術後経過

 なくなったブーツは本当に消えてしまったかのように消息を絶ってしまった。

 あの日以来、看護師さんが朝挨拶に来るたびにブーツの話をする。看護師さんたちも同情してくれていて口々にどんな探し方をしているかを説明してくれたが、それでも釈然とする訳がない。

 むろん、自分でも探してみた。

 どうやら病院という場所は『色々なものが動き、廃棄されていくので、「無くしてすぐ」なら見つかるはずのものや、「こんなの無くしたり、捨てたりするわけないやろ」というようなものが無くなる(by 川線・山線さん)』んだそうだ。

 おそらく、僕のブーツもこういう波に飲まれて廃棄されてしまったのだろう。

 結局、僕はスリッパを履いて介護タクシーで帰宅するハメになった。


+ + +


 ところで手術後は歩行障害が劇的に改善された。

 病院の廊下でも杖なしで普通に歩ける。左足が動かなかったのが嘘のようだ。

 ある日ナースステーションの前を歩いて通った時、どうやらT医師が見ていたらしい。あとで「歩行障害は治ったみたいですね。スタスタ歩いているじゃないですか」と褒められた。

 知覚障害も劇的に改善された。

 今まではなんだかぽわんとしていたのだが、今ではそれがない。現にこうしてカクヨムに文章を書いている。これ、手術前じゃあ無理だったろうなあ。

 話していて舌がもつれることもなくなったし、言葉が見つからないということも今では特にない。

 手術後に言われたのだが2022年から2023年の冬の間、僕は随分とゆっくり話していたようだ。周りの友達はそれをウケ狙いと捉えていたのだそうだが、喋っている本人は普通の速度で喋っていると思っていたのだから始末が悪い。

 どうやら僕は半年ほどのあいだ、自覚がないままバカな人になっていたようだ。


 これらの話を総合すると、どうやら脳に障害があると時間の流れは狂うらしい。

 例えば駅で切符を買おうと思って右往左往していた時も、気がついたら10分以上経っていた。おうちでのんびりしていると気がついたら夕方になっていたし、何にもしていなくても特に苦痛は感じなかった。

 今では逆に何もしていないと苦痛を感じる。

 これが本来の僕の性格なのだろう。手を動かしていないとイライラするのだ。

 以前はそういう時には料理を作っていた。

 でも今はそれができない。お金がないから材料を買えないのだ。

 勢い、活動はカクヨムなどの執筆に限定されてしまう。身体がまだ完全じゃないからお散歩とかもできないし。そもそも目的もなくウロウロするのは嫌いだし。

 ある意味それは良いことではあるのだが……でも、ねえ。


 ところで、手術後に入院中も2回ほどシャントのバルブの調整をしてもらったのだが、これがまだ完全ではないらしい。

 退院した直後は起きているとすぐに首から頭までが痛くなった。活動限界はおそらく20分、それ以上活動していると首の痛みで頭が変になりそうになる。

 退院したのは5月の24日なのだが、首が痛くて一週間も待たずに根を上げた。

 意を決してみなと赤十字病院に電話をかける。

 本来の次の予約は6月16日だ。だが、そんなには待っていられない。相談した上で5月31日に診てもらうことになった。


 いつものように介護タクシーをお願いして、横浜市立みなと赤十字病院に赴く。

 今度は要領がわかっているので、最初に再診受付をATMタイプの機械で済ましたのち、吐き出されてきた紙を持って脳神経外科の総合受付へと向かう。

 最初にCTスキャン。その後脳神経外科の総合受付に戻り、今度は待合室で待つように指示される。

 最初のうちは椅子に座っていたが、すぐに辛くなって僕は待合室の長椅子に横になって寝そべった。人が少ないからそれくらいは許されるだろう。

 どの病院でもそうだとは思うのだが、みなと赤十字病院でも患者は番号で管理されている。各診察室には大きなモニターが備えられており、そこに次の順番の患者の番号が表示される仕組みだ。だが、それをすっ飛ばしてT医師は診察室から顔を出すと名前で僕を呼んでくれた。

 言われた通りに診察室のベッドに横たわり、T医師と話をする。

「10分以上は活動できないんです。すぐに横になってしまいます」

 寝ていると首の痛みはいずれ収まる。だが、起きているとダメだということを懇々と説明した。

「これは社会生活に支障があります。社会復帰ができません」

 僕はT医師に訴えた。

 T医師に会う前に撮ったCTスキャン画像はすでにT医師のターミナルに届いていた。そのスキャン画像を僕に見せながら、

「広がっていた脳室も狭くなっているし、脳の周りの髄液の量も正常に戻っていますね。でもなあ、10分以上活動できないのでは社会生活に支障がありますなあ」

 T医師も僕の意見に同意した。

「今はバルブのセッティングを17にしています。これをもう少し締めて19にしてみましょう。16日の予約はそのままにしておいて、その時もし症状が緩和されているようならその中間の18に設定するのが正解かな、と。CTとレントゲンの予約も入っているのでそれのチェックもします」

 その17やら19やらの値が何を示しているのかは判らなかったが、ともあれT医師は隣の部屋から調整器具(これは少し厚めの黒いアタッシュケースのようなもので、中には計器やらバルブ調整用の遠隔プローブとかが入っている)を持ってくると、僕のバルブを少し調整してくれた。


 調整の効果はすぐに現れた。以前よりも首が痛くない。それに痛みが耐え難くなるまでの時間が長くなったように思う。

 ともあれ、その日僕は意気揚々と病院を後にした。

 

 帰ってきてからは少し稼働時間が長くなった。今までと同じく、しばらくすると首の後ろが痛くなるのは変わらない。それにしても耐え難くなるのは日に数回、一日を通してずっと寝てなければならないってことはなくなった。

 とはいえ、首が痛くなるこの症状はできればサヨナラしたい。

 しばらく考えたのち、一計を案じて僕は近所の薬局で肩の痛み止めのフェルビナク・リキッドタイプとフェイタスの湿布を買ってきた。

 それを背中全体に塗ってもらって(こればっかりは自分ではできないのでヘルパーさんにお願いした)、フェイタスの湿布を貼る。

 そうしたら痛みはだいぶんおさまった。

 だが、そうしたら今度は肩の痛みがとても気になる。

 これの顛末についてはまた次回ということで。

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