第3話 お父様の呪い

「俺、やっと単位が取れたんだからな? 絶対に卒業してやるからな?」

 勉強が苦手なお兄様が必死にそう言っているのを聞きながら、わたしはお母様に向き直った。

「お母様。魔力のある人間が魔法学園に行くのが義務なのは理解してますが、学園を変えることはできないでしょうか。どこかに女学園みたいな、女の子しかいないところはないですか? わたし、わたし、エーデルシュタインには行きたくない……」

「無理ね」

 はうあっ!?

 両手を胸の前で組んで『おねだり』ポーズをしたわたしに、お母様はあまりにも簡潔な返事を返してきたから、ついわたしもその格好のまま固まってしまう。たまにお母様は時間をとめる能力を放つと思う。

「お前、引きこもりすぎて解ってないだろ」

 石像になっていたわたしに、お兄様もため息交じりに話しかけてきた。「エーデルシュタインに入学って、あれ、ほとんど王命だからな? 誰もが七歳の時に神殿で魔力検査を行うだろ? あれで出た結果で、一定以上の魔力があった場合には必ずエーデルシュタインに通わなきゃいけなくなる。お前宛に届いた入学通知書にも、学園長の名前の他に陛下の名前も書いてあるんだ」

「……うそぉ」

「嘘じゃねえよ。まあ、学園で優秀な成績を残したらそのまま王宮で仕事ゲットできるからな、王家にとっても生徒にとっても悪い話じゃねえし、誰だって喜んで通うもんだ」

「……誰だって?」

 ギギギ、と音がしそうな動きでわたしが首を傾げていると、さらにお兄様が続ける。

「ふつー、年頃の女の子ってのはエーデルシュタインに通うのはステータスみたいに思えるものなんだけどな? それに、魔力持ちの優秀な異性との出会いの場だから、卒業するころには大抵の貴族の子女には婚約者候補ができてるんだ。勉強だけじゃなくて、甘酸っぱい青春も味わうのが学園生活の醍醐味だっつーのに」


 ――甘酸っぱい……。


「でも、お兄様は学園に通っててもそんな体験してなさそうですけど」

「うるせえよ!」

「わたしもそんな体験とは無縁でいたい……」

 わたしは多分、もの凄く情けない表情をしたのだろう、お兄様が眉間に皺を寄せ、深いため息をついた。

「……男性恐怖症のお前には無理な話か」

「……その通りです……」

 わたしは肩を落としてぼんやりと続けた。「婚約者じゃなくて仕事は欲しいかもしれませんが、王宮じゃなくてどこか小さいパン屋さんとかで働きたいです……。それも、接客しなくていい裏方で」


 わたしの身体が少しずつ生き物としての柔らかさを取り戻し、そのままソファに沈み込みそうになるのを必死に両手で支えながら現実逃避の中に逃げ込んだ。

 そうだ、パン屋さん。ケーキ屋さんでもいい。今のわたしはディアナとしての意識が強いけれど、前世での趣味、お菓子作りの記憶ははっきり残っている。クッキーやパウンドケーキを焼いたり、チーズケーキやシフォンケーキを焼いたり、ストレス解消のためにパン生地をびったんびったん叩いて楽しかったことも覚えているのだ。

 ずっと裏方に引きこもっていたい。それで、好き勝手にやってお金を稼いで、金持ちではなくても――貴族なんて立場じゃなくても生きていければいいのだ。

 そうとも、美味しいものを食べていければそれでいい!


「お前、見た目は結構可愛いからなあ。婚約者がいないと知られたら、それなりにモテると思うんだが」

 そこにお兄様の低い声が響いてぎょっとして目を見開いてしまう。

 そして、思い出してしまうのだ。


 エーデルシュタイン魔法学園のゲームの内容。

 わたしはチーム戦だけに集中していたけど、ちゃんとストーリーモードも一通り遊んでいた。

 そこでは、ヒロインが学園に通い、色々なイケメンと出会って色々なイベントをこなして恋心を育てていくわけだけれど。


 あれをわたしにやれというのか!

 手と手が触れ合ってドキドキしたり、見つめ合って頬を染めたり、そんなの確かに

(怖くて)ドキドキするし、頬だって赤くなったり青くなったりするわ!(怖いからね)


「無理。本当に無理。こうなったら誰か身代わりになって学園に行ってくれるアルバイトを雇って」

「アルなんとかが何か解らんが、お前の考えていることは無理だからな。諦めて学園に通え」

「うわああああん」

「入寮しろとは言わねえから安心しろ。お前はここから通え」

「ありがとうお兄様……いや、全然ありがとうじゃないからね!」

 一瞬だけ、わたしは精神錯乱のあまりお兄様に感謝の念を示したけれど、全く状況は変わっていない。ぐるぐると色々な不安が渦巻く頭を抱え込んだまま唸っていると、窓の外が騒々しくなって我に返る。


「あら、帰って来たわ」

 そこで、お母様がソファから立ち上がって足取り軽く部屋から出て行く。お兄様は相変わらずソファに座ったままだけれど、わたしは窓に駆け寄って外を見て、そこにいる巨大な飛竜を確認する。暗い紺色の鱗を持つ巨大なその姿は間違いない、我が家の――お父様が大切にしている飛竜マリア。

 それから、お母様の後を追って玄関ホールへと向かった。


「おお、マルガレーテ、今帰ったぞ!」

 使用人が開けるより先に自分の手で乱暴に玄関の扉を開け、入ってきたのはわたしのお父様だ。二メートルはあるかと思われる高身長、若い頃から鍛えたという自慢のごつごつした肉体、必要最低限の防具と大剣を抱えたお父様は――今の見た目は毛玉である。


 もう一度確認のために言うが。

 お父様は毛玉である。


 お父様の肌の色はどこにも見えないくらい、全身が黒い毛に覆われているのだ。前世でもしゃもしゃした長い毛に覆われた犬がいたけれど、まさにあんな感じ。瞳すら隠れて見えず、シャツとズボンを穿いているから人間だと解る程度なのだ。

 だがそんなお父様だって、生まれながらに毛玉だったわけではない。

 それまでは筋肉隆々ではあったけれど、雄々しい顔立ちの美丈夫だった。見た目は間違いなく人間だった。


 元々お父様は腕の立つ剣士として有名で、街を襲おうとしてくる魔物を単独で倒しているうちに莫大な財を築き、最終的には領地と爵位をもらったんだという。

「ま、体のいい厄介払いだろう」

 と、いつだったかお父様は言ったけれど、確かにその通り。

 もらった領地というのは魔物が多く出没するところで、それまでは王家が管理していた土地だった。でも扱いに困っていた時にちょうどいい剣士がいたから、押し付けたというのが答えだろう。

 何しろ、大きな森があってダンジョンも多く存在し、冒険者たちがこぞって集まってくるものの、ダンジョンから出てきた魔物が近くにいる人間を見境なく襲ってくるのだ。

 父なら何があっても大丈夫だろうと思われたのかもしれないが、その結果。

 数年前にお父様は魔物の討伐をしている時に反撃を食らい、その時に呪いを受けてその姿になったのだ。呪いを放った魔物は倒したものの、お父様が受けた呪いは解けずにこれまでこの姿で生活をしている。


 ただ、お父様はそれを気にした様子もない。

 お母様も、だ。


「お帰りなさい、あなた。無事でよかったわ」

 お母様は両腕を開いてお父様に抱き着き、お父様も嬉しそうに抱きしめ返す。これは毎日の儀式のようなもので、お父様とお母様が心の底から愛し合っている証拠でもある。

 今日もお母様はお父様の顔を覆う長い毛を掻き分け、わたしや使用人、テイラーの視線も気にせずに口づけを交わした。


「相変わらずだなあ」

 やっと部屋から出てきたお兄様の呆れたような声が背後から飛んできて、わたしはそっと振り返って頷いて見せた。

 そう、これはいつもの日常だ。

 お父様もお母様も気にしていない様子だとはいえ――。


 呪いが解けたらいいのに。

 そう考えるのは家族として当然のことで。


「なあ、ディアナ」

 お兄様がわたしの肩を叩きながら言った。「お前には、エーデルシュタインでやって欲しいことがある。親父の呪いを解くための手段がないか、調べてこい」

「え」

「俺は無理だった。図書室にあった呪いに関しての本を借りたが、読むと寝る呪いにかかっているみたいで」

「あの、お兄様?」

「俺は途中で諦めたから、お前が頑張れ」

「うー」

 わたしは鼻の上に皺を寄せて唸りながら考える。


 そういえば、ゲームにおけるストーリーモードも『そう』だった。ヒロインであるわたし――ディアナ・クレーデルは、呪いとは何か調べるために魔法学園に入って情報を集めようとしていた。ただ、それがストーリーの中心となることはなく、イケメン登場人物と会ったら彼らの抱えている問題だったり事件だったりが軸となって話が進んでいった。


 そして、残念ながらよくあるアプリゲームの宿命なのかもしれないけれど、ストーリーモードは途中までしか公開されていなかった。

 つまり、エンディングは解らない。

 呪いを解くことができるのか、いや、それ以前に――呪いを解く方法があるのかどうかさえ解らないのだ。


 この家に引きこもっていたいのは山々だけど、そうしていたらお父様の呪いは――解けないんだろうなあ。

 わたしはお父様とお母様のいちゃいちゃしている様子に視線を戻し、苦悩の呻き声を上げる。

 そこへ、「ただいま帰りましたぁ」と玄関の開け放たれたドアを怪訝そうに見ながら姿を見せたのは、この屋敷の使用人であるリンダである。

 赤毛にそばかす、明るい笑顔がチャームポイントの十九歳の女の子。その腕の中には大きな紙袋が抱えられていて、果物やパンが無造作に詰められているのが見て取れた。

 その彼女に遅れて入ってきたのが、真っ白な髪と口ひげ、片眼鏡の七十過ぎの老人。それがお父様と長い付き合いのあるお医者様、アドラー先生である。

「お邪魔しますよ。いやあ、飛竜の背に魔物が積んでありますな? また無茶をされて怪我でもなさったのでは?」

 顎先を撫でながらアドラー先生が笑うと、そこでやっとお父様が我に返ったように頭を掻いた。

「いやいや、そんな油断はしねえが」


「そうだ、そうだ。先生に診て欲しいのはこっち」

 お兄様が二人の会話に割り込んで、軽く手を上げて彼らの意識をこちらに向けた。お兄様はニヤリと笑ってこう続ける。

「ディアナの頭がヤバいかもしれねえから、診てくんねえかな」

「言い方!」

 わたしはお兄様の脇腹にチョップを入れながら言った。「その言い方だとわたしの頭がおかしくなったように聞こえますが!」

「何か問題でも?」


 ――あるに決まってるじゃないかぁ!

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