第7話 前世スキルのおかげです

「陛下、少し皆様とお話しして来てもよろしいでしょうか」

「話?そなたがか?」

「はい」

 

 貴族達の一通りの挨拶が終わり、怪訝そうにする父を置いて私は席を立ち壇上を降りた。広間の隅にいたフェザード侯爵がちらりと私を見て、フイと後ろを向き遠ざかってゆく。かわりに彼のそばにいた男性がこちらへ歩いてくるのが見えた。

 今年は近隣の国から留学していた王子が数人再訪している。歩いてくるのはそのうちの一人、リンドール公国の大公の後を継いだレブロン公子だ。いや、今はもうリンドール大公と呼ぶべきだろう。彼は私の前まで来るとうやうやしく胸に手を当てて礼をし、私に空いた手を差し出した。

 

「王女様、一曲踊っていただけませんか?」

 

 後ろからついて来ていたらしい、リカードが私に差し出されたその手を遮る。

 

「レブロン、すまないが遠慮してくれないか」

「リカード王子」

「王女は身体が弱く、あまりこういう会には参加しない。ダンスも踊ったことが……目立つことが嫌いなのだ」

 

 暗に踊れないと伝えているのだ。ただでさえ病弱と言われ離宮に閉じ込められた王女に、ダンスの教師などついたことはない。しかしまさかそのような事があるとは、他国の王には思いもよらないだろう。

 もしかしたらリカードは本当に私を助けるつもりだったのかもしれない。だが、私は気付かないふりをした。今の私にとっては余計なお世話だ。

 

「そうですね。母方の国の血を強く受けてしまったせいで、このような場でこの姿を皆様の前に晒すのも心苦しく思っています」

「とんでもない。夜色の髪に月の雫を集めたような金の瞳がなんとも神秘的です。誰が貴女のこの美しい姿を厭うと言うのです?」

 

 大公は首を軽く傾げ、私の手を取りその爪先に口付ける。

 リカードは片方の頬を歪めて私達から目を逸らした。

 

 リンドール公国はスリム王国の西隣に位置する国で、奏の世界でいうところの中東のような文化の国だ。金髪碧眼の多いブルセナ王国では私のような黒髪は珍しい方だけれど、リンドール公国はヨーロッパとアジアの混ざった感じで、長身で黒髪の人が多い。自国人と似た私の容姿を悪く言えば、それはすなわち公国の尊厳を傷つけるも同じ。色味が似ていないというだけで私を蔑むことへ、大公は牽制したのだ。

 声が聞こえていたであろう貴族達が、私についてのそれまでの噂話を遮るように扇で口元を隠した。

 

「お話だけでも。シャンパンを持って来ます」

「いいえ、踊りましょう?せっかくのパーティですから」

「クロエ?」

 

 焦ったようなリカードの声を背にして、私はにっこりと笑みを返す。


 過去の人生では貴族だったこともあるし、旅の劇団に生まれたときは踊り子をしていた。この身体では慣れていないが、コツさえ頭でわかっていれば踊れない事はない。

 

「参りましょう、王女様」

 

 立ち尽くすリカードを置いて、大公は私の手をひく。すれ違う貴族達が一様に振り返り、ザワザワと私の事を噂しているのであろう視線を感じながら、真っ直ぐに前を見据えて用意されているホールの中央へ歩く。

 すぐに軽やかな音楽が始まって、私達は奏でられる曲にのって踊り始めた。

 

 踊り始めてすぐ、周囲から驚きと溜め息のような声があがるのが聞こえてくる。

 

(あのドレス、踊るととても映えるわね)

(なんて綺麗なの)

(大公は婚姻相手を探していると聞いたが、もしや?)


 踊りながらふと見えたリナリア王妃の顔がゆがんでいる。どうして踊れるのかと思っているに違いない。

 私は唇に笑みを浮かべてドレスの裾を靴で蹴り更に舞う。

 

 ステップを踏むたびに靴のビジューがキラキラと光る。大公の周りをくるりと回ると、ドレスの裾がふわりと広がって金糸の刺繍が紺の布の上で輝いた。

 彼のリードがとても上手くて、複雑なステップも身体が軽くなったようにトントンと踏める。

 

「大公閣下」

「レブロンとお呼びください」

「レブロン様、お上手ですね。初めて踊る相手なのにこんなにぴったり合わせられるなんて、私とても楽しいです」

「王女様がお上手なのですよ。まるで羽根のように軽い」

 

 大公が伸ばした手の先でくるくると私の身体を回す。再び抱き寄せた腕の中で、彼は私の耳元に顔を寄せ小声で囁いた。

 

「侯爵から話は聞きましたが、本気で求婚したくなりました」

「私のような小娘に?」

「貴女は魅力的な淑女ですよ。外見だけでなく、不思議と大人びていられる」

 

 大公は鋭い。人の上に立つだけあって、さすが人を見る目に優れているようだ。

 彼の緑の瞳を見つめると、優しさの中に為政者特有の物事の奥底を見通す光がある。

 

 彼には見えているのだろうか。教師がいなくても作法はベルが教えてくれたし、書庫だけは自由に出入りを許されていたから必要な知識は本で全て勉強した。しかし、それ以上の経験を私は持っているという事が。

 

「スリム王国のジェランという者が貴女を訪ねることになっています。母君の乳兄弟と言えば貴女の侍女はわかるでしょう」

「スリム王国はやはり動くのでしょうか」

「……はい」

 

 この国内で後見もない王女に価値はほとんどない。だが、私はあの国の王族の血をひいている。


「貴女の計画をお手伝いいたします」

「そう……」

「利用していいのですよ」


 私はクスリと笑った。

 

「ありがとう。お願いしますわ」

 


 

    

       *********

 

 

 

「聖女様、薬はこれとこれでいきますか?」

「ですね。それでいきましょう。手が空いている人達で粉にしていてくれませんか。私、今からだいぶん時間がかかるので」

「わかりました」

 

 グラッドさんが木の枝と根っこのような薬草をみんなに手渡していると、所長さんがよいしょよいしょと言いながら、水の入った大きなかめと塩を詰めた瓶を乗せた台車を押して来た。

  

「塩と水を用意しました」

「ありがとう。綺麗な塩ね」

 

 リブル領は平民が新鮮な海産物を気軽に食べられるくらい海に近いので、塩は質も良く豊富だ。フェザード領も塩はほとんどリブル領から仕入れている。


「聖女様、これをどうするのですか?」

「消毒剤になるものを作るのよ」

「酒精を、ですか?」

「いいえ、アルコールは効果がないみたいだから、次亜塩素酸水を作るの。これでね」

 

 そう言って私は、テーブルの上にフェザード領から持って来ていた道具を置いた。


「ガラスの容器と炭?」

「そう。頼んでいたのが届いたから持って来ていたのよ」


 次亜塩素酸水は次亜塩素酸ナトリウムとは違って正確には消毒剤ではないのだけれど、殺菌効果はちゃんと証明されている。

 海水を電気分解して船に取り込む海水の微生物繁殖を予防したり、牡蠣を洗浄して鮮度を保持するのにも使っているのだ。

 

 奏が学生の時に、学校の化学クラブで作った事があるので覚えている。

 アルコールは蒸留する必要があったから道具も手間もかかるので、神殿の治療院を作った初期にはこれで消毒していた。

 理科実験室の道具に比べるとそんなに良くはないけれど、これで出来ることはこれまでの神殿での実験で実証済みだ。隔膜の代用とする紙の質も色々試してこれで良いのはわかっている。話を聞いた時に感染症だとわかっていたので、製造に使う道具を準備していたのだ。

 

 これまでの実験で塩はだいたい0.2パーセントになるように溶かす。それをガラス容器に注ぎ込んで、真ん中に厚い紙を入れて二層に分ける。左右それぞれに炭の棒を突っ込んで、両手をそれぞれに乗せた。

 

「窓は全開にしていてね」

 

 塩水を電気分解すると塩素ガスと水素ガスが発生する。水素は火気があると爆発するし、塩素は有害だから吸い込んでよいものではない。

 

 身体の中の魔力に流れをイメージする。右手から左手に、水の中に流れてゆくように。

 力を加減しながら炭の棒に電気を流す。私の髪がふわふわと浮き上がっているのを感じた。


 みんなが見つめている中、ほどなく双方の炭からブクブクと気泡が出始めた。

 激しく泡が出ている方が水素ガスだ。塩素ガスの方は炭の表面に泡がついているがさほど上まで上がってこない。水素ガスは飛んでいってなくなるけれど、塩素ガスは水に溶けて次亜塩素酸水になる。

 

「このくらいでいいわね」

 

 しばらく経って私は流していた魔力を止め、用意していた茶色い瓶に出来た水をすくって入れた。

 これで消毒剤が出来上がった。


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