お風呂とブーツ

 20日も入院しているとやっぱり身体は汚れてくる。

 そこで病院では交代制でお風呂に入れるのだが、僕はなんとなくシャワーを浴びることを避けていた。

 だってさ、頭とお腹に絆創膏が貼ってあるんだよ? 濡れるの面倒じゃん。

 そんなある日のこと。

 その日担当だった看護師の人がシャワーに行きましょうと言う。それもかなり強引に。

 俺、そんなに臭かったのかな?

 途中、

「蒲生さん、自分でできます?」

 と訊ねられたので、

「多分、無理」

 と答えたらその看護婦さんが手伝ってくれることになった。

 ともあれ、そういう訳でシャワールームを予約してもらった。


 シャワールームとは言うものの、装備は普通のお風呂場と変わらない。いや、広いぶん下手なアパートの浴室よりは数段快適度が高いと思う。

 予約時間になったところで先の看護師さんが車椅子を押しながら現れる。いつもの通りに点滴を車椅子に移動させると、車椅子はゆっくりと走り出した。

 目的は洗髪と身体のシャワーだ。

 この歳で恥ずかしいもクソもないので、シャワールームでは臆面もなく普通に服を脱いだ。そしてシャワールームの中へ。

 中には介護用の椅子がおいてあり、椅子に座った状態でシャワーを浴びることができる。

 ひとしきり身体を洗ったところで今度は洗髪。

 こうした介護のための用品は日々発達しているようで、看護師さんが専用のエプロンをして手伝ってくれる。なんだかエロいシチュエーションだが、何しろここは天下の赤十字病院。間違いが起きてしまったら即刻強制退院になってしまう。

 シャワーされながら少し雑談もした。なんでそんなにシャンプーが上手なのか(実際彼女はとてもシャンプーが上手かった)と聞いたところ、看護学校ではちゃんとそうした実習もあるらしい。

 こうして無事に病院での洗髪も終了。髪をドライヤーで乾かしてもらったらだいぶんマトモな人間に戻った気がする。


+ + +


 ところで今回の入院ではちょっとした事件もあった。

 僕の履いて行ったブーツが行方不明になったのだ。

 僕の記憶が確かなら、ブーツは病室に入った時に脱いで椅子の下に置いたはず。

 ところが手術が終わった後は違う部屋に通されている。持ち物は全部移動したと言われていたので油断した。

 どうやら、その輸送した荷物の中に靴は含まれていなかったらしい。

 入院中、僕はいつもスリッパで移動している。わざわざブーツを履く必要を感じなかったからだ。

 なので院内ではブーツがなくても特段大きな問題はない。

 しかし退院するときにスリッパというのはかなりマヌケだ。靴がないということは受け入れがたい。


 そんなある日のこと、リハビリのトレーナーから靴を履くようにと指示された。聞けば院内だけではなく屋外(とは言っても病院の庭だけど)でも歩行訓練をしようということらしい。

 ブーツ行方不明事件はその時に発覚した。

 ブーツが見えるところにないためそれまでも若干不安には思っていたのだが、物入れの棚とかを見てもブーツは置かれていなかった。

 慌ててベッドの周りを探してみる。

 だが、病室の僕のエリアのどこにもブーツは置かれていなかった。

 僕のブーツはウォルヴァリンというアメリカのブーツメーカーのサブ・ブランドであるBates社が作っている高級品だ。Batesはコンバットブーツを専門に製造している会社なのだが、定評があってアメリカ軍やPMC(民間軍事会社)が贔屓にしている。

 まあアフガニスタンやらイラクやらの戦闘に参加しない僕としては別段ミリタリーブーツでなくてもいいのだが、ここのブーツはとにかく履きやすい。中には斜めになったディスクが内蔵されていて(これはICSシステムと呼ばれ、路面や足の状況に合わせてクッション性能を調整できる。これを装備している靴はBates以外にはないと思われる)、これを回転させることでO脚にもX脚にも対応できるという優れもの。

 しかも外側はゴアテックスに似た独自の防水素材が使われており、例え水たまりの中に足を突っ込んでしまったとしても浸水する恐れがない。

 サイドジッパーを装備していて履きやすいこのブーツはもう2年以上履いている。ついでにいうとその先代も同じブーツだ。3年履いて靴底がすり減ってしまったので買い替えたのだが、それだけ気に入っているということなのだろう。

 すぐにナースコールし、その日担当の看護師さんにブーツ行方不明事件を伝える。看護師さんが手配をしてくれたおかげで病棟全体に通知が流れたらしい。自身もベッドの下に潜り込んだりしてブーツを探してくれている。

 しかし、そして靴は見つからなかった。

 結局その日は屋内でリハビリを行い、不安を感じながらも就寝した。


 翌日、6A病棟の師長さんが僕を訊ねてきた。

 病院内の遺失に関しては基本的には病院は責任を負えない、しかし見つけるように努力するとのこと。

 そりゃそうだろう。履いてきた靴が行方不明では帰るに帰れない。

 僕は靴がなければ帰れないと彼女に告げた。

「そうですよね。頑張って探します」


 すぐに僕の靴を探す大捜索が始まった。

 日勤と夜勤の看護師が交代するのは午後の5時。その際に必要な引き継ぎが行われるのだそうだ。ちなみにこの6Aという病棟には総勢で40人近い看護師が勤めている。なので、そのお集まりの際にブーツ行方不明事件が通達され各員は目ぼしいところを片っ端から探すようになった。

 ブーツ行方不明事件は医師にも伝えた。

「靴がないと帰れないですよ。スリッパはありますけど、これで帰るのはちょっと……」

「そうですよね。みんなで探すように伝えます」


 しかし、何日待ってもブーツは見つからない。

 僕が困窮していることもあり、週末には大捜索作戦が実行された。

 それぞれの看護師が担当している病室を隅から隅まで探すのだ。

 一方、僕が手術中に荷物を運んでくれた看護師さんたちにも聞き取りが行われた、らしい。

 だが、彼女たちの言い分はブーツはその時にはなかったというもの。

 ともあれ6A−13病室はかなり徹底的に捜索された。しかし、誠に残念なことにそれは空振りに終わったらしい。6A−13からも、あるいは移動先の6A−26病室からもブーツはブの字も見つからなかった。

 あれだけ大きな靴だ。

 通常なら行方不明にはならないと思うのだが。


 また買えばいいじゃんって過去の僕なら思ったかも知れない。しかし、今の僕は金欠だ。3万円近くするブーツはおいそれとは買い替えられない。

 ついでに言うと僕の履いていたBatesのデルタII、コヨーテカラーは今は中田商店でも品切れなのよ。

 中田商店にないということは、ひょっとしたら廃盤になってしまったのかも知れない。


 そして今日現在(6月15日)、みなと赤十字病院からブーツが見つかったという知らせは未だにない。

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