第9話 歓迎しない訪問
「リカード殿下が?また?」
ミーナの来客の知らせに、私は思わず嫌そうな声を出してしまった。あのお兄さん、新年の祝賀会以来、頻繁に私の宮を訪ねてくるようになったのだ。一体どういう風の吹き回しやら。
それに何故か服やら靴やらを手土産にやってくるので、こちらとしても断りづらい。後からお礼を言いに行くくらいなら、会ってその場で礼を言った方が早い。
「また何か持って来てるの?」
「はい。珍しい本が手に入ったとかで」
「んもう、仕方ないわ。通して」
「かしこまりました」
少ししてリカード王子がミーナに案内されてやって来た。
私はソファーから立ち上がり、
「まあ、なんだ、元気なようで安心した」
「ありがとうございます。ところで殿下、どのようなご用件でこの宮殿のはずれの宮にいらしたのでしょうか」
「いや、俺の宮に古い異国の本を持って来た者がいてな、侍女の話によると王都の女性達に大変人気がある作家の本だというのだ。しかし、俺が女向けの本を読むわけにもいかないし、病弱なお前の退屈凌ぎに良いのではないかと思って持って来たのだ」
そう言って彼はソファーに座り、私に革で表装された分厚い本を差し出した。私はあんまり興味ないなと思いながらその題名をチラリと見て、『なぬ?』と驚いて二度見した。
これ私が前の人生で書いた物語だわ。へー、今でも残っていたのね、これ結構濃いBLなんだけど。
びっくりして凝視していたら、リカード王子がその本を私の手に乗せて来て、そのまま受け取ってしまった。仕方ないので嬉しそうにありがとうございますと言ってから、諌めるように言葉を続ける。
「以前申し上げたように、私は殿下の妹とはいえ役立たずの身。あまりここへいらしては陛下も王妃様も良い顔はされないと思います」
「そのようなことはない。陛下も母上もお前を無下にしすぎだ。仮にも王女であるというのに」
「陛下は……前王妃の不義を疑われておりますゆえ」
しかたありません、と答える私になぜか彼はうわずった声で言う。
「俺は気にしない。その方がむしろ……いや、何でもない」
「殿下?お顔が赤いのですが、どこかお加減が悪いのでは?」
「い、いや、大丈夫だ。気にするな」
全然大丈夫なように見えないんだけど。首を傾げる私の前で、彼はそそくさと立ち上がった。
「とにかく、俺はお前の味方だ。苦しい時は兄を頼れ」
「はあ……ありがとうございます」
良かった。今日はさっさと帰ってくれたわ。
ふうと息をついていると、ミーナがうきうきしながら本を見ている。
「どうしたの?読みたいの?」
「違います!いえ、私も読んでみたいなと思いますけど、そっちじゃなくて殿下の方です」
「え?リカード王子がどうかした?」
「もう、クロエ様、鈍すぎです!殿下、クロエ様のこと好きになっちゃったんですわ」
「やめてよ、ミーナ。兄妹でそんなのないわ」
「いいえ、ミーナにはわかります!あれは絶対恋です」
本を胸に抱きしめてミーナが断言する。
ちょっとやめてよ、この忙しい時に。
ほぼ他人の兄妹だけど、ゾッとするわ。
「勘弁してほしいわ」
そう呟くと、部屋に入って来たベルが『何のことです?』と不思議そうにミーナと私を交互に見た。
*********
はてさて、こんなところまで来て原稿書いていた私だけれど、夜の診療所は寒いわ。毛布をガウンがわりに羽織ってペンを置いて立ち上がる。
少し病室を回ってこようかしら。
昼間に掃除と消毒の済んだ病室は清潔さを取り戻し、放電を続けたおかげで空気も綺麗になった気がする。匂いもしなくなったので、患者さん達も気持ちがいいだろう。
リリアーナさん達はギリアド所長さんの案内してくれた宿舎で寝ている。私は一人、じゃなくて護衛騎士さん達もいるけど、診療所の一室で休むことにした。
レオン、どうしているかな?この調子なら早く帰れそうだし、喜ぶかな?
窓の外を見ると庭の木が大きく揺れて、風が強くなっているようだった。
「あのう……聖女様、まだ起きていらっしゃいますか?」
窓の外を眺めていると、私の部屋に所長さんが訪ねてきた。
「起きてますよ。どうされました?」
寝るにはまだ早い時間だけど、何の用事だろう。カーティスさんがキリリと背筋を伸ばしているところを見ると、どうも誰か来たようだ。
「どなたかいらしたのですか?」
「はい」
所長さんの後ろに誰か立っている。私は部屋へ入るよう伝え、診察用の椅子を奥から持って来て準備しようとした。
「いや、構わん。少し寄っただけだ」
そう言って入って来たのは、グレイの髭をたくわえた四十歳くらいの男性だった。威厳のある風格と厳しい目付きを見るところ、誰かはすぐに想像ができる。
「リブル伯爵様、でしょうか」
「そうだ」
やっぱりね。
私は両手を組んでお辞儀をする。
「フェザード侯爵様のご命令により治療師団に参加しております。エレノアと申します」
「そなたがフェザードの聖女か」
「『聖女』と呼んでいただいてはおりますが、ただの魔術師でございます」
「ディロン伯爵の令嬢が魔術師?」
「フェザードの聖女は代々魔力を持っておりますので、この度は私が選ばれましただけでございます。それに父は亡くなり爵位も返上しております」
リブル伯爵はルゲルタの聖女についてどこまで知っているのかしら?
レオのことは領外には秘密になっているはずだけど、リブル伯爵はフェザード侯爵家とは親戚関係にあると聞いている。どこからか聞いているかもしれない。
用心しながら淡々と答える私に、伯爵は重ねて質問する。
「フェザード領民にとって神殿の聖女とは守り神のような存在らしいな。レオン卿がそれを手に入れたと聞いていたが、なるほど見事な手腕だ。一日で荒れていたこの治療所を整備してしまった」
「私と共にきた治療師団の皆のおかげでございます」
「ギリアドから水道工事を提案したと聞いたが」
「今回の流行病は初め食事から、そしてその後は患者の排泄物を介して広がっています。下水処理の方法を変える必要があるかと。上水についても、下水が流れ込む川から取水しないように井戸を掘ってはいかがかと思うのですが」
「それで今後広がることはないのか」
「この感染症については効果的だと思います」
アルコールが効果ない時の熱処理の仕方なんかも必要だけど、まあ環境整備が一番だと思う。すでにフェザード領では行われていることだ。
「リブル領にはどのくらいの期間滞在する予定だ?」
「七日ほどを予定していましたが思ったより早く治まりそうですので、治療所の人員が集まり次第、日を切り上げて帰ろうかと考えております」
伯爵はふむと顎髭を撫でて考える素振りを見せた。
「明日、私の城に来るように」
「はい?」
「わかったな」
有無を言わさぬ
「聖女様……私たちも同行いたしますね」
「うん。お願い」
カーティスさんが眉をひそめてそう言ってくれたので、嫌な予感がする私は頷いた。
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