第15話 クロエ王女の物語

「クロエ様、侯爵様がいらしています」

 

 神殿の庭の薬草園にいた私を、ベルが呼ぶ。


「わかったわ。少しだけ待っていただいて」

 

 そう言って私は地面に置いていた薬草を入れた籠を手に持って、足早に建物の中に入った。籠を厨房にいた神官に手渡して、廊下を急いで歩く。

 もうあれからひと月が経った。ベルもミーナも、この神殿の治療院で私と一緒に働いている。


 あの後、私は王宮を去り、侯爵に連れられてフェザード領の神殿に来た。ずいぶんと時間は空いていたけど、懐かしの我が家のような気分だ。

 私の部屋も綺麗に掃除されており、前世の時の持ち物もきちんと残されていた。日記や書き記した書物も本棚に並べられていて、研究に使っていた道具類もそのまま残されている。

 治療院ですぐに働き出した私に神官達も少し驚いていたけれど、代々の聖女がそうであったように、私も神殿での記憶が残っているのだと皆わかっているようだった。

 

 レオは夜に私のもとを訪れては朝には帰ってゆく。日本の平安時代の通い婚みたい。だから夜の間は、私の部屋がある棟には絶対に誰も近付かない。レオが人型になれる事を知らないみんなは、相変わらず領の守り神であると認識すると同時に、魔獣として恐ろしさも感じているようだった。

 実はもの凄いイケメンなのでお披露目できないのが勿体ないのだけれど、彼は他の人間に姿を見られるのを嫌う。だから、ベルですら彼を魔獣だと思っている。

 レオン、と呼ぶと嬉しそうに抱きついてくるところは、可愛い猫の時のままなのだけど。また再び一緒にいられるようになって、私はやっと幸せを手に入れた。

  

  

  

 客人との面会に使われる部屋に着くと、そこには王宮でいつも見ていた時よりも幾分ラフな格好をした侯爵が待っていた。彼は私を見ると、いつものように深々とお辞儀をして挨拶する。

 

「王女様、何も御不自由はありませんか?」

「ありがとうございます。おかげさまで毎日有意義に過ごしています」

「リカード王子が王に即位される事が決まったそうですよ」

「そう、良かったです」

 

 あれから父王は、いつ魔獣に襲われるかと怯えるようになり、寝室に籠って出て来なくなったと聞いていた。いよいよ臣下達に見捨てられたのだろう。王太子のリカードが意外としっかりしていたようで良かった。

 

「リカード殿下から手紙を預かっています」

「まあ、お手紙?」

 

 侯爵から受け取った手紙を開いてみると、そこには父王が政務をとれないほどに弱ってしまった事と、私をずっと離宮に追いやり最後も守れなかった事に対する謝罪の言葉が綴られていた。

 

「殿下は私にこうおっしゃれていました。『王女はもしかして、わざとスリム王国との手紙を見つけさせたのではないか』と」

「侯爵様は何とお答えしたのですか?」

「王女様は初めからこの国の為に尽くすことを考えておられました、とお答えしました」

「あら、本当にそう思うのですか?」


 私は少し意地悪っぽく言ってみる。侯爵にはあの時手紙で私の意図までは詳しくは伝えなかった。彼は全てを察して動いてくれたのだ。


「私にこの計画を手紙で送ってきた時から、王女様は他国へ嫁ぐことはやめ、神獣と共にこの国を護られるおつもりなのだなと思いました。ですから、リンドール公国のレブロン公王も自ら動くとおっしゃられて」

「うふふ、それは侯爵様がレブロン様を脅されたからでしょう?スリム王国側についたら金獅子レオが暴れるぞ、と」

「実際、レオは王女様の危機に飛んできたではありませんか。あの場で獅子が脅しのみで立ち去ったのは貴女が止めたからではないですか?でなければ、私達は今生きていなかったと思います。神獣は聖女を守護します。しかし、聖女以外には非常に冷酷です。主を虐げた者を生かしておくほど寛容ではないので」

 

 私は笑って、そこまでレオは分別なく襲わないわ、と伝えた。

 レオを呼んだのは、彼が姿を見せるだけで目的は果たされることがわかっていたから。人の言葉を話せるほどの神獣に、敵う者などいない。神の使い、ごく一部の特別な獣の証だ。

 

「本来であるなら早くこの地に貴女をお迎えできなかった私も、獅子に喰い殺されていても不思議ではありません」

「もう、侯爵様は。レオは魔獣ではないのよ。そんなに怖がらなくても大丈夫」

 

 たしなめる私の言葉に侯爵は、それは王女様がルゲルタの聖女だからです、と力説した。なんだかとっても真剣に言うので、私は別の話題を振ることにした。

 

「そういえば、スリム王国の軍はどうなりましたか?」

 

 私がフェザード領に来るとすぐに、侯爵は国境に向かわねばならなくなった。 

 私が囚われた時点で、スリム王国は侵攻を企んでいた事がブルセナ王国側に知られたとわかったはずなのだが、どうもそのまま戦争を止める気はなかったみたいなのだ。驚いたのだけど、まあ私の事など関係なかったという事だろう。いずれこの戦争は起こりえたのだ。

 フェザード領の国境付近で両国の軍隊がぶつかったと聞いていたが、どうなったのだろうか。侯爵がここにいるという事は、結果は予想出来るのだけれど。


 すると、侯爵は更に青ざめた顔で私に尋ねた。

 

「王女様、神獣からお聞きになられませんでしたか?」

「はい?」

 

 なぜレオが出てくるの?

 

「まさに一撃でした。戦場に獅子が現れ、たったひと吼えです。空から無数の雷がスリムの軍に降りそそいで、我々もとても目を開けておれないほどの光で……あちら側は壊滅です。あれはもう二度と来ないでしょう」

「まあ……そう……」

「我等は何もせぬままに勝利致しました」

 

 レオは雷の神ルゲルタの従獣だったものね。そりゃあ怖かったでしょう。私は魔獣とも戦ってきた歴戦の辺境伯であるフェザード侯爵が、やたらとレオを怖がっていた理由がやっとわかった。


「王女様はスリム王国の侵略から我が国を救ったと、そう殿下にお伝えしております」

 

 私、レオにそんなこと頼んでいないのだけど。これは最後の後始末を代わりにしてくれたのかしら。きっと『ご褒美』をたくさんねだられるわね。

 今夜は寝かせてもらえないかもと思いながら、私は薬草園からまたたびでも準備しておこうかと企んだ。うちのにゃんこは愛が深すぎるうえに絶倫なのだ。

 ヤバくなったら酔わせてしまおう……。

 

 

 

 

    **********


 

 

 

 さて、と私はペンを置いた。

 思い出したクロエ王女のエピソードはこんなものだ。物語に仕立てるにあたって、クロエの名前はどうしよう。このまま書いたら王家への不敬罪で捕まるわ。リカード王子も変えておかないと。

 

 リカード王子といえば、宮殿にクロエの肖像画を飾ったのはリカード王子だろうな。あの人、妙にクロエを気に入っていたから。

 宮廷書記官にお兄様がいるアリシア様に聞いたところでは、クロエは政略結婚を嫌がって魔獣を呼んだということになっていた。これも多分彼がクロエが罪人と言われないように庇って書かせたのだろう。

 

「なんだかんだあったけど、いい兄だったのかもね」

 

 背後でベッドメイキングをしてくれていたリリアーナさんがきょとんとする。

 

「ノア様、お兄様がおられたのですか?」

「うん、昔ね」

 

 昔?とリリアーナさんは更に怪訝な顔をする。

 

「リリアーナさんはフォンゼルさんと仲はいい?」

「仲がいいとは言いませんが悪くはないですね。癖の強い兄ですが、悪人ではないと思います」

「兄妹もいいものね」

「まあ、そうですね」

 

 腑に落ちない顔をしたまま、リリアーナさんは枕をぽんぽんと叩いて形を整えた。

 

「ノア様、もうお休みになられてください。明日は大切なお式なのですから」

「はい、そうします」

 

 私は気持ちよく整えられたベッドに入った。

 明日はいよいよ結婚式なのだ。

 よく考えたら奏の時から一度も式なんてしていない。

 ドキドキするのを抑えながら、私は眠りについた。

 

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