第6話 経験は役に立つものです
神殿から派遣された治療師団は私を入れて七名。その中には一行の代表を任されたジェフさんとグラッドさんもいた。カーティスさんとアルドリックさん達護衛の騎士も二名付いて、私の為にリリアーナさんまで来てくれて総勢十名。
リブル領に入った私達は、公立の診療所に迎え入れられた。
「リブル伯爵コンラート様よりこの診療所を任されております。所長のギリアドと申します。フェザードの治療師団の皆様、どうぞよろしくお願いします」
白髪でふくよかな体型のおじさんのギリアド所長さんは、それから私を見てうやうやしく頭を下げる。
「特別に神殿の聖女様にもお越しいただきありがたく思っております。後ほどコンラート様もご挨拶に参られるとおっしゃっておりました」
「それはどうも……」
私、ただのお手伝いだったはずなんだけど。誰よ、聖女が行くなんて伝えたヤツは。
横をジロリと見ると、ジェフさんがふるふると小さく首を横に振る。
リリアーナさんがこそっと耳打ちしてくれた。
「申し訳ありません。おそらく兄が伝えたのだと思います」
「フォンゼルさんが?」
領主の相手なんて面倒なだけなのに。
まあいいわ。ここの状況確認が先よ。
「早速ですが、病室をまわらせていただいてよろしいでしょうか」
ジェフさんが私の顔を横目でうかがいながらそう言うと、お願いしますと所長さんは案内してくれた。
この診療所には、街の薬局では手に負えないと判断された人達が運び込まれている。
貴族の侍医も務める医師達が治療にあたっているというが、十人ほどが寝かされている病室に入った私は、そばに所長さんがいるにもかかわらず口に出してしまった。
「思ったよりもひどいわ」
枕元の机に盥を置いているのは、嘔吐の時用だろう。
それでも間に合わずに汚れたシーツのままのベッドがある。
それに自分でトイレに行けないのだろう。
汚れた布がまだ部屋の隅に残されていた。
「ううっ、すごい匂いだな」
グラッドさんが口を押さえてうめいた。
手厚く世話ができているようには到底見えない。
案内してくれたギリアドさんは眉間に皺を寄せて説明してくれた。
「
有効な消毒剤がなくこの有り様では、看護者に感染者が出ても無理はない。
「この病は以前から数年おきに秋から冬にかけて流行ることがあったのですが、今年は薬草も少なくて困っております。比較的体力がある者は数日で何事もなく回復するのですが、ここにいるような老人や子供・病弱な者では衰弱し亡くなる事もありますので」
ベッドに寝ている老人に近付いて顔を覗くと、肌も唇も乾いている。
目も落ち窪んで数日間はまともに食事もとれていないように見えた。
患者の脈をとりながらグラッドさんが尋ねる。
「主な症状は?」
「はげしい嘔吐と下痢、身体の痛みを訴える者もいます。まれに熱が出ている者も」
嘔吐と下痢。
アルコールが効かない。
思い当たるものがあって、私はギリアドさんに聞いてみた。
「感染者が特定の店で飲食していたという情報はありますか?」
「初めの頃に、ある居酒屋で飲食した十数人が嘔吐の症状で治療所に来ました。薬を飲ませて様子を見て、全員が二、三日で回復したのですが、それ以降バラバラと複数の患者が出て来まして。どんどん増えて今では町中に広がっています」
「その店は?」
「すぐに営業は停止させました」
食中毒であればその店に手を入れないと広がり続ける。
「良い対応ですね」
にっこり笑って見せると、ジェフさんが私の方を見る。
「聖女様、原因がわかったのですか?」
「だいたいは」
「ノア様、どうされますか?」
「とりあえずはこの診療所がきちんと機能するようにしないと」
リリアーナさんの質問にそう答えて、私はギリアドさんに向き直る。
「人手が必要です。領主様に頼んで人を集めてください。怖がっている人には、感染しないようにするので安心するようにと伝えてください」
「わかりました」
「人が集まるまでは私達でここの人たちの看護をしましょう」
脈をとっていた手を離して、グラッドさんがみんなに伝える。
「食べられる人にはパンがゆを、吐き気があって無理そうなら果実水を薄めて飲ませてください。とりあえず水分をとらさないと。脱水症状をおこしている」
「厨房に行って作って来ます」
リリアーナさんがそう言って部屋を出ていく。
「まずはここのお掃除からしないといけないのだけれど……」
「掃除なら我々もお手伝いします」
腕まくりするカーティスさんを私は制止した。
「
それからギリアドさんに依頼する。
「塩と水を用意して欲しいの」
「塩、ですか?」
「そう、たくさんお願い。それと患者の世話をする人達はマスクはしているかしら?」
「
「えーっと、悪いものを吸い込まないように口元を覆うんです」
ウィルスだと布は通ってしまうけれど、ないよりは良い。少なくとも飛沫は防げる。
「あとお湯をたくさん沸かせるようにして欲しいんです。大きな鍋も」
「すぐにご用意いたします!」
ギリアドさんは丸い身体で転がるように部屋を出ていった。
**********
冬の冷気がほんの少しだけ緩み、薄く積もっていた雪が溶ける頃、年が明けて新しい年が始まる。
新年の祝賀会は王都の街が賑やかに新年を祝う中で、王宮で開かれる最初の宴だ。
基本的には国内の貴族達が王に挨拶するものだが、稀に他国の王侯貴族もこの国を訪れていて顔を出すこともある。
ブルセナ王国の王族は余程のことがないと欠席はしない。
「今年もクロエは欠席か?」
「陛下、珍しくいかがなされましたか?あの子のことなどお忘れになっていらっしゃるかと思いましたのに」
「しばらく顔を見ていないのでな、リナリア。生きているのかとふと思ったのだ」
「まあ、陛下ったら。そのような言葉を口にされてはなりません。王女は身体が弱いので来られずとも仕方ないですわ。ねえ、リカード」
「母上の言う通りです、陛下。代わりに僕が頑張って国の為に働きます」
一見私を庇っているようにも聞こえるが、忘れてしまっても仕方ないのだと王妃は王に言っているのだ。
忘れてしまえ、と。
広間に続く王族専用の扉の裏で、私は漏れ聞こえる家族の会話にぎゅっとこぶしを握りしめた。
私の入る隙間はないのだ。そう改めて思い知らされる。
会話を聞いていた扉の両側で守っている騎士達が、気の毒そうに私から目を逸らした。
ぐっと首を上げて私は彼等に扉を開くよう命じる。
「陛下、遅くなりまして申し訳ありません。新年のお祝いを申し上げます。あまねく光が陛下とこの国を照らしますようお祈り申し上げます」
広間に入った私は、目の前の三人に挨拶をした。
「リナリア王妃様、リカード殿下もご無沙汰しておりました。自分の身体の弱さが口惜しく思います。国の為に力を尽くすべき王族として何もできない我が身を恥ずかしく思います」
何もできない、させてもらえないのだけれど。
含みを持たせた挨拶に、王妃はぐっと声に詰まる。兄リカード王子は目を丸くして私を凝視していた。
「クロエか?」
「はい、陛下。不肖の娘クロエですわ」
「いや……見違えた。しばらく見ない間に淑女に成長していたのだな」
「ありがとうございます」
扉を開いてくれた騎士が王子の隣の椅子をひいてくれる。
その椅子に腰掛けて私は広間をみわたした。
「あの方は一体……」
「ほら、第一王女の……」
「身体が弱いと聞いていたが、そんなふうには見えないな」
私の方をチラチラと見ながら、小声で話す声が漏れ聞こえる。
常には無い驚きとわずかな興奮の気配が漂っている。
深い紺色に金の刺繍を散りばめたドレスに身を包み、結い上げた黒髪に金のラリエットを編み込むようにつけた姿は、我ながら肖像画に残された母メラネシア王妃に瓜二つだ。。
絵と同じ濃いブルーサファイヤのイヤリングは、母から譲り受けたものだ。
残念ながら靴は痛んで使えなかったので、別の金色の靴に青のガラスのビジューを縫い付けた。
流行遅れだったドレスは今風のデザインに縫い直して、袖だけをシェリルの時代に流行っていたようにベルスリーブにアレンジしている。
あまり見ないデザインで、思った通り目を引くのか、若い女の子達がどこで作ったドレスなのか噂しているのも聞こえた。
王宮の隅に追いやられ滅多に姿を見せないみすぼらしい王女が、華やかな衣装を身に纏って現れたのだ。何が起こったのかと皆思っても仕方ない。
私は戦いにきたのだ。
遠く広間の端に見慣れた銀髪が見えた。
侯爵が目配せする。
私は小さく頷いた。
この小さな王宮と決別する。
私自身の為に。
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