのだ。
『残念だが、いじめというのはなくならない。そして、いじめられている側は誰かに相談するのを躊躇う。それは家族を心配させたくないとか、いじめを知られるのが恥ずかしいとか、色々な原因があるんだけどな。でも、約束して欲しい。困ったことがあったら、権力を利用するんだ』
後で知ったことだけれど、お父さんの学校で自殺者が出た。いじめを苦にしたことによるものだった。
お父さんは真面目な教師だったと思う。だから苦しんでいたし、同じことを繰り返さないために何ができるのか、と悩んでいた。
その流れで言われたんだ。
『権力というものは、正しく使っているうちは剣にも盾にもなる。お前も正しく使いなさい』
でも、どうやって?
今のわたしに使える権力はどこにある?
わたしがその場に立ち尽くしたまま唇を噛んでいると、どうやらわたしの様子に気づいたらしいエリス様がこちらに歩いてきて手を上げた。
「やあ、何かあったのかな?」
――ええ、ありましたねえ。
わたしは引きつった笑みを浮かべつつ、原因はあなたなんですがね、と悪態をつきたい気持ちを押し殺した。
「まあ、いいや。ちょっと、話があったんだよ」
彼がそう言葉を続けたから、わたしは警戒して数歩後ずさる。いつでも防御の魔法を展開できるよう、背中に緊張感を持って彼を見上げていると、苦笑が返ってきた。
「ちょっと君のことを調べてみたんだけど、君の御父上は呪いを受けているとか?」
「え」
「僕にも協力できることがあるかな、と思ったんだよ」
彼は意味ありげに首を傾げながら、わたしのことをじっと見つめてきた。
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