福祉

 退院してからの一ヶ月の記憶は極めて希薄だ。

 3月31日に退院して4月21日に再び診察。再入院日は4月21日の診察に決められると退院時に聞かされた。

 実は5月8日に再入院するのだが、4月21日までの間そのことは知らされていない。実質、約40日は自宅で普通に? 生活していた。


+ + +


 ところで友人は僕がぼんやりしている間もあっちこっちを駆け回ってくれて医療関係の手続きやら生活保護の手続きやらをせっせと進めてくれたようだ。こればっかりは本当に感謝している。それがなければ、ひょっとしたら僕はもう死んでいたかも知れないから。


 そんなある日のこと。いつのことなのかは本当に思い出せないのだが、その日ベッドで寝ていた僕は横浜市立みなと赤十字病院の退院支援係だという女性の訪問を受けていた。

 そこで体調やら今後の生活やらを簡単に相談してその日は解散。

 数日のち、今度は退院支援の女性と共に磯子区役所の職員さんが僕のことを訪ねてきた。

 名前がないのも変なので磯子区の生活支援課の職員さんのことは今後♂Aさんと表記する。

 ♂Aさんの服装は平服だった。ネクタイ姿ではなく、黒いズボンにカラーシャツ姿。しかもカバンはミステリーランチ(アメリカのDパックメーカー)のスリムなDパック。

 ♂Aさんはかなりの長髪(肩にかかるくらい)で、それを後ろでまとめてポニーテイルにしていたと記憶している。大学ですら稀な長髪だ。とても区の職員とは思えない。


 病院の会議室のテーブルに3人で腰を下ろす。退院支援係の女性(どうやら取りまとめをしてくれていたらしい)の右隣に座った♂Aさんは簡単に自己紹介すると、どこかぽやんとしている僕に対して今後考えられる国からの支援体制を簡単に説明してくれた。

 要するに生活保護と介護保険の仕組みの説明だ。特に生活保護を受給している場合、医療費はタダになる。まずは生活保護の手続きを行うと♂Aさんは言ってくれた。どうやらそれが切り札のようだ。

 生活保護を受ければ医療費は国から支援を受けられる。

 思考力の衰えた僕にとってもその申し出は非常に魅力的だった。

 ただ、これは本当に申し訳ないのだが、それ以外に何を話したのかはよく覚えていない。

 なにしろ脳が機能していないのだ。人の名前すら5分も覚えていられないのに、それ以外のことが記憶に残るわけがない。

 ともあれ、♂Aさんが差し出した数葉の書類にサインして♂Aさんが帰るのを見送ったのちも僕はのんびりと過ごしていた。


 ある意味、脳が機能していない生活は楽だとも言える。

 脳が機能していない以上、想像力もまるでない。想像力がないから先のことも特には心配していなかった。

 知覚障害が起きていると時間の経過が曖昧になるというお話は先にしたと思う。

 これは要するに退屈しなくなるということだ。

 そのため、僕は特にテレビを見たいとは思わなかった。

 ただただベッドに寝そべり、ぼんやりと天井を見つめる。

 あるいは午睡。

 6時を過ぎたあたりで夕食。美味しく夕食を頂いた後はデイケア・ルームをぶらぶら訪れテレビを観る。

 自室で観るとお金がかかるからね。


 どうやら脳がろくすっぽ機能していなくても社会性というか社交性は死なないものらしい。

 デイケア・ルームにはいつも同じおじさんがいて、食後はのんびりとテレビを眺めていた。そのおじさんの病名は知らない。でも、赤いバンダナをいつも頭に巻いていたそのおじさんは入院生活が長いようだった。

 僕はいつの間にかにそのおじさんと仲良くなり、お互いに挨拶を交わす仲になっていた。

 食後にデイケア・ルームを訪れてそのおじさんを探すのがいつものルーチン。おじさんがいれば向かいに座るし、いなければ一人でテレビを9時までなんとなく眺める。

 観る番組はランダムだ。野球を観ることもあったし、クイズ番組やバラエティ番組を観ることもある。

 よく観ていたのは高校野球の春の選抜かな? あとはエンジェルスの大谷選手の試合。なんでもないテレビ番組も結構観たな。タクシーの運転手さんに近場の美味しいお店に連れて行ってもらう番組は楽しかった。

 あとは富山の山奥で30年以上一人で暮らしているおじさんのドキュメンタリー。これはなんでか心に残っている。

 あのおじさん、まだ生きているといいんだけどなあ。

 僕の自宅にはテレビがない。だから、テレビをぼんやり眺める習慣も持ち合わせていない。

 しかしこうやってぼんやり眺めていると、頭を使うことがないのでなんだか心地良い。高校野球とか最高にのんびりする。一応クライマックスもあるし、勝負でもあるのでなんだか最後まで観てしまう。


 そうこうしている間にも僕の退院の準備は着々と進んでいたらしい。

 退院日には介護タクシーが来てくれたし、家では♂Aさんをはじめ介護をしてくれる人たちが出迎えてくれた。

 退院したその日に来てくれたのか、それともちょっと後になったのかは判然としないのだが、ともあれ僕の介護体制はとりあえず:

 ・区役所の生活支援課の♂Aさん

 ・区役所に雇われている、ヘルプマネージャーの♂Sさん

 ・福祉の森(介護タクシー)

 ・スマイルサポートという会社のヘルパーさん軍団(最初は一人、今では三人体制)

というふうになっているらしい。


 今、一番良く接触するのはヘルパーさん軍団だ。ヘルパーさんたちは全員が同じ会社に所属している。毎日約一時間来てくれて昼食と夕食を作ってくれる。介護保険の範囲内での活動なのでやってくれることは限定的だが、少なくともお買い物や簡単な掃除はしてくれる。

 ♂Nさんがヘルパーさんたちの取りまとめ、他のメンバーは♀Oさんと♀Sさん。

 ♀Oさんと♀Sさんは女性でとても親切だ。作ってくれる食事も♂Nさんの食事に比べると手が込んでいるような気がする。


 それにしても、と思う。

 これだけ日本は福祉が充実しているのにこれを知っている人が非常に少ない。ちゃんと扉を叩けばなんらかの反応はあるはずなのに、そもそも扉があることすら知らない(実は僕も良く知らなかった)のは若干問題だと思う。

 こういう重要なことを社会、ないしは保健体育の授業とかで教えないのだろうか?

 保健体育は小学校か。

 尤も、小学生の頃にそんなことを聞かされても覚えている人はほとんどいないのかも知れないなあ。

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