第2話 順序ってものがあるんです

 覚醒した聖女は神殿で獅子に加護を願う儀式を行う。

 アニエスさんが以前、儀式の夜に獅子と聖女は主従の契りを交わすと言っていたけれど、それはつまり初夜の契りだ。

 

 レオンの寝室に運ばれて広いベッドに降ろされた私は、逃げ場を探して後退あとじさった。

 逃げる獲物を追い詰める猛獣さながらに、漆黒の瞳にちらちらと熱を灯して彼がジリジリと距離を詰める。

 

 これは本気だ。

 

 この美しい獣が放つ艶めいた空気にくらくらとあてられそうになりながら、必死で逃げる私の背中にベッドのヘッドボードがあたった。

 まずい……このままでは喰われる。

 

 迫ってくる彼の肩を押し返しながら、私はこの状況を打破すべく頭をフル回転させる。

 

「姫、どうして逃げる?」

 

 彼の手が私の顎をとらえ、色気を帯びた漆黒の瞳が真っ直ぐに金の瞳を覗き込む。

 ううっ、こんな好みの顔で迫られたら心臓がもたない。

 頑張れ私!

 気をしっかり持つの!

 

「ねねね、レオン、私をどうするつもり?」

「どうする、とは?」

 

 唇に触れる寸前だった彼の動きがピタリと止まる。

 よし、かかった。

 

「レオンは今はフェザード侯爵でしょう?それで私はルゲルタの聖女。でも貴方は私を神殿に住まわせるつもりはなさそうだけど、どうするの?」

「姫にはここで私のそばにいて欲しい」

「でも、侯爵がずっと独身でいるわけにはいかないでしょう?どこかの貴族の女性と結婚することになるわ。そうなると私は愛人ってこと?」


 レオンがとんでもない、とぶんぶん首を横に振る。

 

「主以外の人間にかしずくつもりはない。私は君だけのものだ。聖女でも婚姻を禁止しているわけではないのだから、君を私の妻にするのに問題はない」

「じゃあ、私が貴方と結婚するのね?」

「ああ、そうだ」

「式はしないの?」

「しないわけにはいかないだろうね」

「人間の貴族って、結婚するまで清い関係なの知ってた?」

「…………」

 

 

 私の指摘に彼は固まってしまった。

 やっぱりね。

 レオンには人間の婚姻の概念がないんだわ。

 これまではレオンは森に住む神獣で、神殿に住む聖女わたしに逢いに来る恋人だったから。

 じっと考え込んでしまったレオンの顔を覗き込む。

 しばらく黙っていた彼はカクリとうなだれると、私を恨めしそうに見た。

 

「きちんと手順を踏むのも大事だな」

「でしょう?」

「なるべく早く日取りを決めよう」

 

 私の鼻先に軽くキスして、レオンは部屋を出て行った。

 

 あー、危なかった。

 ちょっと可哀想だけど、でもこちらにも事情ってものがある。

 私にも心の準備が必要なのだ。

 

 それに、なし崩しにこのままの生活を続けるのも、今の彼の立場を考えると良くない。

 領民の為に神殿で獅子を従えるべき聖女が、恋に狂った侯爵に城で囲われてるなんて噂されでもしたら困る。

 レオンは噂なんてきっと歯牙にも掛けないだろうけど。

 私がフェザード領に来てから感じるのは、彼が騎士団の人達に慕われているだけでなく、みんなにとても尊敬されているって事だ。

 

 以前の彼はもっと気ままで自由な獣だった。

 時に凄く冷酷で、私以外の人間の存在を取るに足らないもののように言うこともあった。

 でも今は少し変わったように思う。

 私が感じるだけかもしれないけれど。

 彼が私のために自由を捨てて今の地位を得たのだから、私も彼の隣に立っていてもおかしくないようにならないと。

 

 うーん……なれるかしら?

 今更だけど、なんでレオンは私を主に選んだのかしら。

 別にこれといって取り柄があるわけでもないのにな。

 

 ああ、考えても落ち込むだけ無駄だわ。

 もう少し続きを書きに戻ろう。

 

 そして、私は扉を開けて廊下へと出た。

 

 

 

 

      *********

 

 

 

 

「王女様にフェザード侯爵が訪ねていらしています」

 

 侍女のミーナがそう教えてくれたのは、リナリア王妃に面会を断られ宮に帰って来た時だった。

 

「不在だとお伝えしたのですが、せっかくだからしばらく待つとおっしゃられて」

「すぐ行くわ」

 

 フェザード侯爵は母の死後、だれの後援もない私に唯一親身になってくれている方だ。

 フェザード領は王都から遠い辺境領で、ほとんど会う事は出来ないのだけれど、折々に贈り物を送ってくれたり手紙で相談にのってくれている。

 私にとっては実の父より父親みたいな人だ。

 

 新年の祝賀会にあわせて国境の様子を報告しに来たのだろう。

 私は彼が帰ってしまわないうちに宮に戻れたことで、面会を断った王妃に感謝した。

 

 

「侯爵様!」

 

 応接間の扉をベルが開けるのももどかしく思いながら中へ入った私は、久しぶりに見る銀髪の壮年の男性に駆け寄った。

 

「クロエ殿下、お久しぶりです。またお美しくなられましたね」

「侯爵様はおかわりありませんね。お怪我はしていませんか?辺境領は隣国の脅威もそうですが、魔獣も多いと聞きます」


 フェザード侯爵は辺境領の領主で独自の兵を持つ事を許された軍人だ。

 自ら国境騎士団を率いて隣国からの侵略を防ぎ、国境付近の治安を守っている。

 国境には深い森が広がっており、魔獣も多く棲んでいるという。

 以前私は手紙で、侯爵が魔獣と戦った事を聞いていた。

 

「ご心配なく。我がフェザードの国境騎士団は無敵です。それに近頃は魔獣もなぜか少なくなってきているのですよ」

 

 ベルが冷めてしまっていたお茶を淹れ直して侯爵の前におく。

 お茶を飲みながら互いの近況など他愛の無い話を交わすだけ、それだけなのに心が安らぐ。

 悪意のない相手がこの宮殿の中では稀な私にとって、この時間は何より楽しかった。

 しかし、優しい時間はあっという間に過ぎて、侯爵が帰る時間が来た。

 

「またいらしてくださいね。いつでもお待ちしています」

「こんな年寄りに向けて嬉しいお言葉です、殿下」

「年寄りだなんてとんでもない。侯爵様の事は実の父のように思っているんですよ」

「なんとありがたい。ですが……陛下は相変わらずのようですね」

「もう慣れました」

 

 近くにいても顔を合わすこともない父など、いないものと思った方が良い。

 苦い思いを噛み潰して笑顔を作る私に、侯爵は笑みを消し真剣な表情で尋ねた。

 

「以前より申し上げておりましたが、クロエ殿下、我がフェザード領に来られませんか?」

 

 侯爵は母が亡くなった時から私とベルに、王宮を出てフェザード領に来るように言っている。

 自分が後見人となり生活を保障する、王にもそう申し入れると言ってくれていた。

 だけどベルは何の縁もない私に入れ込む侯爵に不信感を抱いており、ずっと誘いを断り続けていた。

 

『クロエ様、フェザード侯爵は何かを隠しています。彼はクロエ様がフェザード領にとって必要な方なのだと言うのですが、その理由を尋ねても言わないのです』

 

 フェザード侯爵は自領に夫人と複数の子供もいる。

 その子供達ももう成人が近いはずだ。

 

「陛下に疎まれている王女など連れ帰っては、侯爵様の名声に傷がつきますわ。夫人にもご迷惑がかかりますし」

「私の妻も是非にと申しております。我が一族をあげてクロエ殿下をお守りいたしますので、どうか」

「そこまでしていただく理由がありません。今ですら十分助けていただいておりますのに」

「理由はあるのです、殿下。きっと、殿下はフェザードの……」

 

 そこまで言って、侯爵は口をつぐんだ。

 そして懐から何かを取り出す。

 

「殿下、これを」

 

 彼が私の手のひらに置いたのは、フェザードの国境騎士団の紋章である獅子の横顔が彫られた小さな箱だった。

 

「これは?」

「ルゲルタを祀る神殿に保管されていたオルゴールです」


 オルゴールを私の手に握らせる。

 

「しばらくお貸しいたします。きっとこれは殿下のものだと、私は信じています」

「私のもの?それはどういう意味ですか?」


 私の質問に侯爵は黙ったまま、ただ微笑んだ。

 

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