第4話 王子様と悪役令嬢、それにチャラ男

「前世ですか」

 アドラー先生はソファに座ったわたしの前に立ちながら、腕を組んで首を傾げている。それから、先生がその枯れ枝のような腕をこちらに差し出して魔法陣を描き始めた。

 わたしの足元に広がった青白い魔法陣は、くるくると回転しながら足元から頭上へと移動して粉雪のように舞い散った。

 相変わらず綺麗な魔法陣だ。わたしが作る魔法陣よりも緻密で繊細。魔力の制御も完璧。

「……特に、どこにも異常が見つかりませんなあ」

 そう微笑みながら続けた先生の片眼鏡の中にも、小さな魔法陣が展開されて光り輝いている。それは魔法医師であるアドラー先生が自作した魔道具で、診察には必需品らしい。通常の魔法陣だけでは確認できない、ほんの僅かな体調の不調すら見逃さないんだとか。

 ただ、同じものを造ろうにも素材がレアすぎて手に入らないとかで、現在、この世界にはたった一つの魔道具となっている。

 いいなあ、いつかわたしも造りたい。

 そんな野望はあるが、とりあえずそんな考えよりも重要なのは。


「ほらぁ。だからわたし、何も問題なんてないんです。先生の魔道具でも解らないのならわたしは正常と」

 と言いかけたわたしの言葉を遮り、お兄様がため息と共に言葉を吐いた。

「さすがに精神的な馬鹿な問題までは見抜けないってことか」

「酷い!」

 くわっと目を見開いてわたしがお兄様に噛みつくように言った時、ドアを開けて入ってきたリンダが困惑したように皆を見回した。


 客間へと移動したわたしたちはそれぞれソファに座っている。お父様とお母様は隣に並んで座り、お兄様は窓際に立ったままの格好だ。

 リンダはさっき買ってきてくれたらしい焼き菓子をお皿に並べ、手際よく紅茶を皆の前に用意してくれた。

「落ち着いてくださいお嬢様。これ、今回の戦利品です」

 リンダが無邪気に微笑んで、焼き菓子の説明をしてくれる。

 そうすると、食べ物に――特にお菓子に弱いわたしの怒りは瞬時に収まり、口よりも正直なお腹がくうと鳴いた。

「最近の人気店、ミリーズの新作のアップルパイです。これを買うために一時間並びました」

「おいこら」

 お兄様が不機嫌そうに口を挟んだけれど、気にしない。

 わたしは胸の前で両手を組んで艶々と輝くパイ生地を見つめる。

「そしてこちらが一日五十個限定のプレミアムキャラメルサンド、こちらがリーフパイとバナナマフィン……」

「美味しそう……。どうやって作ってるのか、ちょっと後で検証を」

 わたしがバナナマフィンに手を伸ばしながら言うと、お兄様の深いため息が響いた。


 そして、結局のところ。


 わたしの身体に何の異変もない。

 前世の記憶が戻ったというのはお兄様は懐疑的ではあったけれど、お父様とお母様はそれなりに信じてくれたようだ。

 そしてアドラー先生はにこにこと目元に皺を刻んで微笑みながら、最後にこう言った。

「ディアナお嬢様が男性が苦手だというのは昔から知っておりましたが、どんな形であれ、その恐怖の原因が解ったというのはいいことでしょう。以前より比べて、男性に怯えることもなくなるのではないかと思いますが、どうですかな?」


 前よりも不用意に男性に怯えることはなくなるのでは? と言われて、なるほど、とは思ったけれど。


 やっぱり怖いものは怖いのだ、と再確認したのはエーデルシュタイン魔法学園に入学した初日のことだった。


「君がディアナ・クレーデル男爵令嬢?」

 そう声をかけてきたのは、流れるような流線型を描く金髪に、キラキラと輝く宝石みたいな青い瞳の美少年。どこかの軍服みたいな白い制服が似合いすぎるというか、どこのモデルさんですか、と問いかけたくなるような人だった。

 襟につけられているバッジの色から、わたしと同じ新入生だということが解る。

 彼は落ち着いた笑顔をこちらに向け、学園の門の近くに立ってわたしを見つめているわけだけど。


 間違いなく男性である。

 そうだ、お兄様でもお父様でもテイラーでもアドラー先生でもなく、初対面の男性。初めて会ったのにわたしの名前を知ってるなんて、何それ、やだ、怖い。

「え、あ、あの、どどどど、どうしてわたしの名前……」

 挙動不審を絵にかいたようにどもりながらわたしが口を開くと、彼はさらに一歩こちらに歩みを進めて続けた。

「君の噂は聞いていたよ。今年の入学生の中で一番の、いや、在学生を含めても一番の魔力量の持ち主であり、もうすでに治療魔法と防御魔法では学園で学ぶこともないくらい、素晴らしい人材だと」

「え、あの」

「だから、ぜひ話をしてみたいと思ったんだよ」

「え、でも」

「ああ、ごめん。自己紹介を忘れていたね。私はウィルフレッド・ホワイトフィールド。君と同じ新入生だ」

「ホワイト……」


 フィールド!


 わたしたちが住んでいるこの国の名前がホワイトフィールド王国。同じ名前ということは!

 そしてウィルフレッドと聞いて思い出した。

 ゲームの中でその名前が出てきていたことを。


 ウィルフレッド殿下。ゲームのストーリーモードの中でも一番人気というか、ヒロインが恋する王道的な相手となる王子様。

 目の前にいるこのイケメンがつまりそういうことだ!


 わたしが咄嗟に後ずさって彼から距離を取ると、彼の背後から姿を見せた第二の刺客。

「あれ、どうしたんですか?」

 緩くカーブを描く長めの銀髪、淡い紫色の瞳、どこか女性的な顔立ちの痩せ型の男性。彼もまた、白い制服と同学年であるバッジをつけている。

「ああ、エリス。噂の彼女に会ってね」

 ウィルフレッド殿下が彼の方に振り向いて薄く微笑むと、エリスと呼ばれた男性が微かに目を見開いてわたしを見つめ直した。

「噂の……ああ、ディアナ・クレーデル嬢。君がそうなのか、可愛いね」

 にこりと微笑んだ彼の名前も聞いたことがあるし、むしろその美女めいた顔立ちにも見覚えがあった。もちろん、ゲームのストーリーモードの中で、である。


 確か彼の名前はエリス・エイデン。エリスという女の子みたいな名前だけど間違いなく男性で、ゲームの中では女の子相手なら誰にでも優しいチャラ男として描かれていた人物だ。

 わたしが覚えている限り、彼は殿下の幼馴染であり、何でも話し合える親友でもあった。だからいつでも一緒に行動していたような気がする。

 真面目な王子様、いい加減な性格の側近。

 そんな感じだったけれど。


「僕も噂を聞いて気になってたんだ。確か、君はまだ婚約者はいなかったよね? 男爵家の掌中の珠というか、ほとんど外に出てくることのない謎の美少女って聞いてたけど、眉唾だとも思ってたんだよね。でも、こうしてみると確かに凄い美少女だ」

 そう言いながらぐいぐいと近づいてくる感じが凄く怖い。

 女の子みたいな顔立ちとはいえ、骨格は間違いなく男性だし、その目の輝きもどこか冷たいし得体のしれない感じがして背中にぞわりとしたものが這い上がる。

「ねえ、どうかな? 僕も婚約者がいないんだよね。お試しというか、少し付き合ってみない?」

 そう続けてわたしの手を優しく触れようとした彼。

 間違いなくそれは、挨拶のための動きだったとは感じたけれど、わたしにとってはどうしても受け入れがたいことだったものだった。

 だから。

「お、お断りします! ごめんなさい!」

 数歩どころか数十歩彼から距離を取って頭を深く下げた。「わたし、男性が苦手なんです! できれば男性のいないクラスに入りたいくらいなので!」

「ええ? ちょっとそれは駄目じゃないかな? 学園は交友を広めていく場所だよ?」

 エリス・エイデン様は確か、公爵家の人間だったと思う。男爵家のわたしが近づいてはいけないくらいの身分の高い人。

 だから本当は、こんな風に拒否するのも礼儀知らずというか、不敬なんだろう。

 でも無理。

 本当、無理。

「交友は狭くて大丈夫です! お気遣いなく! というか、女の子の友達を作って交友を広めていきます! ありがとうございます!」


 とりあえず面倒だから形だけでもお礼を言っとけ、的なノリで叫んでいると、いつの間にか周りには新入生らしき少年少女が遠巻きにこちらを見つめているのが解った。

 それに、上級生らしきバッジを付けた人たちも怪訝そうにこちらを見て、殿下の顔を見てぎょっとしたように動きを止めている。

 悪目立ちをしてしまった……と地の底に沈む勢いで落ち込んでいると、そこに新しい声がかけられた。

「殿下。どうなさったのですか?」

 女の子の声だ、とわたしはほっとしてそちらに顔を向ける。

 するとそこにいたのは、カールを描く赤い髪、黒い瞳の華やかな美少女だった。メリハリのついた女性らしい身体つき、白い制服と襟元にある赤いリボン。化粧などしていないだろうにパッと目を引く赤い唇はとても形がよくて、妖艶ですらあった。

 彼女もバッジの色からわたしと同い年のはずなのに、女性らしさを極めたような嫋やかな物腰のとんでもない美少女。将来は間違いなく、この国一番の美女になるんじゃないかと思えるくらいの彼女は。


「……ああ、ベアトリス」

 ウィルフレッド殿下が気まずそうに彼女に視線を投げてそう言って、やっぱり! とわたしは頭を抱えそうになった。


 ベアトリス・ルーシェ。

 彼女もゲームの中に出てきていた人物だ。

 ウィルフレッド殿下の婚約者であり、嫉妬深く、殿下に近づく女の子を次から次へとあらゆる手を使って排除していく彼女は、いわゆる悪役令嬢という立ち位置なのだ。

 そして、ヒロインの行動を様々な方法で邪魔してくる相手。

「もう入学式が始まりますわ。移動した方がよろしいかと」

 彼女はわたしには目もくれず、冷えた双眸をウィルフレッド殿下に向けてそう続けた。そしてそれに従うしかできないのか、殿下は困ったように微笑んでから頷いてみせる。


 ありがとう、本当にありがとう!

 そう言いたかったけれど、彼女の背中に漂う敵意は気のせいではないのだろう。

 わたしはベアトリス様に連れられてこの場を離れるウィルフレッド殿下とエリス様を見送りながら、思わずその場にしゃがみ込んでしまった。


 もう帰りたい。本当に帰りたい。うわあぁぁぁん。

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