第3話 王女もなかなか面倒なんです

 フェザード侯爵が帰って後片付けに来たミーナが、カップの隣に置いてあったオルゴールに気付いた。

 

「クロエ様、その箱は?」

「オルゴールよ。侯爵様から預かったの」

 

 ミーナはテーブルの上に乗せたままのオルゴールを興味深そうに眺めている。

 ベルがティーセットを片付け終えても、ミーナはオルゴールが気になるようだった。

 

「聴いてみたい?」

「いいのですか?」

 

 明らかに声が弾んだ。

 オルゴールは貴族の間でも高価なもので珍しい。装飾がされた綺麗な箱からどんな音が流れるのか、聴いてみたいと思うのもよくわかる。

 

「私、オルゴール初めて見ました」

「ゼンマイを回すのよ。こうやって」

 

 カリカリカリと小さな音がする。ずいぶん古いもののようだけれど、良く手入れされていたのかゼンマイはスムーズに動いた。

 ミーナの両手のひらの上に置いてあげる。

 

「蓋を開くと音が鳴るの」

 

 ミーナがおそるおそる蓋を開くと、澄んだ鐘のような音色が部屋に広がった。

 

「不思議なメロディですね。凄く軽やかでウキウキするような」

「初めて聞く曲です」

 

 ベルも手を止めて音色を聞き、不思議そうにそう言った。

 細かな突起が生み出す複雑な曲は、管弦楽器で演奏されるような曲調ではない。もっとオルゴールを早く回したアップテンポが本当の……。

 

 眩暈がする。

 オルゴールの奏でる曲が、私の思考を絡めとる。虚ろな頭の中に、かつての記憶が流星群のように流れてゆく。

 繰り返すメロディは、そのまま繰り返す私の生命の記憶を呼び起こした。

 

 ミーナがぱたりと蓋を閉じ、音色もふつりと消える。名残惜しそうに私に向けて箱を差し出した。

 

「オルゴールって不思議ですね。こんな小さい箱なのに、ネジを巻くだけでこんな綺麗な曲が流れるなんて素敵」

「ええ……そうね」

 

 私は手渡されたオルゴールを抱えて頷いた。

 うつむくと浮き彫りにされた獅子の紋章が目に入る。

 

「侯爵様が持って来られたのなら、この曲はフェザードの舞踊曲か何かでしょうか」

 

 首を傾げるベルの言葉に私は薄く笑った。

 

「J−POPよ」

「え?」

 

 聞き返すベルに何でもないわと告げて、私はオルゴールを机の引き出しにしまった。

 侯爵が言う通り、確かにこのオルゴールは『私』のものだ。

 しかも、『過去の私』の。

 

「頭痛がするの。夕食はいいから休むわ」

「医師をお呼びしましょう」

「呼ばないで。少し寝たら治るから大丈夫よ」

 

 

 二人を下がらせて私はベッドにうつ伏せに寝そべる。

 

「参ったわ……『今回』は王女なのね」

 

 枕に顔をうずめて私は唸った。

 

 これまでのように平民であれば、せめて階級の低い貴族程度であれば、フェザード侯爵の力ですんなりと神殿へ行ける。

 だけど、冷遇しているとはいえ王女である私を、父王がすんなり辺境領へ行かせるとは思えない。


 片方は真偽が疑われているものの、私にはここブルセナ王国と隣国スリム王国の二つの王家の血が流れている。

 王族の血をおいそれと臣下に与えるような真似は、あの父王はしない。

 いずれは国にとって都合に良いように使う為、今も敢えて私を飼い殺しにしているのだ。

 

 特にフェザード侯爵家は現王室よりも古くから続く血脈で、金獅子レオの加護のある辺境領を治めるその歴史は長い。

 どれだけ忠誠を示していたとしても、自らに並ぶ力のある相手を王は信頼する事はない。

 侯爵がいくら頼んでも、私を連れ帰る事は無理だろう。

 ベルがフェザード侯爵に対し警戒する以上に、王族というものは面倒なのだ。

 

「どうしよう、レオン」

 

 

 

 

    *********

    

    

    

    

「ノア様、起きてくださいませ」

 

 聞き覚えのある女の人の声に起こされて目を開く。

 ん、寝る前の記憶がないわ。

 書きながら寝てしまったのね。

 ちゃんとベッドで寝ているところをみると、またレオンが運んでくれたのかしら。

 

 起こしてくれた人の顔を見ると、思った通り王都にいるはずのリリアーナさんが洗顔の水とタオルを準備して立っていた。

 

「リリアーナさん、どうして?」

「ノア様のお世話に参りました。アニエスは結婚が控えているので王都に残りましたが、私はこちらに兄がいますので」

「お兄様が?」

「レオン様の補佐をしております。フォンゼル・ダイナスと言うのですが、ご挨拶はしていますか?」

 

 フォンゼルといえば、ここについた初日に私達を出迎えてくれた男性だ。

 まだ三十手前らしいが気難しそうな眼鏡の真面目君って感じで、なかなかの男前だけどとっつきにくそうな人だった。留守を任せていた子爵だと紹介されたけれど、あれがリリアーナさんのお兄様だったとは。

 あんまり似てない兄妹ね。

 

「兄からノア様は神殿には行かず、領主の城でお暮らしになられていると聞いて急いで来ました。正式にご結婚されるまでは神殿に行かれると思っておりましたが、やっぱりレオン様が我儘をおっしゃっているんですね。この城には女主人がいませんでしたので、女手は下働きの女性くらいしかいません。ノア様がいらっしゃるならば侍女が必要でしょう」

「こちらに来てまだ一週間で、勝手がわからないこともあるから嬉しいです」

「朝の身支度もご自分でされていたんですね。手配が遅れて申し訳ありませんわ」


 神殿はエレノアより前の人生で馴染みがあるので、なんだかんだ周りの人は変わっても過ごしやすいのだけど、城は滅多に出入りしてなかったのでわからない事が多い。

 別に自分が侍女やってたくらいだし厨房やお掃除のおばちゃん達とも仲良くしてるし、不便だとは思っていなかったけれど、やっぱり私を知っている人がいてくれると心強い。

 レオンが色々世話を焼いてくれるんだけど、仕事でいないこともあるし。


「レオン様がお悪いんですわ。皆に説明されていないから。昨夜兄から聞いて驚きました。ノア様は既に王都で獅子との契約をお済ましになられて、レオン様との婚約も陛下に認められていますのに、誰もそれを知らないなんて」

 

 やっぱりそうか。


 お城の人達の視線が何だか変だと思ったのよね。

 フェザード領に着いた時にルゲルタの聖女を連れて帰ったと言っているのは聞いたけど、その後神殿に行くのは昼間だけで儀式もまだだし、言ってなければ獅子と契約してないと思われていても仕方ない。


 それに、城の主人がこう毎晩ベタベタにくっついていると誰でもあやしいと思うわ。基本ルゲルタの聖女はこれまでは獅子に捧げられた神聖なる存在で、これまで領主といちゃいちゃするところなんて見せた事ないもの。

 

「ノア様を神殿に送るべきなのにレオン様が許さないので、兄がどうしようかと困っていたようです。獅子が聖女を奪いにお城に乗り込んで来ないかとヒヤヒヤしていたそうですわ」


 まったく、レオン様は!とリリアーナさんはブツブツ文句を言っている。

 しょうがないわ、レオンは人じゃないもの。昨夜のレオンを思い出しながら私はぽりぽりと頬をかいた。



 

 今日は森に薬草を採りに行くのでリリアーナさんに身軽な服装を選んでもらって、朝食の準備が出来た部屋に行くと、そこにはレオンの代わりにフォンゼルさんが待っていた。

 

「レオン様は朝早くに騎士団と森の視察に行ました。昨夜リリアーナから話を聞きまして、至らぬ点が多くエレノア様には大変失礼を致しました。今朝、主人より式の準備を申しつかっております」


 う、レオンも行動が早いわ。

 

「ひと月後でよろしいかと。準備はわたくしとリリアーナにお任せください」

 

 眼鏡をキラリと光らせてフォンゼルさんはお辞儀をして出ていった。リリアーナさんが紅茶を淹れながらクスリと笑う。

 

「ノア様、兄は無愛想なのでわかりにくいですが、あれで喜んでいるんですよ」

「?」

「だってルゲルタの聖女様が侯爵家に嫁ぐなどこれまでなかったことですもの。レオン様がご養子になられたことをよく思っていない親族もいましたので、これで彼等を黙らせる事が出来ると小躍りしていましたの」

「小躍り……」

 

 想像できないわ。

 歓迎されてるのは嬉しいけど。

 

 親族……ね。

 思いのほか、私の覚醒が中途半端になったツケが色々とレオンに負荷をかけている。

 『主の命令ならば……』と彼は事もなげに言ったけれど、神に仕えていた神獣を人間のいざこざに巻き込んでしまったのは私だ。


(ごめんね、レオン)


 私はパンをちぎりながら、これまでの自分とは違う役目を彼と共に負わなければならないことにようやく気付いた。

 

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