聖女の末路

緋星

聖女の末路

 わたくしは幼い頃よりひとりでした。家族から虐げられ、友人と呼べる人もいませんでした。声を上げても、わたくしの言葉を聞いてくれる誰かはいなかったのです。

 ですがある日、本当に突然わたくしは声を聞いたのです。

『あなたは聖女。穢れた世界に産み落とされた、特別な存在。あなたにはこの世を救う役目があります。その手でなすべきことを成しなさい』

 わたくしが……聖女! 世界を救う使命! なんと素敵なお言葉なのでしょう! これは天啓に間違いありません。神はわたくしを見捨ててはおられていなかった。機が熟し、わたくしが聖女として目覚めるその日を待っておられたのです。

 わたくしは立ち上がりました。聖女として、この世の穢れを清めるために、わたくしは戦うことを決めたのです。


 世界を救うとは言いますが、わたくしには知恵も力もありません。おそらく穢れを清めるためのチカラがあるとは思うのですが、それを目覚めさせる方法がわかりません。

 ですので、わたくしは知識を得るために勉学に励みました。分野など選んでいられません。手当たり次第、というのが正しいでしょう。当時はがむしゃらだったのを覚えています。結果としてこれはわたくしの血となり肉となりました。わたくしは賢者の素質もあったようです。

 ある時、わたくしはとある幼子の勉学を見ることになりました。その子はキラキラとした目で多くの書物を読み、わからないことがあればわたくしに訊きに来る、素直な子でした。わたくしも愛おしく想い、ありとあらゆる知識を授けました。……とても素敵で、勇者の素質がありました。これもまた神からの思し召し、運命の出会いだったのです。

 しばらくして、わたくしは学び舎を始めました。幼子たちに、わたくしの知恵と知識を授けました。本当に幼子たちは良い子ばかりで……素敵な時間でした。あの子たちはわたくしの弟子、というものなのでしょう。 いつの間にか、わたくしの周りには多くの弟子が集まるようになりました。学び舎には人々が集い、わたくしの言葉が聞き入れられるようになった、その証左です。

 ああ、誰にも見向きもされなかったわたくしが、聖女として未熟なわたくしの声が、迷える方々に届いている! これで世界も清浄され、神が望む姿に変わるのでしょう!

 ですが、同時に不安でもありました。弟子が増えるにつれて、彼らが生きる世界が穢れているのは見るに堪えないと感じるようになりました。世界が穢れていく速度に、わたくしが清める力が追いつかないのです。このままでは聖女としての役目が果たせません。

 わたくしが悲しみに暮れていた時、支えてくれたのは弟子たちでした。わたくしが穢れに触れるのを惜しみ、我が身を差し出すようになったのです。

 ……弟子たち、ですか? ええ、とても良い子です。どういう子、ですか? 一様に聞き分けの良い、わたくしの言葉に耳を傾けてくれる、よく働いてくれる子ばかりですよ。

 ですが、中にはわたくしの言葉が届かなくなった、そういう弟子もいました。わたくしの聖女としての力が及ばないのでしょう。いつしかそういう弟子は離れていきましたが、神が導いた出会いです。いつかまた出会えましょう。


 ――いつの頃か、わたくしたちの声は誰にも届かなくなりました。聖女とその弟子たちは迫害の対象になってしまったのです。どうしてでしょう。わたくしにはわかりません。 言葉が伝わらないケダモノたちを清めても、悪意に染まる幼子を解放しても、神の意志に背くものたちを除けさせても、状況は何も変わりません。

 その時、神は再び言葉を授けてくれました。

『浄化を。聖なる火を用いて、浄化を。より多くの生贄を』

 この言葉に、弟子たちは歓喜しました。火を使う浄化は準備が大変です。それも多くの人々を一斉に清めなければならない、それを考えるだけで並大抵のことではありません。ですがわたくしの声が届くなら、と労苦を惜しまない子たちばかりでした。時間もかかりました。あとは時期を待つだけ、でした。

 ですが……あなた方はわたくしたちをまた害するのですね。こんな所に閉じ込めて。わたくしの声は、届いていないのでしょう。いいえ、声だけではありません。神が望む世界も、聖女たるわたくしの身も、何もかも理解しようとしない! それはあなた方がわたくしを、聖女たるわたくしの力を恐れているからなのでしょう!?

 ……え、最初の弟子、ですか。そうですね。あの子のことはきっと忘れないでしょう。ですが、あの子だけは最初から……わたくしの言葉を聞いていなかったようです。あの子ほど勇者の資質がある弟子はいなかったのに……。


 * * *


「――以上が、彼女の自白内容です」

 部下からの報告に、男性は眉根を寄せた。

「それは本気か?」

「正気かどうかは判別しかねますが、彼女は本気で言っていますね」

「狂気の沙汰だな」

 男性は溜息を吐くと、部下に向き直って指示を出す。

「おそらく精神鑑定が必要になる。手配だけは進めておけ」

 はい、と返事をした部下が去った部屋で、窓の外を覗く。近くの公園では親子連れが楽しそうに遊んでおり、男性は目を細めた。

 ――これが、穢れているように見えるのか。

 胸中が苦いもので埋め尽くされる感覚に陥る。自分の感情だけが正解ではないことは理解しているが、あの思考が正しいとは到底思えない。


 あの“聖女”は、間違いなく歪んでいる。


 見かけは一般人と何ら変わらないその内に、外道が潜んでいるとは誰も思わないだろう。

 彼女の生い立ちが不遇かと言えば、別にそうでもない。一般家庭で誕生した彼女は、その成長過程で大きな事件や事故に巻き込まれたという記録はなく、家庭内においてもそういった証言は得られていない。

 ただ幼少期から非常に強い妄想癖があったようだ。それには両親や学校の担任も手を焼いたという。何せ「自分は世界を救う聖女だ」と公言していた。一時ではなく、現在も続いているそれによって、人々は彼女を腫れもの扱いするようになった。ただ学業において非常に優秀だったため、学校ではそれほど危険視していなかったようだ。

 大学を卒業した彼女は、私塾を開いた。秀才の誉れ高く、教え方も上手。そしてその容貌も彼女が評判になる一因だった。常に入塾希望者が絶えなかったという。

 しかし、その私塾では通常の勉学とは別に、彼女の“妄想”を教え込む時間があったという。まずは塾生が、そしてその親が、さらにその話を聞いた他人がその話を信じ込んだ。いつしか彼女は先生ではなく“聖女”として崇められ、私塾は新興宗教として認知されるようになった。そして、その教義「聖女の名の下に世界を浄化せよ」に従った信者が、犯罪に手を染めるようになった。

 ある時は動物の死体が大量に発見された。犬、猫、鳥、魚など様々な生き物が犠牲になった。捕まった信者曰く「聖女さまの言葉が通じないのなら、いてもしかたないだろう」。

 ある時は幼児連続誘拐事件が発生した。強引なものもあれば保護者とはぐれた隙を狙ったもの、未遂に終わったものもある。容疑者の信者曰く「幼き頃より聖女さまのお声を耳にしていれば、この世の穢れがわかるだろう。これはあの子どもにとって必要なことなのだ」。

 ある時は信者の監禁事件が暴露された。周囲の異常さに気づき脱退しようとした信者を、強制的に施設内に隔離していた。これは別の信者が密かに情報を流したために発覚した。助けられた信者曰く「あそこは、もう、昔の塾じゃない。あんな所にいたら、もう終わりだ。助けてくれ」。

 こうして世間から奇異の目で見られ、罵詈雑言を浴びせられ、追い詰められていった“聖女”たちは最終手段の実行を計画した。自分たちを受け入れない大多数の人々を“浄化”し、自分たちの存在を誇示する――爆弾テロだった。大都市の駅に爆弾を仕掛け、何も知らない一般市民を巻き込むその計画は、その初手の段階で内部の人物から情報をリークされて未遂で終わった。

 それまでの犯罪の証拠が積み重なった結果、新興宗教に捜査が入った。教祖たる“聖女”は任意同行され犯罪の教唆の疑いで逮捕、現在取り調べを受けている。


 男性は再度机に向かい、部下からの報告書を読み進める。

「……運命、か」

 彼は自嘲する。これが運命というなら、それは皮肉な結末だ。

 “勇者”という言葉が響かなかったわけではない。ただ、すべてを振り払って盲信できるほど、純粋ではなかった。自分が足を付けて生きる世界を知った。だから、“彼女”の下から離れた。そして自分なりの方法で世界を救う道を模索した。その結果が今に繋がる。

 “聖女”を信奉する新興宗教の噂を聞き、優秀な部下を数名潜入させた。適宜内部情報を入手し、“聖女”の目論見をつぶした。それは世界を守るため。

 “勇者”は己の信条を抱き、道を進む。

 だから。

「さようなら、先生」

 聖女は、この世界にはいらない。

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聖女の末路 緋星 @akeboshi_sora

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