第10話 お昼休みは中庭で
「お、おはようございます、エイデン様……」
反射的に自分の周りに防御壁を作り、セミのごとく近くの壁に張り付きながらエリス様に視線を向けると、胡散臭い笑みを浮かべた彼がわたしを見下ろしていた。
「その態度、傷つくなあ」
彼がそう言いながらこちらに詰め寄ってくるので、わたしはこの場から逃げ出したい気分だった。とはいえ、授業が始まる前に早退は避けたい。だから必死に首を横に振った。
「すみません、わざとじゃありません。本当にすみません。でも本当に怖いので、何の前触れもなくわたしの背後に立つのはやめていただきたく!」
「こっちも驚かせたのはわざとじゃないんだよね。ただ、今日からチーム戦が始まるから、昨日も言った通り僕たちのところに」
「申し訳ございません! もう入るチームが決まりました!」
「え? もう?」
「はい!」
わたしが引きつった笑みを浮かべながらそう言うと、彼は驚いたように目を見開いて固まった。その後、嘘でもついているのではないかと疑うような光をその双眸に灯らせたけれど、わたしの自信満々の表情を見て眉根を寄せる。
「僕たちが先に誘ったよね?」
「それはそうですけども、わたしは女の子たちだけのチームに入ろうと心に決めておりました。学園は交友を深める場所だと聞いています。だから、同い年の女の子と友達になろうと」
「僕も友達の一人に立候補したいのだけれど」
「遠慮します!」
諦めの悪いエリス様を遠ざけたくてはっきり断ったら、そこで教室の中からこちらの様子を窺っていたらしい女生徒の声が響いてきた。
「……何様なのかしら」
「本当にね……」
耳に入った瞬間、わたしの気分は地の底まで沈んだ。Sクラスには安住の地など存在しない。
こんなはずじゃなかった。もうちょっと、学園生活を頑張るつもりだったのに。
「……そんなに厭?」
そこで、僅かにエリス様が笑みを弱めた。わたしの周りに張り巡らされた防御壁を、傷ついたように眺めている様子は――傍から見ていれば可哀そうに思えただろう。そういう意味で美形は得だ。
そして、そういう態度を見せるからわたしに敵が増える。
こうしている間にも廊下からSクラスに入ってくる女の子たちがいて、わたしたちの間に何があったのか解らないだろうに、同情の視線を向けられるのはエリス様だけ。
わたしの立場は?
わたしのヒロインとしての立場はー!?
「厭というわけではなく……その、わたしの身分とかもありますし、エイデン様とは……その」
何とか保身に走ろうと自衛のための言葉を探していると、今度は廊下を歩いてきたウィルフレッド殿下がため息交じりに声をかけてくる。
「エリス。一体、何をしているのか訊いていいか?」
「勧誘の続き」
「強引に勧誘されても喜ぶ人間はいないだろう」
殿下は軽くエリス様の肩を叩くと、教室の中に入るように促していた。わたしはまだ壁に張り付いたままで、そんなわたしを見ても変な顔もせずに殿下が「ごめんね」と小さく声をかけてくれた。こういうところは優しいというか、礼儀正しい王子様である。
そんな殿下とエリス様が教室に入ってから、少しだけ遅れてベアトリス様も姿を見せる。防御壁の中で固まっているわたしを見て眉間に皺を寄せたものの、何も言わずに横を通り過ぎていった。
――こんな学園生活、厭だぁ。
わたしは心の中で涙を流しつつ、防御壁を張ったまま自分の席に足を向ける。男子生徒からの視線はわたしに向けられることはあるけれど、女生徒たちは意図してわたしを無視しているような雰囲気を放っているのが何とも――。
学園生活二日目は、見事な暗雲がわたしの頭上に立ち込めていた。
それでも、授業はそれなりに楽しかった。
担任の先生から各自に配られたファイルには、これからの授業の日程が二か月分ほど書かれていた。これも魔道具の一種なのか、机の上に広げて中を確認している間に、その授業の変更があると勝手に書き換えられていくのも確認できる。
必修の科目は午前中に集中していて、午後には選択科目とチーム戦の時間がある。チーム戦の時間はチームリーダーが予約を入れるようで、わたしのファイルには午後一番の時間に予約済みのチェックが入っていた。
何とも便利なスケジュール帳である。
Sクラスの生徒たちはいくつかのチームに分かれていて、別のクラスのメンバーが参加しているということはなさそうだ。誰もが楽しそうにチーム戦について相談し合っているのを横目に、わたしは早くお昼休みにならないかな、とそわそわしていた。
「というわけで、失礼します」
午前中の授業が全部終わる鐘が鳴り響くと、わたしはお弁当やお菓子の入ったバッグを胸に抱えてSクラスを飛び出した。そして、向かったのは当然Bクラスである。
勝手知ったる何とやら、というやつか、朝に出会ったばかりの二人の顔をそこに見つけると、ずんずん進んでいって頭を下げた。
「アリシア様、ミランダ様、どうか、一緒にお昼を取らせていただいてよろしいでしょうか!」
ぶん、と音が鳴りそうなほど頭を下げたわたしを、苦笑交じりの声が出迎えてくれる。
「そんな、堅苦しいのはやめにしましょう」
そう言ってくれたのは、チームリーダーとなったアリシア様。わたしが顔を上げると、少しだけ困ったように控えめに微笑む彼女がこう言った。
「こうしてわたしたちはチームメンバーとなったわけだから、わたしのことはアリシアと呼んでもらえないかしら」
――わぁお。
「じゃあ、わたしもミランダって呼んでね。仲良くしましょ」
ミランダ様――いやいや、ミランダが両手を口の前で合わせて可愛らしく言うものだから、何だか感動してしまった。
だってこれは、わたしが望んでいた友達というやつではなかろうか!
Sクラスでは絶対に得ることのできない、仲の良い女友達というやつでは!
だがここで忘れてはいけないことが一つ。
袖の下である。
ここが時代劇の世界だったら黄金色のお菓子である。
「あの、わたし、お菓子を持ってきたのですが、もしよかったら」
わたしは手にしていたバッグから、可愛くラッピングしたキャラメルパウンドケーキを彼女たちに渡した。ふわりとした甘い香りが漏れていて、二人ともそれを受け取ったら嬉しそうに笑ってくれたのがこそばゆい。
昨日の夜、屋敷に戻ってから作ったケーキだけど、無駄にならなくてよかったと思った。もしかしたらこの二人に声をかけることがなかったら、渡す相手もいないまま一日が終わる可能性だってあったのだ。
うん、前世の悲しいバレンタインの記憶が蘇る。
忘れよう。
それは絶対に忘れよう。
「お昼ご飯を食べながら、午後のチーム戦の打ち合わせもしましょう」
アリシアが教室の中をぐるりと見回しながら言う。「ここで食べてもいいけど、せっかくだから移動しましょうか。お弁当を持ってきている生徒は好きなところで食べているみたいだし」
「だったら、中庭がいいわねぇ」
ミランダが窓の外に広がる天気のいい中庭を見て、わたしたちを急き立てる。「テーブルもベンチも早い者勝ちよ。早くいきましょ?」
わたしはこくこくと頷き、ちょっとだけふわふわした幸福感を味わう。
廊下を歩きながら、二人と「まだ他のメンバーが集まらなくて」とか「何とかなるでしょ」とか話すことができるのも、本当に嬉しかった。このままBクラスに所属したいと熱望しながら、空いていたベンチに座ってお弁当を広げることになった。
アリシアとミランダの持ってきたお弁当は、内容が同じだ。野菜とハム、卵が入ったサンドウィッチと、フライドポテトとフィッシュフライ。デザートはカットされたオレンジ、イチゴ。
「それって寮のお弁当ですか?」
わたしがそう彼女たちに訊くと、そこで彼女たちはわたしの持ってきたお弁当を見て、わたしが寮生ではないと気づいたようだった。
「あらぁ、ディアナってば自宅から通ってるの?」
ミランダが眉根を寄せてそう言いつつ、わたしのお弁当の中にあるエビフライとミニハンバーグに目を輝かせている。ハンバーグの下にあるのはオムライス。ブロッコリーとプチトマトという付け合わせは、前世でも定番の組み合わせ。
「はい、わたしは人見知りというか、小心者で枕が変わると眠れない質なので、自宅から通ってます」
「そうなのね。美味しそう」
「美味しいですよ」
えへへ、と笑うわたしに二人とも穏やかな笑みを返してくれる。そして、ミランダが「そのうち、カフェテリアも行きたいわ」と呟いた。
わたしは前世の記憶があるから、ゲーム内で見かけるお弁当の内容を知っている。いつ見かけても、サンドウィッチかホットドッグ、ハンバーガーみたいなやつと揚げ物、果物みたいなやつが内容を少しずつ変えてローテーションになってるみたいだった。
それに飽きたら、カフェテリアで好きなものを頼むって感じかな?
ただ、魔法騎士になるための授業を選択している腹ペコ男子がこぞって押しかけるので、早々に人気メニューが売り切れになることが多いみたい。お昼ご飯争奪イベントとか、ゲーム内であったし。
だから大抵の女生徒は寮のお弁当持ちなんだよね。男子に混じってメニューを注文するのが至難の業だから。
でも、学園に通い始めた彼女たちはそれを知らないから、それから少しの間、カフェテリアの話で盛り上がる。
そしてその後で、また寮の話に戻った。
「でもディアナ、毎日通うのは大変じゃないかしら。移動時間も馬鹿にはならないでしょう? 課題もやる時間が必要だし、寮に入れば協力してくれる友達もできると思うわ。もし気が変わったらどう?」
アリシアがサンドウィッチを食べ終えてからそう笑うと、ミランダが無邪気に言葉を続ける。
「それに皆、勉強よりもコイバナとかするのが好きみたいよ。まだわたしたちはそこまで深い話ができる子はいないけど、今から楽しみなの。あなたも混じってくれると嬉しいわぁ」
「楽しそうですねえ」
わたしは笑顔を返しつつも、まだ自分には無理だろうなあ、と苦い思いを抱いた。入寮者は男子と女子が完全に別れて生活しているという設定だったけれど。
ゲームの中では『何故か』ヒロインはどこにいても、突発的なイベントが起きて男子とばったり会う運命にあるようなのだ。
そんなの怖くて無理だし。本当無理だし。
――なんてことを考えつつ、プチトマトを口に放り込んだ瞬間だった。
「あの、君」
と、誰かに声をかけられて我に返る。
わたしたち三人は、同時にその声の主に目を向けた。
晴れた空の下、明るい栗色の髪の少年がわたしたちを見下ろしていた。太陽の光が透けて、その短い髪の毛が金色みたいに見える。バッジの色から同学年の少年であるその顔は、厭というほど見覚えがあった。
そう、ゲームの中で。
「君、昨日、リボンを落としたよね」
彼はそう言いながら、わたしがどこかでなくしたはずのレースのリボンを差し出してきた。わたしは硬直したまま、しばらく彼の顔を茫然と見上げていたのだけれど、横に座っていたミランダが肘でつんつんと突いてきたので我に返る。
「え、あの」
明らかにわたしは挙動不審な動きをしただろう。口の中にあったプチトマトを呑み込んでからカクカクと左右に揺れ、視線も定まらずにうろうろと辺りを彷徨った後、思い切ってベンチから立ち上がって彼に頭を下げる。
「ありがとうございます。なくしたと思っていました」
「そうなんだ? 昨日、凄い勢いで走って行ったから、声をかける暇もなくて。探してたんだ」
そう微笑んだ彼の笑顔は、とんでもなく眩しいというか何と言うか。
「ええと、僕はウォルター・ファインズ。よろしく」
彼が名乗る必要もなく、わたしはその名前も顔もよく知ってます!
だって、だって。
ファインズ伯爵令息のウォルターは、前世のゲームの世界での、わたしの『推し』だったから。
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