179 鳳凰暦2020年7月8日 水曜日お昼頃 平坂駅前南通り『寿司・三心』(2)
実際には、平坂の大伯父さまが全て負担していたので、私にはここの値段が分からないのも事実だ。ただ、私たちの換金額で支払えないような飲食店は、高級店だったとしても存在しないはず。
うん。問題ない、と思う。私も、どちらかといえば世間知らずな方だから、あまり自信はないけれど……。
「……鈴木くんが先に来ているかもしれないから、入りましょうか」
「あ、鈴木、先に行った」
「あ、そうなの。なら、入りましょう。待たせていることになるもの」
同じ1年1組の矢崎さんがそう言うのであれば、鈴木くんはもう店内にいるのだろう。
さっきまでの話の流れもあったので、私が先頭に立って、扉を開き、のれんをくぐって中へと入った。
カウンター席に男性が2名いて……って、え?
えええっっ⁉
この人!
「みっ、陵竜也!」
「嘘っ! あ、でも本物?」
伊勢さんと高千穂さんが珍しく……もないかもしれないけれど、驚きの声を上げた。この二人が先に叫ばなかったら私が叫んでいたかもしれない。
そう。
陵竜也。現日本ランク1位のトップランカー。
下北で二度、会ったことがあるので、私は初対面ではないけれど、なぜ、ここに? しかも、カウンター席の鈴木くんの隣というのは、どういうことなの? 陵さんは鈴木くんと関係があるのかしら?
「伊勢さん。この人、僕たちの学校の大先輩だから。年上の人に対して呼び捨てはよくない」
「あ、ごめん……じゃなくて、すみません……」
鈴木くん、そこなのかしら? いいえ。もちろん、呼び捨てはよくないとは思うのだけれど……そういう問題ではない気がするのは、私だけなのかしら……?
「……ご無沙汰しております、陵さん。下北啼胤です」
私は一歩だけ前に出て、陵竜也さんに挨拶をした。彼の視線が私に向けられる。
「おー、下北家の。そういや、ヨモ高だって話だったか。え? こいつの友達なのか? マジか……」
「あ、いえ、その、友達というか……」
……私は鈴木くんの何になるのだろう? 友達ではないということは理解できているけれど……ええと、言ってみれば借金奴隷のような? もちろん、そんなことは口にできないのだけれど。
「その人は先輩でクランメンバーですよ」
「そーか。ま、学年とか関係なく組むってのも、ひとつの手だな、確かに」
「自己紹介とか、します?」
「俺が自己紹介ってのも、なんだかなぁ。ヨモ高で俺を知らないって可能性、あんの?」
「ゼロではないかも、という程度には」
「それ、ほぼねぇんじゃねぇか……って、あれ?」
陵さんが鈴木くんと言葉を交わしながら、私の、さらに後ろを見た。
「……ひょっとして、ヒロコちゃんか?」
そこには……陵さんの視線の先には、岡山さんがいた。
全員が、まるで音を立てたかのようにガバッと岡山さんを振り返った。
「……はい。お久しぶりです、タツにぃ」
「マジか……ほんとにヨモ高に入ってたとは……?」
……岡山さんは、陵さんの、知り合い? というよりも、それ以上に親しい関係のような呼び方をしている?
私は慌てて鈴木くんを見た。
そこには、珍しく目を見開いて驚いている鈴木くんがいた。
「カメリアの空港で見送ってくれたのが、最後だったな……確か、5年? 6年ぶりくらいか? 久しぶり。ずいぶんと大きくなったな」
「大きくは、まだなれてません……」
「あー、まー、あん時はこんくらいだったしな」
「そこまで小さくはなかったと思いますが……それ、人間なのでしょうか……」
手で当時の身長をイメージさせようとする陵さんと、それに少しだけ不満そうに答える岡山さん。この二人のやり取りにはどこか特別感がある。
「他のみなさんもいらっしゃるので、とりあえず座りませんか?」
そう言った岡山さんは、そのまま鈴木くんの隣で、陵さんと二人で鈴木くんを挟むように座った。
「……あ、みんなも、座って。それと、今日はこの人のオゴリなんで」
「おう。どれだけ食っても問題ないぞ」
鈴木くんがさらっと陵さんのオゴリだと宣言して、それに陵さんも同意する。
……ええと、それはどういうことなのかしら? いったい、何があったら陵さんにお寿司をごちそうしてもらえるの?
「特上にぎりはもう予約済で、あとは好きなものを注文していいから。あ、みんな、テスト、お疲れさま」
……そういえば、これはテストの打ち上げだった。テストの打ち上げ? だったらなぜ陵さんがこの場にいるのかしら? もう意味が分からないのだけれど?
私がそんなことを思っていると、高千穂さんと伊勢さんに押されて、私は陵さんの隣の席に、強引に座らされた。
伊勢さんも高千穂さんも、自分が陵さんの隣に座るのは嫌だったのかしら? 憧れているように見えるのだけれど?
座席数に限りがあるので、全員がカウンターには座れず、矢崎さんと那智さんと端島さんが小さな座敷に靴を脱いで上がり、そこに座った。
……テストの打ち上げがトップランカーのオゴリって、何か、とてつもなくおかしい状況だと思うのだけれど。
「ヒロくん、もうはじめても?」
「はい、おじさん。お願いします」
カウンターの向こうにいる大将が鈴木くんに声をかけて、それに鈴木くんが答える。
「……ヒロくんって……鈴木先生のことですか?」
「鈴木くんのイメージが……」
「ほんとに知り合いなんだ……」
「おじさんはウチの父さんの幼馴染なんだ。鈴木家のお祝いは、時々この店で行われることがあった」
「ヒロくんの誕生日とか、昔はそうだったなぁ。懐かしい。何年生だったか、『お寿司に払うお金をプレゼントの方に回して欲しい』とか言ったらしいな? お父さんがお酒、飲みながら愚痴ってたぞ? まあ、あのちっちゃかったヒロくんが自分で食べに来てくれるなんて、おじさんは本当に嬉しいよ。突然、電話もらって、おじさんもかなりびっくりしたけどね……」
そう言ってお寿司を握りながら、大将は笑った。
鈴木くん以外に、この状況が理解できている人はいないような気がしたのだけれど、それは間違っていないと思う。
当然、入店前にしていた支払の話はうやむやになった。あの……日本ランク1位で、世界ランカーでもある陵さんに、私も払います、払わせて下さい、などとは言えない。言えるはずがない。
……本当に、鈴木くんと出会ってから、何か別の世界に移動したかのようだ。
私はそんなことを考えながら、カウンターに直接置かれるお寿司にはしを伸ばすのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます