第2話 ここはアプリゲームの中の世界です

「アドラー先生はまだか……」

「ちょっとお兄様!?」

 わたしが至極真面目に話していると言うのに、やっぱりお兄様はわたしの前世を信じてくれなかったらしい。頭がおかしいと思われるのは納得いかず、椅子から勢いよく立ち上がったものの、お母様が目を眇めてこちらをみているものだから、そのまま口を閉じてすとんと椅子に出戻りしたわけだ。


 今、わたしはこぢんまりとしたリビングルームのソファに座っている。

 大きなテーブルの向こう側には、お母様が優雅な手つきでティーカップを持ちつつ、のんびりとお茶の香りを楽しんでいた。そして、お兄様は頭痛でも覚えたかのように眉間に皺を寄せつつ、壁に寄りかかりつつ浮かない顔である。

 この場にはテイラーの姿はなく、お兄様の命令通りにお医者様を呼びに行っているようだ。アドラー先生に診てもらったとしても、思い出してしまった前世の記憶を消す方法なんてないはずだ。ないよね。うん。


「噂を聞いているのよ」

 唐突に、お母様が口を開いた。

 ティーカップをソーサーの上に静かに戻し、黄金色に揺れるお茶を見つめたままの姿で続ける。

「最近ね、巷で流行している物語のことなのだけど」

「物語い?」

 お兄様が眉間に皺を寄せ、何か変なことを言いだしたぞ、と言いたげな視線を母へと向ける。それを気にした様子もなく、お母様は頷いて見せた。

「あなたは読書なんて趣味がないから知らないのでしょうけど、街ではね、若い子向けの小説が流行っているの。平民の女の子が、ある日突然、強大な魔力を発現したり生き別れの貴族の父親に引き取られたり、前世を思い出して前世の記憶を利用してこの世界で成り上がっていく……そんな物語が」

「何だそれ」

「かなり売れているみたいよ? 特に、夢見がちな若い子には悪い影響もあるみたいでね? 自分も実は貴族の男性の隠し子で、いつか王子様と恋愛して王妃様になるの、とおかしなことを言い出すんですって。まあ、若かりし頃の気の迷いなんでしょうけど」


 と、そこでお母様の視線が上がり、まっすぐにわたしを見つめてくる。

 えっ? 違う、違うからね!? わたしは違うんだから!


「ああ、なるほどな。ディアナも趣味が読書の引きこもりだし、そういうヤバい本を読み漁って現実と創作の違いが解らなくな」

「違っ! わたしは違いますから!」

 そこでわたしはソファから勢いよく立ち上がり、ぶんぶんと首を横に振って眩暈を覚えつつ、必死に信じてもらおうと言葉を選んだのだった。


 わたしはここ数日、質の悪い風邪を引いて寝込んでいた。

 体調が悪い時って脈絡のない悪夢を見ることが多いけれど、今回の夢は違った。何もかも細かいところまで明瞭だった。

 前世――亜季としての長くはない人生の記憶だとはいえ、子供の頃から高校生までのあらゆることが脳内に爆発したようなものである。

 熱が下がって目が覚めた直後、自分が『ここはどこ、わたしは誰』というお約束の記憶の混乱から、ディアナとしての記憶と混ざり合って落ち着くまで、本当に嵐に巻き込まれたような感覚だった。

 でも、何時間経っても夢の中の映像は消えることなく、逆にはっきりとしてくるし……亜季としての人生経験が重くのしかかったままだった。こんなにはっきりしているのに、わたしの幻想だとか思えるはずがない。あれは現実だった。間違いなくそうだと言える。


「ここはですね、アプリゲームの中の世界なんです」

 わたしはそう言いながら、アプリゲームと言っても通じないだろうな、とは解っていた。「アプリゲームというのは……小説とは違いますけど、ある意味似ているもので……わたしはそのゲームを毎日遊んでいたんです」


 わたしの前世で遊んでいたゲームの一つ、それはスマホで遊ぶ『エーデルシュタイン魔法学園』。よくある基本無料、という感じのシステムである。

 遊ぶには、主人公が女の子か男の子か設定する必要がある。

 もちろん、わたしは女の子で登録した。

 そして、エーデルシュタイン魔法学園に入学するところからゲームはスタートする。


 毎日ログインして、無料のアイテムをもらう。

 無料のガチャを回して、色々なアイテムをもらう。

 そして、魔法学園での生活を豊かにしていくわけだ。


 魔法学園で勉強して、運動して、色々なイベントを遊んで、自分のキャラクターのレベルを上げる。そして、学園内でやれることを増やしていく。

 日本の製作スタッフが作ったゲームだから、お正月もバレンタインもゴールデンウィークもお盆もクリスマスもある。そんな期間限定イベントの最中に特定のクエストをこなすことでポイントをため、限定アイテムをもらう。

 さらに、学園内で出会えるイケメンたちと恋もできる……そんなゲームだった。

 わたしは女の子で登録していたから、どこを見てもイケメンパラダイスだったわけだけど、男の子で登録すれば、美少女だらけの学園生活が楽しめるみたいだった。


 課金すればそんなNPCプレイヤーであるイケメンたちとの好感度もどんどん上がり、お気に入りのキャラといちゃいちゃできたりもする。素晴らしきかな二次元。

 優しかったり強かったり、とにかく格好いい男の子との甘い時間。有名な声優さんがボイスも担当していたから、そういう意味でも楽しめた。


 課金しなければ、普通の学園生活のゲームを楽しむのがメインとなる。

 学園内で他のプレイヤーたちとチームを組んで、毎日チーム戦――魔法による格闘イベントをしてランキングを競い、上位にいけばいくほどたくさんアイテムをもらえる。アバターを着飾らせたり、自分の戦闘力を上げることができたり。

 とにかく、毎日のログインが重要だった。でなきゃ、無課金では強くなれない。逆に言えば、ログインし続けていればそれなりに強くなれるのだ。


 亜季は小説も漫画も好きだったし、ゲーム――その頃に流行り始めた乙女ゲームとやらも好きだった。飽きやすいからなかなか一つのゲームに絞り込むことはできなかったけれど、このゲームではチームを組んだ他のユーザーと仲良くなったせいか、一年以上毎日ログインし続けていた。


 楽しかったな、チーム戦。

 チャット欄で色々な会話もしたな、と思う。

 どのNPCキャラクターを攻略しているとか、イベント限定スチルをどれだけ集めたとか、声優さんは誰が好きだとか――。


 その時は凄く――女の子らしい会話をしていたのだ、わたし。


 生まれ変わってディアナの意識になってからは、全然違うけれど。

 理由も解らず、物心ついた頃から男性が怖かった。お父様やお兄様だけは信用できたけれど、それ以外の男性は――特に若い男性が苦手で、外出することも嫌っていた。だって、街に出ればたくさんの男性がいて、近寄られたら身体が震え出すんだもの。


 でも恐怖の理由が解った。

 前世で男性に殺されたから。だから、生まれ変わっても怖かったんだ。女性であるわたしは腕力が弱いし、男性に襲われたらひとたまりもないだろう。


 だから思ったのだ。

 男性よりも強くなれば、怖くなくなるんじゃないか、って。

 わたし、前世でもゲームのプレイスタイルは『そう』だった。弱い敵のいるところを周回して、レベルアップしてから次の敵に挑む。負ける戦いはしない。そうすれば怖くない。強ければいいのだ、何もかも。


「だから剣を習いたいんです。もしも、誰かに襲われてもやり返すことができれば、怖がる必要なんてない。そう思ったから、わたし……お兄様、剣を教えて欲しいんです」


 結構、とりとめのない話になったと思う。前世での記憶は、まだ頭の中で整理がついていない。それでも何があったのか言葉を重ね、わたしはその場に立ったまま頭を下げていた。

「だって、魔力のある人間は必ず魔法学園に……エーデルシュタイン魔法学園に入学しなくてはいけないのでしょう? 不特定多数の男性がいるところなんて、今のままじゃ絶対に行けません」

「んー……」

 わたしが顔を上げると、お兄様が腕組みして首を傾げ、低く唸りながら考えこんでいた。お兄様ならわたしの言うことが事実だと理解できるはずだ。前世の記憶が蘇るまで、ずっとわたしは落ち込んでいたのだから。この春からわたしはエーデルシュタイン魔法学園に通わなくてはいけない。とにかく不安で仕方なくて、最近は食欲すらなかったから少し痩せた。


「だから、少しでもわたしは強くなって男性恐怖症を克服するか……もしくは」

 わたしも少しだけ唸りつつ、こう続けた。「お兄様が留年して、魔法学園でわたしを守ってくださるなら通えるかもしれませんけど」

「しねえよ!?」

 瞬時にお兄様が目を見開いてわたしに突っ込みを入れた。

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