第7話 追尾用の魔法

 ――やっぱり、お菓子だろうか。


 わたしは講堂を出て学園の本館へ皆と一緒に向かいながら、うむむ、と一人で唸っていた。

 前世の記憶を全部思い出したわけではない。どこかの海外のチーズのように穴が空いていて、はっきりしている部分とそうでない部分が存在する。

 でも、確かにわたしは前世――二本の学校に通っていた時、カバンにお菓子を詰め込んでいた。そして、お昼休みに友達と一緒に食べて談笑していたのだ。

 そして今のわたしの趣味も前世と同じようにお菓子作りで、子供の頃から家族のためにと作ることが多かったからそれなりに自信があった。


 よし解った、明日から友達づくりのためにお菓子も作ろう! 話しやすそうな女の子がいたら、袖の下を渡してお近づきになる。まずはそこからだ。

 そう心に決めて拳を握りながらも、何となく。


 何でわたし、この世界に転生したんだろうと急に悩んでしまった。


 確かに前世では、そういう小説やアニメが流行っていたと思う。わたしも好きだったし、もしも実際にどこかに転生することがあったら――なんて考えたこともある。

 そしてその結果。


 日本人として生まれて育って、次に生まれてくる場所が選べるとしたら日本がいいな、と友達に言った。

「どうして?」

 友達の誰かがそう訊いてきて、わたしは。

「だって、まだ日本の美味しいものを食べつくしてないもん」

 と言って、呆れられた記憶も蘇ってくる。学生だったわたしは、遠出すると行ったってせいぜいアミューズメントパークに家族で行ったり、学校の行事で旅行に行ったり、その程度だった。

 北海道の美味しい海鮮、沖縄のソーキ蕎麦にゴーヤチャンプル、いやそれ以前に大阪の本場のたこ焼きもまだ食べてないんだよ!? そりゃ心残りもあるでしょ!?


 本当に何で、わたしはこの世界に生まれてきたんだろう。日本人が作ったゲームの中だからか、米も醤油も味噌もある世界。ケーキだって前世と似たり寄ったりのものがある。それでも、ここは日本じゃなくてファンタジー世界であり、ゲームの中。

 お父様もお母様もお兄様のことも好きだけど、どうしてわたしはこの世界に生まれたのか。


 ――チョコレートマフィン、渡した?


 誰かの声が頭の中で蘇った。

 思い出せない記憶の断片。でもどこか、不安も同時に芽生えた。

 深い湖の暗い底からぽかりと浮かんだそれに気づいて、それを掴もうと手を伸ばしたような感覚があったけれど、少しだけ思い出すことも躊躇う。


 厭な記憶がある、気がする。

 怖いものを見た気がする。

 誰かの悲鳴と怒号。

 誰かの声が。


 ――誰か先生呼んできて!


「ここか」

 唐突に、誰かがそう言ったのが聞こえる。


 その時、わたしは――わたしと他の生徒たちは目的の教室に到着して足を止めていた。

 我に返った瞬間、前世のその記憶は霧散していた。何に不安を覚えたのか、何を思い出しそうになっていたのか、そんなことすら曖昧になって、まるで夢から覚めた後のようにぼんやりしていた。

 そこで、わたしは軽く頭を振ってからそっと辺りを見回した。


 アンティーク調の装飾が入った柱が整然と並び、魔道具の一種らしいランプが取り付けられている。絨毯の敷かれた廊下、大きな窓、時折通り過ぎる空飛ぶ魚。

 改めて見てみると、お金のかかってる学園だなあ、と感心してしまう。

 そして、本館の一階が新入生のフロアのようだ。わたし以外の新入生たちは、誰もが目を輝かせながらそれぞれ自分に割り振られた教室に入っていく。


「皆、座りなさい」

 Sクラスの扉の前で、背の高い男性が立っていてそう言った瞬間、わたしは深いため息をこぼしていた。

 ――出た。

 目の前にいる男性は、ゲームの中のストーリーモードで見たことのある人物。

「私がこのクラスの担任、ミルカ・ノルディンだ。一年間、よろしく頼む」

 そう言いながら教壇に立った彼の耳は、他の人たちとは違って鋭く尖っていた。長い真っ白な髪の毛と、白い睫毛。肌の色も限りなく白い、全体的に淡い色をしている細身の男性。

 そして、当然のことながら美形である。

 さすがゲームの登場人物。


 ゲームの中では、ミルカ・ノルディンはハーフエルフとして説明されていた。

 この世界で、人間とエルフの混血というのは微妙な立ち位置だ。エルフは人間よりも格の高い存在とされていて、人間を格下として見ている。だから、エルフたちが暮らしている場所ではハーフエルフは能力が低い者として迫害されることが多いらしい。

 彼もまた、幼い頃に過酷な環境にいたようだ。こうして人間の暮らす国にやってきたのは、エルフの知恵を人間に授けるため……と理由をつけているものの、実際はただ逃げたんじゃないかと思う。


 まあ、ゲームの中ではそんな彼のトラウマをヒロインが癒してあげるのだけれど。

 ヒロインって誰でしたっけ? うん、わたしには無理だね。だってエルフだろうと何だろうと、ミルカ先生は男性だから怖いし。


 とにかく、早く今日一日を乗り切って、帰り際に職員室に寄ろう。

 で、Sクラスから別のクラスに移動できないか直談判してみよう。

 そんなことを心の中で決意しながら、入学式初日を乗り切った……つもりだった。


「学園内を一緒に回らない?」

 今、わたしの目の前にはまたエリス様がいます。

 入学式の初日は、午前中だけで終了。ちゃんとした授業は明日から始まるから、もうこの後は自由時間というわけだ。

 だからわたしはミルカ先生が教室から出て行った瞬間に席から立ち上がって、カバンを胸に抱えて廊下に出ようとした。

「どこに何があるかまだ解らないでしょ?」

 しかし、そんなわたしの前に立ちふさがった彼は、妖艶に微笑みながら言外に逃がさないぞという意思を伝えてきている。

 彼の威圧に似た魔力の流れが目の前に広がり、わたしの背中にぞわぞわしたものが這い上がっていた。


 Sクラスの中にいる生徒は、ほとんどが位の高い貴族ばかりだ。

 魔力の量というのは、普通、位の高さに比例するようだ。いや、それは順番が逆なのか。貴族だから魔力が多いのではなく、魔力が多いから貴族になれたということかも。

 平民もこの学園に通っているけれど、やっぱり彼らは魔力量では貴族には敵わない。そんな中、貴族としては位の低い男爵家の一員であるわたしが、殿下や公爵家の人たち並みというか……それ以上あるかもしれない状況というのは、異例なんだろう。

 だから目を付けられた。

 それはわたしがここでは『珍獣』だから。


 はい、これがいわゆるヒロイン補正ですね。男爵家の人間であるわたしが、ヒロインが故に総かまわれするという……迷惑極まりない。精神的苦痛を与えられたので訴えたい! 訴訟を起こしたい!


「い、いえ、わたしは職員室に」

 わたしは現実逃避した時のぼんやりした笑顔を浮かべつつ、瞬時に周りを見回して逃走経路を確認した。教室の中にいる他の生徒たちは、残念ながらわたしの味方になってくれる様子はない。何しろ、彼らは全員わたしより身分の高い人たちであり、多かれ少なかれ、わたしに対して不快感を抱いているように思えた。

 そりゃそうだよね。

 エリス様から逃げ出そうとしているわたしは、一体何様なのかと考えてしまうのは仕方ないはず。しかも、エリス様の背後から殿下からの援護も飛んでくるし。

「じゃあ、私も一緒に行こうか。クレーデル嬢もエリスと二人きりというのは気詰まりだろうから」


 ――大きなお世話すぎる!


 わたしはくわっと目を見開いて、ウィルフレッド殿下を見つめた。そして、ぷるぷると首を横に振りつつ遠慮の言葉を紡ぐ。

「いえ、お忙しいでしょうからお気になさらず!」

「忙しくてもチームのことについては説明をすべきだと思うしね」

「ええと、わたしは職員室に用事がありまして!」

「じゃあ、一緒に行こうか」

 と、エリス様が言って。

「遠慮します!」

 もう無理! とばかりに、彼らの手の届かない距離を狙ってわたしは走り出した。がらりと開いた教室の扉、走っても足音が響かない絨毯の敷かれた廊下。職員室ってどっちだっけ、と思いながら全力で走っていると、背後から魔法の発動した気配が感じられた。


「え?」

 わたしが走りながら背後を見やると、廊下に出てきたエリス様が魔法の呪文の詠唱を終えている。彼の手元から放たれた光は、小さな白い鳥の姿になってわたしを追ってくる。

 追尾用の魔法!

 こんな、人畜無害そうな可愛い子相手に(言いすぎかな)そこまでする!?

 わたしはまた視線を前に戻して廊下の角を曲がる。

「うわ」

「あっ! す、すみません!」

 勢い余って誰かにぶつかったようで、わたしは咄嗟に防御魔法を自分の周りに廻らせたけれど遅かったみたいだ。相手の男性はわたしという暴走特急がぶつかったというのに全くよろめく様子もなく、困惑したように何か言いかけている。

 でも、わたしには謝罪の言葉を繰り返すことしかできない。というか、それ以外の余裕が全くない。

「すみません、すみません! 怪我をしていたら訴えてください! 後でお詫びします! だから今は勘弁してくださいいいぃぃ!」

「え、おい」


 わたしを追いかけてくる白い鳥の気配。

 エリス様、しつこい! ゲームの中でも粘着質の問題児だった!

 今はとにかく、あの腹黒美形から逃げることに専念を――と思ったが、わたしの足よりも白い鳥の方が早いのは当然のことで。


「失礼します!」

 わたしは、本館から飛び出して向かい側に会った研究棟へと飛び込んだ。もう、どこが何のための教室なのか解らないけれど、適当に目に飛び込んできた扉に手をかけて開いた。

 そして、思いっきり扉を両手で引いて閉め、鍵をかける魔法を展開させた。

 がちり、という確かな感触がわたしの手に伝わってきた直後、背後からとんでもなく不機嫌そうな声が響いてきた。

「誰だ。出て行け」

「す、すみません……!」

 わたしは自分の周りに展開している防御壁の中で小さくなりながら、必死に頭を下げたのだった。

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